自己肯定感という言葉の意味を間違えて捉えてる人をよく目にします自己肯定感は文字通…
自己肯定感という言葉の意味を間違えて捉えてる人をよく目にします
自己肯定感は文字通り自分を肯定的に捉える、あるいは肯定するという意味ではありません
良し悪しつけずありのままの自分を受け入れることによる、自分が自分であるという確かな感覚の事を言います
自己肯定感を間違えて捉えると、自己肯定しなくては高まらないと思い込み、上手く自分を肯定するものが見つからなかった場合、かえって自信喪失や劣等感に苛まれることになり逆効果になります
それをやってしまうと、子供に対して親がテストで点数を取った時だけ誉めることで起こる心理的弊害「条件付き」と同じ状況になってしまい、結果を出さなければ認められないなどと、他人の評価を基準に物事を進めてしまい、人の目が気になり、自己愛の問題に発展してしまう可能性もあります
相談される方、回答される方は、この点を留意し「自己肯定感」という言葉を扱ってください
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勘違いしているのはあなたの方ですけどね
日本の子供が米・中・韓の子供より自己評価が低いことを指摘するために、90年代に日本で提唱されたのが自己肯定感という言葉
そもそもの社会心理学者のスティールが提唱した自己肯定化理論とは別物です
自尊心、自己存在感、自己効力感、自尊感情などを含む広義で捉えるのが現在の自己肯定感
ご意見ありがとうございます
まとめた返信で申し訳ありません
すごく勉強になりました
また他にも訂正点などございましたら
よろしくお願いします
このスレを見て、
一緒に勉強出来ればと思っております
自己肯定感っていう概念は難しいね。
>良し悪しつけずありのままの自分を受け入れる。
難易度高すぎですね。
ありのままの自分ってのが本当にあるのか。
期待しなければ、受け入れることは易しくなるかもしれません。
そもそも受け入れる必要がありませんから。
>自分が自分であるという確かな感覚
そんな感覚、他の世界にはあるのかな?
感覚の認識=世界は、全くもって不可思議。
その中で自分を見出してもそれはあやふなものだと思う。
創作された偶像を信じることだと思う。
世界に対して不自然なことだと思います。エネルギー必要そうだからね。
確かに、私自身簡単にはいかなかったです
沢山の過去との痛みに向き合うことになりましたし、時間もかかりました
だからこそ、自己肯定感は安易に
アドバイスとして口に出すのは
ハードルが高すぎると感じます
ゆえに、自己肯定感を高めたい人も
自己肯定感を高めることを勧める人も
もうすこし扱いに気を付けなければ
ならないと感じました
自分が自分である確かな感覚
これは野口嘉則先生の引用ですが
私の経験として、適応障害で
療養している時に得た感覚であるため
これもまた、会得するのには
段階が必要になります
簡単に得られるもののように解釈すると
やはり真逆の結果を生みかねませんので
概念が難しく、難易度が高いという
認識は本当にその通りだと私も思います
言葉は変わるもので誤用が正しくなったりする。
この言葉自体最近のものだから
正しい使い方と指摘するほど歴史がないかなと思います。
自信の根拠として回答に使う時は
「成功体験の多さ」を多用してます。
「自己肯定感」を調べると古い言葉で言えば
「天上天下唯我独尊」の本来の意味に近いですね。
こちらもまた誤用甚だしいですが。
誤用、確かにこれにつきるかもしれませんね…
それに状態として考えれば
天上天下唯我独尊は
かなり近い状態にあるかもしれません
そこにゲシュタルトの祈りも
加われば、些細な争いも少しは減るかも
しれませんね
ありがとうございます
ますます理解と関心が深まりました
正しいと信じれるものがあるなら
とても良いことですよね
私はその事について言及したつもりは
ないのですが
誰を対象にと今一度申し上げますと
自己肯定感を高めなければと躍起になってしまった事により逆に苦しくなってしまった経験をお持ちの人に対しての発信であるとご理解いただけると幸いです
すべての人に当てはまる事柄は、私ごときが述べる事は不可能にございますゆえ、この発信も、自己肯定感がわからず、間違ったアプローチを自身にしてしまうケースに対してのみの発信です
申し訳ありませんが、匿名11さんのおっしゃるような方々には、あまり参考にはならないかもしれません
もちろん、私が発信したことが世界の心理というわけでもございませんので、内容についてご指摘いただける箇所がごさいましたら、ご教授賜りたく思っております
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