人間は、自分の力でものを考えてると思ってるが、何も考えてない。 犬と同じで、餌…
人間は、自分の力でものを考えてると思ってるが、何も考えてない。
犬と同じで、餌をやる時、決まってベルを鳴らすと、ベルが鳴るだけでヨダレが出る。
これと同じことを人間は行ってる。
で、決まってこれを読んでいる人はみな、そんな奴もいるかも知れないねと、自分を除外する。
いやだから"人間は"と書いてるでしょ。
これを読んでるあなたは人間だ。てことはあなたも含まれている。自分事として考えて欲しい。
そんなバカなと思うだろうが、あなたもベルが鳴ると餌が無くともご主人様の下に走ってく犬のように、思考が形成されてる。
その刷り込みを行ってるが学校。
まず、学校に行っていない子は人と上手くコミュニケーションが取れない。それって異常だと思うでしょ?
いや違う。実はそういう子の方が人としてマトモ。自分の好きなようにしか生きれない。それでこそ自分の人生。
逆に、人と上手くコミュニケーションを取る為に自分を殺して、言いたくもない誰かの悪口に付き合ったり、行きたくもないところへ金魚のフンのようにして着いて行く皆んなの方が本来人として異常なんだ。
学生生活を送るうちに、連帯することが正解であると思考回路が構成され、その回路からの指示に従っているだけで、実際のところ何も自分で考えてるわけじゃない。
頭に固定されたヘルメットが如く、回路に従って本心を握り潰すロボットとなる。
これがマトモかだろうか。
本来学校とは逆のことを教える場である。
生徒の能力や心を引き出してあげる教育。
どこかの誰かになる必要はない。自分は自分でいいと自信を付けさせてあげる。
そうすると虐めはなくなる。
自分自身への評価が上がるし、価値観も損なうことはない。得意な分野も見つかる。
なので自殺など考える余地がない。
今の学校は逆に、あらゆる場面で基準値に達していないものは生きる価値すらないと切り捨てる競走の場。
それにより分離が生じ、やがて存在価値を比べて合う、弱肉強食コミュニティが出来上がる。となると、自ずと虐めに発展する。
存在価値を基準にしているので、やってる生徒たちは自分たちこそ生きるに相応しいとし、やられている子を存在価値もない者として見ている。
連帯の中で生み出される命の物差しにより切り捨てを行ってるので、罪の意識が生じない。
このようにバカになるように教育される。
想像してみて。仮に子供たちの9割が学校に行かず、親や近所の人や学のある人物などから学び、1割ほどの子しか学校に通わない、それでいて社会が成り立っている世界を。
学校に通っている子どもに見られるのが虐めや自殺。だとしたらカルトだと思うよね?
現実は逆で、そのカルトが全国に広まり、通うことが義務となっている。ゆえに自分たちがカルトだと気づかない。
マウントを取る人がいたり、煽り運転する人がいる。妻をこき使い、夫を道具として使ったりと、他人を順位付けし勝ちを競う。
そのような暗黙の定義により上の者が支配権を得、正解者であるかのように振る舞う。
この社会はそのような暴力的な思考に染まっている。
と、ここまで読んだところで、そのような人がいるのは確かだが自分は違うとし、誰ひとり自らを疑うことはないだろう。
それが犬が自分を疑わないのと同じ。
間違いなくこの世界を、この人類社会を作った奴は人の習性を知ってる。
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