原因は?対策はあるでしょうか? 動けません。 精神面で家族を含む他者…
原因は?対策はあるでしょうか?
動けません。
精神面で家族を含む他者を頼らずに強く生きて頑張れますか?
体が辛くても頑張って動けますか?
動けない自分は必死さが足りないかと思うけど、優しい言葉をかけて欲しいと思ってしまいます。行動力と意欲がない。優しい言葉をかけられたら元気がでるけど無ければすぐに絶望する。依存でしょうか。優しい言葉を要求してしまいます。存在が無いように扱われていると感じてつらくなります。
動ける人は甘えず頑張っているのだろうけど、どうやってその精神状態になれるんですか?
誰の言葉が無くても自ら元気に動きたいです。
でも体がつらくて動けません。
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何があったのかはわからないし、書いてないってことは言いたくないのかもしれません。聞くのもどうかと思うしね。
ただ言えることは、何かに対する不安や傷付き体験や恐れがあるんだろうなとは思う。
子供の頃から否定的だったと言うなら、それは子供の頃にあったんだと思う。
そして、辛い、苦しい、動けない、
ということなんだと思う。
それでも生き抜こうと、
「体が辛くても頑張って動かないと、」
「休めなくても救いが無くても必死でやらなと」、と思ってやっているわけです。
でも、できなくて、その理由が、
「体力がないから」
「必死さがないから」
「自分の弱さ」
という結論になってしまってます。
本当にそれが理由なんでしょうか?
幼い頃に、不安や傷つき体験がある人は必要以上に心が疲れてしまいます。緊張して抑圧して不安で、いつも臨戦態勢だったりします。
PTSDの人は衝撃的な記憶を冷凍保存します。まるで写真にでも写したような鮮明な衝撃的な記憶をいつまでも残します。何十年経っても過去にならないんですね。その容量はものすごく大きくて、脳を支配してしまいます。
どういった状態かというと、
パソコンに沢山ダウンロードして容量を超えると動かなくなりますね。普通の人は、それが30%で残りの70%の容量で自由に動けると思ってください。でも、幼い頃に不安や傷付き体験のある人や恐れの強い人は、元々ダウンロードされてるのが70%で残りの30%でしか自由に動くことができないんですね。
すぐに100%を超えて疲れちゃいます。動けなくなります。
あなたがPTSDだと言ってるわけではありませんが、似たようなものがあるのではないかということです。
こうも考えられます。
あなたの頑張りや行動原理というのは、
幼い頃の不安や傷つき体験や恐れが裏付けされてる可能性があります。
ようするに、頑張れば頑張るほど、動けば動くほど、過去の不安や恐れが強くなっていくわけです。
こうなってくると、最終的には頑張りたくても頑張れない、動きたくても全く動けなくなります。
動けば、恐れや不安と御対面するからです。
とりあえず、
応急処置としては、
過去に裏付けされた行動はしないことです。
「頑張らない」
「何もしない」
「何も考えない」
これが結構、難しいことなんですが、
(必要最低限の生活だけはしなきゃならんですが)
>> 7
詳しくありがとうございます。
そんなに酷い目に遭っていたこともなく小さいトラブルくらいで、臆病で自己主張できない性格からストレスを溜めているような子供だったかなと思います。
嫌だったことをずっと根に持ってこだわっている所があるのでそういう部分もあるのかもしれませんね…。
なんとなく生きる意欲が足りません。
日常に安心しすぎて危機感が足りないのか?
心の底から面倒くさがりで怠け者で嫌なことを頑張る気力が無くてどうでもいいことばかり考えて逃避してしまいます。
でも親しい人と楽しくできれば頑張れるけど、必要最低限の生活も1人でいると自分のためには頑張れなくて。
結局自己中な怠け者なのかもしれません。
考える頭も足りていません。
完璧主義のような気持ちがあるのも良くなさそうです。
大人になって目標に向けて頑張ったけどなかなか叶わず、諦めて絶望した頃に叶ったんですが、それで燃え尽きたようにも思います。
年齢的に体力も落ちて。
考えずに、頑張らずに。
落ち着いた気持ちで生きていたいです。
具体的な努力出来る目標、やりたいことがあればもう少し意欲を持って取り組めるのかな。
自分だけで元気になれるような楽しみがあれば良いけど今は出来ない事が多いです。
育った家庭というのは自分のこちを考える上で大切だとは思うんですが、
どうやら、そっちの話ではないような気がしてきました。
では、こういった話はどうでしょうか?
障害者(難聴)の方が多い職場で上司をしていた人の話しですが、
「例えば、
彼らはボールペンを落としてしまったときに、周りに拾ってもらうんですね。“そのボールペンを拾ってください”って言うんです。
そういうことが何度もあるので、“それは自分で拾うんですよ”って言うと、
“違います、あなた達が拾うんです”って言われるんです。
彼らは、幼い頃から障害を持っていて、周りの人たちが何でもやってしまって、やってもらうのが当たり前になってしまったんですね。」
その上司は、そう言っていました。
そこまで酷くないにしても。
周りから溺愛や過干渉(共依存関係)で何でもやってしまう人たちがいて、何にもやれずない家庭で生きてきたのかもしれません。
何にもやれない自分は、頑張って動くしかないということなのかも?
しかし、昔から周りに依存してきた状態からは抜け出せずに優しい言葉を待ってるのかもしれません。
自分の妄想ですが、、、
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