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馬鹿になれの意味
ビジネス書の棚で「馬鹿になれ」とか「馬鹿になれる奴が成功する」とかいう本を見かけた人はいませんか?その後古典落語にもこの言葉は出てくるので、かなり前から言いふるされてきた言葉のようです。しかし私はこの「馬鹿になれ」が具体的にどうなれと言っているのかさっぱりわかりません。例えば堀江もんが、馬鹿に見えるとして、その教えは馬鹿のふりをしろと言ってるのか、いやいやさっぱりわからないのです。お分かりのかた、解説して下さい。
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1さん、スポーツなら私はすぐ納得いったと思うんですよ。でもそういう意味かも知れませんね。 2さんのいうように、この言葉は、「プライドを捨てる」とも取れます。だからこそ私はこの言葉に違和感を持つのです。野球馬鹿はプライド捨てているわけじゃないですよね。そうすると、本来はどういうつもりで言ってるの?と真意を問いたくなるのです。いま思いついたのですが、この言葉ってたぶん古典落語の作られた時代には特定の意味として通じていたのが、その後ビジネスコンサルタントが自己流の意味をつけて引用し始め、各文脈が違うし意味も違うのでそのうちホントの意味が確定できなくなった万華鏡のような変な言葉だと思います。だって仮に解説抜きに2さんが1さんに馬鹿になるといいよと言ったら、頭のなかで違うことを考えて話してることになります。
3さんは前向きに語感に違和感がないんだなあとは思います。私の真意はビジネス書に使うことへの違和感なんですよね。なぜなら、実際にはイチローも松坂もただひたむきなわけではなく、用意周到です。いまの時代様々なことにめくばりせずに専門馬鹿、つまりほかの分野の事は、一つ事に打ち込んで知らない、例えば環境への配慮やコンプライアンスについて知らない事でいいでしょうか。美術家なら、3さんのような感覚は共感するのですが、一般的仕事では言葉通り実行したら、民主主義に考えを致したり、人情に考えを致す人間にはならないと思います。
それぞれになかなか前向きに良い考えを思い浮かべるたたき台にはなってますね。しかし違う解釈の人同士が、会話に引用すると、なんかわかってないなあ、ということになります。私の友人がおじさんに「馬鹿にならなきゃいけない」と言われた、と言って納得していました。愚直に取り組む。プライドにこだわらない。軽く、ものごとにこだわらない、どれの事だよーと思いました。だからこれはコミュニケーションで使うのではなく、書物のなかで読んで各人が良い解釈を与える言葉かなあ。
馬鹿になれとは、
「周りの目などを気にせずに、自分の信じた事をひたすらに追求して行け」
ということです。
周りからは滑稽に見える事は、裏を返せば誰もやらない事をやることですので、そこにチャンスは転がっている。
馬鹿だと思われるんじゃないかと周りの目を気にすると、何も出来なくなり複数の中に埋もれ、積極的に行動出来なくなるということですね。
馬鹿になれとは自分の信じた道を突き進めという意味ですよ。
スポーツやビジネスに限った言葉じゃなく、どんな分野にも共通している、何かを成し遂げようとするときに必要な言葉です。
スポーツではアントニオ猪木が言ってましたね。
猪木を例にしたその解釈が、本来の意味のような気がします。しかしですよ、果たして他人から見て「馬鹿だなあと思われることをしたから」人は成長したんでしょうか。松坂、イチロー、その他実業家や有名人で当て嵌まるのは二割を切ると思います。そういえば、馬鹿になる、といった友人は、ジュースを買ってきて、自転車に積んで浜に売りに行きました。私は「馬鹿だなあ」とは思わず、商売の心構えの練習なんだな、としか思いませんでした。本人にしてみれば猪木の言った意味の馬鹿のつもりだったかも知れません。だが見る目のある人ならのちに成長する人の行動は完全に馬鹿には見えてないものです。でもこの解釈が合ってるんだと思います。そして共感しないなあ。
15ですが、その友人の行動は馬鹿になれの意味とは少し違います。
馬鹿になれの馬鹿はさほど重要ではなく、あくまでも信じた道を突き進むという意味です。
イチローは自分の野球哲学を信じ突き進んだのです。
馬鹿にこだわる必要はなく、自分の信じた道を行くのです。
>17 その解釈も捨てきれません。猪木の場合、否定されるかもしれない行為をするんですが、17さんの言ってるのは「余計な事を考えない」に重点があります。社会や政治の矛盾に一旦思考停止しなさい、ということなんですよ。私はこの解釈かもと以前に考えて、嫌な感じしました。
私もその友人の行動があった時、実行、とにかく実行するんだということなのかなと思いました。その時からいままでもっともこだわったのは、思考停止せよということなら、一生間違えるぞということでした。その友人が、ではなく、おじさんやビジネス書の言葉をまに受けたら、です。しかしひょっとしてその解釈かも知れません。わかんないな、皆さんいいこと言ってるんですが、語源事典のようなものはないんですかね?
