自分の宗教を誰にも言わず、心の中に留めておくことについて。 こんばんは、最…

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2025/03/14 23:51(更新日時)

自分の宗教を誰にも言わず、心の中に留めておくことについて。

こんばんは、最近自分の信仰の事で悩んでなかなか眠れないので相談させていただきます。

私はマイナーな宗教とその神様を信仰しています。私の両親は別のある宗教を信じていて、私も普段行事としてそれに合わせているのですが、私はどうしてもその宗教の決定的な部分が理解できないのです。学問としてたまたま勉強した事がきっかけで両親と違うこの宗教に出会い、自然と信じるようになりました。

厳密に言うと、両親の宗教の神様と自分の神様を別物として認識し「こっちを信じてこっちの方は信じない〜」としてるのではなく、神様に対する認識と信仰の仕方が違うんです。

また両親の事だけでなく、私の周りにはこの宗教を信じてる人はいないと思います。(少なくとも公にしていません)

元々聞かれない限り宗教は言わなくていいと思っているのですが、この宗教を信じ始めてから、両親から失望される事や信仰を変えろと言われること、周囲からの差別が怖くて、やや隠してる節があります。

同じ宗教を信じる人と出会えた場合以外、宗教についての本心は誰にもあかさず、一生自分の心の中で、神様と自分の関係のみ、でいこうかと思っています。

しかし、自分の宗教を堂々と言えない、少なからず隠してる時点でこれは信仰してるとは言わないんじゃないか?とか、周りから○○教徒と認識されず、自分の心の中だけでそれを信じてる場合本当に○○教徒と言えるのか?とどうにもならないことでグルグル考えています。

何を信じてるか周りに言えない、心の中だけ、これについて皆さんはどう思われますか?

No.4258693 (悩み投稿日時)

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グッドアンサーに選ばれた回答

No.5 2025-03-11 11:01
匿名さん5 ( )

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キリスト教が弾圧されていた江戸時代、彼らは
隠れキリシタンとして信仰を保ち続けていました。
仏教徒を装って人知れず祈り、身を守っていたのです。
隠すのは後ろめたい事ではないですよ。

 ユダヤ教、キリスト教、イスラムが信奉している神は
同一のもの。とイスラムは認識していますが、
ユダヤ、キリスト教徒からは異端視されています。
古参のユダヤからして見れば、
昔の教えを忠実に守っていたのに後から出てきた
イエス、マホメットといった預言者を名乗る者によって
勝手に教えを更新されていくのだから受け入れられないでしょう。
キリスト教徒はイエスを神と信じて疑いませんが、
彼を特別と認めつつもイスラムは認めない。
ユダヤに至っては殺害してしまう。
古き者が新しき者を認めず
異端視して攻撃する図式から
かくも複雑な中東情勢となっています。
相手が信じる教えを尊重する事も教えの一つなのだから
多少の設定の違いを気にする必要はないんです。
信仰に必要なのは信心のみ。
神に任せるという意思表明だけだからです。

No.1 2025-03-11 01:18
匿名さん1 ( )

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良いと思います

No.3 2025-03-11 03:09
匿名さん3 ( )

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そういうことは経典か先輩信者にでも尋ねた方が良いのではないでしょうか?

信仰の違いは思想の違い

良しとされる信仰の在り方も変わるのでは?

信心の無い私の本心からすれば「お好きにどうぞ」という話になりますけれど。
知ったかぶりな理屈屋の部分がそう囁いています。

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No.1

良いと思います

No.2

>> 1 レスありがとうございます。

No.3

そういうことは経典か先輩信者にでも尋ねた方が良いのではないでしょうか?

信仰の違いは思想の違い

良しとされる信仰の在り方も変わるのでは?

信心の無い私の本心からすれば「お好きにどうぞ」という話になりますけれど。
知ったかぶりな理屈屋の部分がそう囁いています。

No.4

>> 3 経典はこの悩みに関して触れておらず、抽象的で理解に苦しんでいました。先輩信者に聞いてみる、やはりそうすべきですよね。

信仰の違いは思想の違い、確かにそう思います。

まず他の信者の方と会ってみます。回答ありがとうございます。

No.5

キリスト教が弾圧されていた江戸時代、彼らは
隠れキリシタンとして信仰を保ち続けていました。
仏教徒を装って人知れず祈り、身を守っていたのです。
隠すのは後ろめたい事ではないですよ。

 ユダヤ教、キリスト教、イスラムが信奉している神は
同一のもの。とイスラムは認識していますが、
ユダヤ、キリスト教徒からは異端視されています。
古参のユダヤからして見れば、
昔の教えを忠実に守っていたのに後から出てきた
イエス、マホメットといった預言者を名乗る者によって
勝手に教えを更新されていくのだから受け入れられないでしょう。
キリスト教徒はイエスを神と信じて疑いませんが、
彼を特別と認めつつもイスラムは認めない。
ユダヤに至っては殺害してしまう。
古き者が新しき者を認めず
異端視して攻撃する図式から
かくも複雑な中東情勢となっています。
相手が信じる教えを尊重する事も教えの一つなのだから
多少の設定の違いを気にする必要はないんです。
信仰に必要なのは信心のみ。
神に任せるという意思表明だけだからです。

No.6

>> 5 そうでした、隠れキリシタンもそうしていましたよね。

他の宗教を攻撃したりせず、一番大事なのは信心、私もそう考えております。

考えすぎでど壺にハマってましたがこのレスを見て初心に帰れました。回答ありがとうございます。

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