学校って何だったんだろうなって一人でいるとき考えることが多いんだ。 体育祭の練…
学校って何だったんだろうなって一人でいるとき考えることが多いんだ。
体育祭の練習、卒業式の練習とかデモンストレーションのデモンストレーションにめっちゃ時間つかって、内容のない連絡を全体にむかってして、ずっと立って聞かされる。
あの日々の窮屈さがフラッシュバックするんだよね。
授業も実用的じゃないし…。英語の授業とか会話ほぼなしで間違い探しドリルばっかりって感じだったよな。
今の子達もあんな退屈なカリキュラムのなかで生きているんだろうか? 今、36のおっさんです。有識者の人、小中世代の子どもがいるパパ、ママ、是非教えてください。
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会社で働く為の予行練習です。
社会に出たら、もっと複雑です。
>> 1
全然そう思わないな。
会社ってめっちゃ合理的じゃん。あんな無駄な時間はない。
学校は、あたしも。きらいです
>> 3
勉強が嫌いだったとかいじめられやすかったとかそういうよくある問題もあったけど、なんか窮屈なカリキュラムがあり得ないって感じで辛かった。
なんだこの茶番はと毎日思っていた。
大学とか、会社ではそういう状況すくないからありがたいと思う。
私も主さんと同じように感じていたアラフォーです。
今もありますよ、運動会(体育大会)や卒業式の練習笑
でも、昔より練習時間は減っていて、無駄な時間?も減っている気がします。
始業式や終業式などは、昔は体育館で立って校長先生の長〜い話を聞かされてましたが、コロナ禍以降、各教室とオンラインで繋いで、席についた状態で話を聞いているようですし。
小学校の英語の授業も、授業参観では話すことに重きを置いた構成になっていて、子供に聞くと授業参観向けではなく、いつも同じような感じの授業だそうです。
あくまでも私の印象ですが、我が子たちの方が楽しそうです。
多様性を認め合う時代というか、昔のように排他的ではないというか。
不登校の子を色眼鏡で見ることもなく、そういう子もいるよねーみたいに、みんなが当たり前に受け入れています。
今まさに卒業式の練習が始まりましたが、
「◯◯ちゃんの後に私がこの台詞言うんだー」
みたいに、私に似てやや冷めたキャラの娘も、ちょっと楽しそうに話してくれます笑
もっともっと良い方向に変わっていくといいですね!
>> 5
あーとても良いですね。ニュアンスがめっちゃ伝わりました。
新聞とか、断片的な知り合いの話だとわかりずらいですよね。こういうの。
あの非合理的感じはは未来にのこすべきレガシーじゃないですね。式典をリモートとか羨ましい。素晴らしい。
何のために椅子があるかわからん状態でしたね(笑)
個人的には担任制もメスいれていいんじゃないかという気がします。アメリカの教育が良いとするようなことをトランプ政権後いいずらくなりましたが、両親に対する対応とかを教科担当がやるのとか変ですよね。そりゃ先生の仕事ありすぎて、上手く回んないよという感じ…
スクールカウンセラーがやればいいよという感じがします。もちろん異論は受けとりますけど…
日本の小中学は、なんと130年前のデザインのままだったんですよ。
学習指導要領は20年に一度づつ、とても良い内容に改定されていますが、その上にある教育基本法のコンセプトが130年前のまま。
※2006年に改正されました
で、その内容が「知徳体の調和した人格の完成」とかいう、ざっくり「とにかく完璧な良い人になりましょう」めっちゃボンヤリしたもので。
このコンセプトは130年前に教育勅語で出現し、80年前の教育基本法の時点でも(天皇陛下のために、という部分は削られたが、このコンセプトは)生き残り、何なら今もしぶとく残ってます。
で、問題は。
教育って、「ウチの国では、子供らにこういう人に育って欲しい」というのがあって行われるものだと思うんですけど。
この「こういう人になって欲しい」がボンヤリしすぎてたせいで、「なんか全てが完璧じゃないといけない」っていう空気だったことだと思うんですよね。
だから、ちょー意味の分からない、変なルールや運用が多かった。
つまり、各関係者の「これをすれば、完璧な人間に近づくはずだ」という思い込みに基づく運用が横行していた。
