よく思うんですが、自分を責める習慣って程度を教えないと最後は自ら終わりを選ぶ場合…
よく思うんですが、自分を責める習慣って程度を教えないと最後は自ら終わりを選ぶ場合など良い方向にいくとは思えない事ばかりだと思います。不満を言えば文句・言い訳に変換される社会・価値観って本当に良いのか疑問です。
例えば自分の責任だ、自分がもっとこうしておけばって考え方って扱う人が間違えるとそれを他人に押し付けてそれだけが正しいになり、結局言い分なんて関係ない、結果が全てという世の中になり、その行く末って多くの人を不幸に陥れてしまう気がする。
確かに自分が関わった以上、自分の力不足を嘆いて鍛えなおすとか結果的にポジティブにいけるなら良いと思う。でもそれに行きつく場合はその他要因に自分をポジティブにさせる程度の内容量しか認識がなかった場合に限ると思うんです。
中には所謂どうしようもない性格や考え方の人もいると思います。でもそもそも日本人というだけでどうしてここまでこの手の類について話を聞けない人が多いんだろうっていつも思います。
他人の不満やネガティブを聞くと敏感になる人もいますが、そもそも聞いている人達にとっては関係ない話です。でもまるで自分の事の様に聞いてしまい、挙句怒る人さえいます。相談相手として適していないのに善意だけで形を作って力になれないケースが非常にあると会社でも感じます。
問題って最初は小さいものだったのが多角的に本人に蓄積されて大きくなるパターンも十分あります。むしろ生きているとそっちの方が多いと思います。
なのでシンプルに物事を切り分けて整理し、不満を漏らすという行為を人間らしさと捉え受け入れ、その先のプランを示す所まで本人の目線に合わせて話す習慣を国民性としてつけていく方が無理に法律でルールを作るよりも寄り添える気がします。
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なんとなくは分かるんですが、
具体例を下記をひとつずつあげてもらえませんか?
>中には所謂どうしようもない性格や考え方
>相談相手として適していないのに善意だけで形を作って
>力になれないケースが非常にあると会社でも感じます。
私は、正しい結果がでることが全てだと考えています。
正しい結果がでているということは、
正しい過程だったとの証となるからです。
正しく行動ができているともいえます。
>> 2
>中には所謂どうしようもない性格や考え方
➡全て他人のせい、自分は悪くない・可哀想ばかり、自分に少しの非も感じた事がない。※あくまで極端なタイプかなと。私の知る限り一握りなのでそういう人達は。見えてないだけかもしれないですが。
>相談相手として適していないのに善意だけで形を作って力になれないケースが非常にあると会社でも感じます。
➡要は相手の話を聞いてる様で目線に立ってアドバイスするのではなく、自分の結論ありきで話すから感情的な流れなどを考慮しない。事実は事実ですからという話し方です。それならAIの方がまだ相談役として適していると感じます。
正しい結果にも過程の分析が必要で、その中に自分ではコントロールしていなかった部分、偶然助けられる事もあると思うので、一人の考え方として正しい結果=正しい過程だったと考えるのは個人の中では良いと思いますが、他人と関わる時は、違ったアプローチも持っていた方が個人的には良いかなと思っています。あくまでそれは一つの事例なので。
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