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昔の日本は自民党と社会党で別れていた。東京や沖縄一部の都市では、例えば、東京は民社党や公明党、京都や沖縄では、共産党であったが、地方のほとんどは、自民党や社会党

No.1 20/11/15 10:35
匿名さん1
あ+あ-

少々手直し

>昔の日本は自民党と社会党で別れていた。

いや、別に「別れて」はいませんよ。今の米国のように。

農家や自営業者、経営者は自民党に、労働者は社会党に投票していただけで、
双方共に党員はあまりいませんでした。

>…沖縄では、共産党であったが、

本土復帰まで沖縄には共産党はありませんでした。
本土復帰を機に沖縄人民党が日本共産党に合流したのです。

>なぜ、社会党が得票していたか、自民党の半分の議席は、社会党で占めていた。

総評の動員のお陰です。社会党は総評の「政治部」でした。
国労、日教組、自治労、全逓、…
「昔陸軍、今総評」といわれたほど、かつては総評、
つまり日本の労働運動は強かったのです。

>共産党が地方で躍進して、

70年代の「革新高揚期」です。革新自治体があちこちに出来ました。

>社会党が力があった理由は若者のエネルギーが、政治に向けられ、…

社会党が強かったのは総評が強かったからです。
総評が強かったのは官公労、つまり公務員労組が主体だったからです。
公務員だからクビを切られないので…。
つまり労働者の中でも「特権的」労働者の労組だったのです。
その後の民営化の中で徐々に活力が失われていきました。

「若者のエネルギー」といえば、70年代初頭までの学生運動を想起しますが、
学生運動が社会党の力と直結できるかは議論の余地があります。

因みにこの学生運動の主体=団塊の世代が現在のマスメディアで指導的地位にいます。
最近のマスメディアが偏向しているのは彼らのせいだと思います。

>あのときの若者にも情熱と夢があった。
>しかし、現在、村山富市の後、社会党は社民党と名前を変え死んだ。

現実を知って幻滅したということでしょう。
空想でしかない「夢」を語ることは詐欺と同じです。

>シールズという、組織を作るも長続きしなかった。

シールズ、どこ行っちゃったんでしょうね。
昔も似たようなものがありました。「全共闘」。どこ行っちゃったんでしょうね。

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