悲しい思い出
中学1年の頃から私は母子家庭で育ちました。母は姉(当時、中3)私(当時、中1)弟(当時、小学3年)を引取り離婚しました。養育費は無しで収入も低いのに母は敢えて母子手当てなどを断り生活してきました。その為、家は半端無く貧乏でした。電気、ガスを止められるのは日常茶飯事でご飯もお金が無い時はお弁当屋さんで3個入りのおにぎり1パックを4人で分けて食べたりしてました。冬などは電気を止められると寒くて真っ暗闇の中布団にくるまったりしてて凄く子供ながらに切なかったです。今はみんな成人してお金に困らない生活してますがあの頃の事を思い出すと嫌になってしまいます。母も当時から病気がちであまり働けなかったのだから母子手当てを受けてれば良かったんじゃないかなと今更ながら思います。私も結婚し子供も居るけど子供にだけは私のようなひもじい思いはさせたくないです。なんか悩みじゃなくなってしまってすみません。
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お母さんはお母さんなりに考えたうえでの生活だったのでしょう。
主さんには辛く苦しい生活だったかもしれませんが、その経験はとても貴重だと思いますよ。
私も子供の頃、父親の仕事の関係で、お米を食べられないほど貧乏な時期がありました。
お母さんを大切にしてあげてください。
辛い思い出ですね お母さんも子供にそんな思いをさせ どれだけつらかったでしょうね そんなに困っても 手元から離さず育てて お母さんと一緒の生活が出来て 貧乏は つらいけど それには 変えられないものですよね 今の生活に感謝して お母さんを大事にしてあげてくださいね
ありがとうございます 母も辛かっただろうけど私達も相当辛かったです。学校では教材費などお金が無いのでなかなか持って行けず担任の先生に毎日、早く持ってくるように言われたり、授業のノートが使い終わっても新しいのが買えず消しゴムで消して使ったりしてました 通学の靴も前部分が破けて穴があいたのを履いていたので雨の日はそこから濡れて大変でした。なんか切ないですね。
お辛い気持ちは良くわかります。
私も 親の事情があり裕福ではない生活をしてぃました
ですが今、自分が結婚し 食べる物に困らない生活をし 年老いた親をみると 悲しい記憶より親にも幸せになって欲しいと思う気持ちになりました。
私も母子家庭で嫌な思い、辛い体験しましたね…
母子手当てを受けずに… などというのは母親の意地だったりするので、はっきり言って子供の私達にとっては迷惑でした。中学生になる頃には学校の先生が、生理用品も思うように買えてない状況を見かねて、うちに役所の福祉課の方をよこして下さいました。
母をうまく説得してくれ、多少貧しいけど人並みな生活になりました。
主さんが思い出すと悲しくなる、という気持ち、わかります。
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