新卒に対してなどの馬鹿になれは、最初は何もわからないから、とにかくがむしゃらに頑張って向上しろ。とかですかねぇ。
ビジネス書などは、やはり誰もやらないことをやればビジネスチャンスが掴めるなんかでは。
どうですかねぇ…
ビジネス書読みました?
吉田松蔭の言葉でしたっけ?権力やタブー、しがらみや常識に屈することなく、捕われずに言うべき事を言う。やるべき事をやる…て事でしょ?坂本龍馬が良い例では?要は普通なら要領よく自分が損をしないように立ち回ることが「賢い」わけでその逆ですね。松蔭も言ってたはず…「馬鹿になるには才能がいる」と。既成概念を打ち破る時、改革を行う時に必要な才能ですね🐱小泉元首相もそうだと思います。
いちいちごもっともで、初心に帰る心地がしますが、いまより単純だった江戸時代ならともかく、このキャッチフレーズでは、ご覧の通り多様な解釈が出過ぎるんだから、やめてくれよなと思いました。ビジネス書はとくにそういう題名の本は立ち読み以上には金を出す気にはなれませんでした。仮に買ったとしたもここに書いて下さった方々のどれかでしょう。本にまですることかなぁと思うし、そのおじさんにはがむしゃらにやってみろと言ってほしかったな。私の語感では瞬時に皆さんの解釈が駆け回り、腑に落ちないいらいらが残ったから、聞いたんです。やっぱりなんでもありの言葉ですね。
吉田松蔭や坂本龍馬がそうでしたか?言われてみると相応しい気がします。彼らは自分自身の損得を勘定にいれなかったような気がします。日本人は彼らのような意味の「馬鹿」からは遠い心の在り方になった気がしますね。私自身は松蔭とこの言葉の関係を失念していたので、大変参考になりました。古典落語にでてきた馬鹿になれは商売に関してです。どう考えても、松蔭や龍馬とは同じにできません。ということは日本人はこの言葉の逆説的ひねりがすきなのかも。
考えてみると江戸時代の馬鹿になれは、非常に激しかったりラジカルに損得を超越して、とてもひたむきなのでしたが、現在あまりにそれをいうことはテレビ文化や何事にも学生運動があるわけではない現在ではリアリティを持たないのに、ビジネス書なんぞで薄めてつかうなよ、というつもりだったかも。
自分は二つの意味で解釈してます。
一つは「利口になるな」。利口とは狡賢いという意味も持ってます。狡賢く小さくまとまるなという解釈。
もう一つは「自分を賢いと思うな」。自分は賢く、正しいと思っていては柔軟に周りから学べない。自分は馬鹿だと思い、自分をも疑う程の広い視野を持ち学べという解釈です。
逆説的ではありますが、私なりの解釈を…
バカになれ=利口になれ
バカになるのはバカには無理だと思うんです。
まず利口になる。いろいろ自分なりに調べたり学んだり。
その上でのバカになることが大事だと思います。
悪い言い方をすればバカのフリ。でも…あくまで自分の世界、世の中には自分が知り得ないことってたくさんあると思う…そこを引き出すために、知ってるって自信に凝り固まらず、もっと深くを知っている人から教えを乞える状況を作れる人こそ、真の知識を得られるんじゃないかなって。
言い換えれば、バカになれ=控えめな気持ちを忘れるな、脳ある鷹は爪を隠すみたいな感じかな。
そうすればもっといろんなことを学べるよってことじゃないかと、私はそう思ってきました。
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