アマチュア劇団で一時期舞台に立っていましたが、劇団内の規律?についていけず、降板…
アマチュア劇団で一時期舞台に立っていましたが、劇団内の規律?についていけず、降板し、退団する事になりました。
気に入った劇団員たちは大切にするし先輩後輩関係なく助け合いもするけど、気に入らない劇団員は本番中に困ってても知らない。1人で勝手にしろ。お客さんの前で失敗して恥をかいて学べ。 という考えでした。
それだけじゃなく、気に入らない劇団員には本番中に台本にないアドリブ演技を矢継ぎ早にしかけ、気に入らない劇団員が台詞を飛ばすように先輩の劇団員が誘導していました。
台詞を飛ばしてしまった劇団員は袋叩き。ペナルティとして役を降板させられたり舞台上での役職を無くされてしまい、裏方スタッフにまわされました。
会社で上司が部下にそんな事をすればパワハラ問題になりますが、代表も他の先輩たちも「ここはある意味芸能界なんだから。理不尽な事を乗り越えてこそ役者として一人前になれる」と、この厳しさを美徳と思っている感じでした。
私が「合わない人がいたとしてもお客さんの前では折り合いをつけて、お客さんに楽しんでもらうために作品を皆で作っていく事が大切だと思います」と言うと先輩たちが怒り、「俺たちは間違ってない。うちのルールが守れない奴は降板しろよ」と言われて退団しました。
チームワークというか、合う合わないはあれど作品のためにお互いで協力し合う という考えは間違っているのでしょうか?
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あくまで趣味だから、こうしなきゃいけない、っていうルールはないと思う。
芸術家は変人が多いから、チームワークが必要なことは揉め事が多いんじゃないかな。私は絵を書くけど、絵を書かない友達の方が付き合いやすいような気がするよ。
理不尽なことや問題が多ければ、ひとりづつ辞めて、最期には解散になる。
アマチュアだから。
そこから別に劇団を作り、成功していくという劇団もある。
今の有名な俳優さんも最初の劇団を辞めて、仲間で劇団を新しく立ち上げてという話を
しているくらいなので、嫌なら辞めて別の劇団に移るくらいはよくあると思っていた。
そのやり方で、その劇団が生き残れるかどうか。
最初から残っている人が少ないのであれば、入れ替わりが多い劇団だと思う。
上の方も言っているし、それこなしているプロでも言っているけど、
芸術関係の人間は、皆それぞれにルールがあって、難しい人が多いし、一般の人とは
違って、理解しがたい世界だと思う。
芸能関係者に知り合いがいます。
>>私が「合わない人がいたとしてもお客さんの前では折り合いをつけて、お客さんに楽しんでもらうために作品を皆で作っていく事が大切だと思います」
それはあなたの「理想」。
素晴らしいと思いますが、こんな風に考えている人ばかりが出世している(人気を博している)とは限らないのが芸能界です。
「敵(嫌いな人)は排除し、仲良しグループを形成し、派閥を作る」ことで力を持った人もいるからです。
あなたの「理想」を実現したければ、あなた自身が実力をつけて(人気を博す役者になって)、さらにキャリアを重ねて力を持つしかありません。
そういう世界だと思います。
私の知り合いは映画監督ですが、若い頃、雑用、撮影助手、助監督を30年近く積み上げて監督の地位を得ました。
その方が言ってたことです。
「自分の上の人間が『製作方針』とか『理念』とか『俺の作りたい作品じゃない』とかでもめて辞める。
その時が自分が上に上がるチャンスだった。
そういうチャンスを待たなければ上の立場の椅子は回ってこなかった。
監督になってからも撮りたくない(興味を持てない)作品もたくさん撮った。
自分の名前をクレジットされることすら嫌な作品も正直あった。
それでもいつか自分が作りたいものを作らせてもらえるまでは、どんなキャリアでも重ねるしかなかった。
友人だった同僚や同期、先輩はどんどんいなくなった。
だからこそ「監督」の席が回ってきた。
自分は絶対に映画のスポンサーとも芸能事務所とももめごとは起さない。
ただ精いっぱい作品を作るだけ。
言いたいこと、思ったことを100%言えば、その場の自分はすっきりする。
だけど、それをやると自分の次回作は永遠になくなる。
そういう主張ができるのは本当のトップになった人だけ。
映画監督の名前だけで劇場を満席、ロングラン上映にできる実績、スポンサーが『お金は出しますからどうぞお好きなように作品を作って下さい』と言わせるほど作品で世間をうならせた実績がある映画監督だけだ。」
と言っていました。
あなたが去ったことも、別の誰かのチャンスになっているでしょう。
それが現実だと思います。
その道を志すならこの映画監督の言葉を一度よく考えてみてはどうでしょうか?
その上で自分はどう志すか再考してみては?
もう少し映画監督の話をしますね。
ご存じかもしれませんが、映画監督にはその監督ごと、映画作品に○○組という撮影チームが形成されます。(カメラマン、助手、衣装係、助監督等)
実はこの○○組の人達はそれぞれが独立した個人事業主の集団で映画会社の社員でも制作会社の社員でもありません。
映画監督が映画を撮影するにあたって自分の撮影チーム(○○組)が必須。
だから、この○○組という撮影チームを維持する(スタッフを食べさせる)ためにどんどん仕事をとってこなくてはいけません。
現実問題、撮りたい作品、好きな作品だけを撮るなんて不可能だそうです。
自分の「理想」や「理念」だけでは映画監督は続けられない現実があるそうです。
実際、その映画監督も映画の合間にドラマやPVなどの映像作品などを撮影したり、あまり気乗りしない作品の企画でも自分の○○組を維持するために撮影したりしています。
「好きな仕事で食べていく」ってこういうことじゃないでしょうか?
「自分の言っていることが正しいか正しくないか」ということとは、全く別次元のように私は感じます。
私個人は、主さんのおっしゃることはよくわかる気がします。
ですが、その道を続けたいのであれば、視点を変える必要もあるんじゃないでしょうか?
私は映画監督の知り合いしかいないので、映画監督の話を書きましたが、劇団を運営している人もこれに近い責任や実務的な問題を背負っていると思います。
劇団を維持するために折れなきゃいけないこと、頭を下げなきゃいけないこと、理不尽なことはたくさん経験しているだろうと思います。
夢を志す、好きなことで食べていく、プロになる。
一見キラキラした生き方ですが、現実にはきれいごとだけでは不可能な世界なんじゃないでしょうか?
皆の生活が懸かっているし、お金がかかわることだから。
もちろんこういう現実は令和の今の世にはかなり保守的で封建的だとも感じます。
これから改善されていくこともたくさんあるでしょう。
でも、現実問題、今はその過渡期です。
不条理なことがあったとしても、正しくなくても「あなたはその過渡期に役者を志している。」
ということこそがあなたの背負っている現実だと思います。
・芸能界に限らず世の中が変わるには時間がかかる。
・だけど自分は「今」を生きている。
この折り合いをどうつけるかだと思います。
あのー、意図的に台詞を飛ばさせる、とありますが
そんなことを本番でやったら台詞飛んだ本人よりも、それに対応する自分自身(いじわるを仕掛けた人)や他の役者たちが一番大変なんですけど…
お客さんから見たら、誰が台詞飛ばしたかなんてわかりません
下手すると、いじわるを仕掛けた側が下手くそ扱いを受ける可能性がありますけど
なんだか変な話ですね
ドM集団なんですか?
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