ボンヤリした内容だけに、130年も機能したことはとてもすごいですが、さすがに実情に合わなくなってきました。
2006年の改正で、そのボンヤリした「とにかく良い人になりましょうね」に上乗せして「公共心」や「伝統の尊重」「生涯学習」「家庭地域との連携」が盛り込まれました。
内容の是非はともかく、「目的」がある程度ちゃんと定まったことで、全く意味のわからない謎ルールや謎な運用は減るんだと思います。
続きです。
会社だと、目的のないプロジェクトなんて考えにくいじゃないですか。
けど、つまりは、そういう感じだったっぽいんですよ。
実際、いま子供が小学生ですが。
私の頃より、先生方は話が通じるように感じていますし、指導の矛盾は少なさそうです。
ただ、生活態度や思想などが評価対象になったので、個人の自由な考え方が規制されている感はあるかもしれませんが、でも、それを言ったら昔の方がその風潮は強かったと思ってます。
謎の、誰の理想かも分からない完璧さを全方位で要求されて、どこに向かえば良いのかも分からないまま、ただ走ることを要求されるより。
今の「コレが理想だからこっちに向かえよ」と示されている方が、まだマシと思ってます。
なぜなら、「理想がコレ、でも自分はこれが良い」という考え方もできるように思うからです。
授業は相変わらず「一番出来ない子に合わせる方式」なのでつまらないそうですが、個人的に、これのおかげで民度が高いと思っているので私は反対ではないです。
(頭のいい人を増やす難しくないが、ボトムアップができている国はほぼない。)
今は不登校などにもめちゃくちゃ理解があり、休んでも学校ではあまり白い目で見られません(地域の年寄りの目は痛いですが…)。
授業内容も総合学習や地域施設の見学、お互いに発表しあう時間などが増え、昔の監獄式よりずいぶん良くなったんだな、という印象がありますよ。
少し地域差もあるような気がして読んでいました。
おっしゃってることはよくわかります。
でも、私は我が子たち、学校をみていて、昔の方がよかったなぁなんて思うことは多々あります。
我が子の学校、あまり遊びのあるペンケースはだめ、キーホルダーだめ、バレンタインもだめ、飾りのあるリボンだめ。。。小学生だけど、ちゃんとしない子が一人でもいるからかなり縛られてます。
そのわりには、給食の並べ方、食べ方の指導はないから、マナーができてない子が多い。
机の中の整理もできない、置き勉させるから、家でのチェックがいらないから癖がつかず、いざという時忘れ物が多い。など。。。
私が小学生の頃、机の中の配置が決められていて、給食時の食器の並べ方も決まっていて、食べる順番も決められていた。
何だこりゃと思っていたけど、我が子たちをみてると、正解だったなって思うんです。
ご飯が左、汁物が右。。。たったこれだけでも身につかない。
食べムラがあるし、嫌いなものが残りがち。
先生の長い話に耐える力もないから、運動会のちょっとした整列もダラダラ、耐えられない子は逃亡。。。
あの頃の厳しさはありがたかったなぁと思うんです。
式典練習なんて、立ち上がるスピードを全校で揃えるの、何回やっただろうか。椅子をならさずに立て、揃ってない、動くな。
すごい厳しいけど、今の子達をみてると、だらしくて、昔の教育とりいれてほしいと思ったりします。
中にはちゃんとやらない子、ちゃんと指導しない先生に腹を立ててる子供もいますからね。
登校する子供を見てると、明らかに遅刻していく子供達が大勢います。
慌てない、見回りの先生と楽しそうに学校へいく。
大事なのかもしれませんが、なんでも認めて当たり前のルールをなんとか身につけよう感がないんですよね。
そんな子達、6年生まで遅刻してます。
頑張らない子は無理に頑張らせないので、高学年になっても、発表が苦手なままだったり、泣き出す子もいます。
そうなれば、
あぁ、そっか!そういいたいんだね!とかわりに喋ったり、諦めさせたり。。。
昔は、どんな子にも、スピーチ発表させる授業があって、私も家で泣いて嫌な思いして発表したなぁと思いますが、昔のそういう場に追い込まれる経験も必要だなと感じてます。
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