神慈秀明会
どなたか、神慈秀明会という宗教団体をご存知の方はいないですか?
妻が数年前から信仰始めたのですが、いろいろと?と思う事が多いのです。
昨年の地震以降、義援金の名目で、今まで以上にお金を巻き上げます。
その地震で亡くなった方に対しては、お光(この宗教の中で大切な御守り。肌身離さず首から下げる事で、災厄から身を守ってもらえるとの事)を付けていないから亡くなったと言う。
かなり頻繁に参拝しないといけない。その度にお玉串(漢字違うかも)という名のお金を毎回納めないといけない。
上で書いたお光は布袋に入っていますが、汗等で汚れると替えてもらわないといけない(自分では替えれない)。交換の為にまたお金…。
…等々、とにかくお金がかかってかかって仕方ないんです。他にも、その宗教の思考とかにも?と思う事が多いんです。
この宗教について、何か知っている人はいませんか?
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私の地域で[お光さん]ありますが、このカルト宗教の事かな?ここも金金金…です。
駅でバス待ちしてたら「済みません御時間十分くらいでイイので目を閉じて下さい」とデコに手をかざして、なんかブツブツ言ってました(私断りましたが、他の人がされてるの見ました)。
帰宅して、あれは何かと両親に聞いたら[お光さん]だと。
携帯用Googleで『神慈秀明会』でググってみたら被害者サイトにリンクしてるサイト?がありました。
奥様がその宗教にはまっているということですが、お布施の出所、主さんのお給料からなら、お財布は主さんが握った方がいいと思います💧
あと、夫に内緒で借金つくってお金工面している場合もあるので、借金には注意しておかないといけませんね💧
手かざし系宗教は元祖の団体の弟子達から分派して、元祖を含めて沢山の団体があるらしいです。
健全な運営がされている所もあれば、社会問題が多い所もあるらしい。
あなたの所の団体の事は知りませんが。 自分ところの運営を再度に見つめなして今後に生かすのも宜しいのじゃないかな。
少なくとも元祖団体の教祖は家庭訪問して、戦後の薬も充分でない時代に、人助け目的で純粋に手かざしてやって回ってたとか?と何かで読みましたよ。
宗教は良し悪しだけではなく、その人自身の肌が合う合わないがあるなら気楽に信仰すべきだとは思いますね。
神道系のカルト(新興宗教)
大本教の幹部 岡田茂吉 が起こした世界救世教の中で最大のグループに成長し
1970年に独立『世界救世教秀明教会』と名乗る。後に、改名して現在の名称に…
本部:滋賀県甲賀市信楽町に30万坪以上の神苑(境内)を持つ、信者数35万人の神道系教団。
浄霊・手かざしを売りにしている。
世界救世教を踏襲している
>>8さん 手かざしとは
サード・アイ・チャクラ(誰でも持っている第3の眼)のパワーを導き出す事だと思いますが
凡人の我々に簡単に出せるパワーなはずはありません。
町で声をかける信者が皆、持つなどと言う事はありえない
前の旦那が信者でした
親に強制され、先祖の仏壇を押し付けられ‥勧誘させられたりでイヤになり遮断した時もあったようですが、ほったらかしにすると寝てる時に仏壇に引っ張られたり、怖い思いをしたそうで又やりだしたと聞きました
霊感があったみたいです
インチキ宗教でも手を合わせれば怖い思いをしなくなるもんなんだ😲と不思議に思いました
でもやっぱり金💸カルト宗教ってトップに立ってる人の素性明かしてなくない?
創価も統一教会もオウムも日本人を騙して理由する、反日外国人が操ってますよ
元旦那の親は自己破産して、しょっちゅう三千円でも五千円でも貸して~と来てました
困ってる時に助けたのは宗教じゃなく息子なのに、手柄は全て宗教⤵オセロの中島さんをいい教訓にしましょう
11サードアイチャクラって何ですか?
ヨガですか?
私は手かざし系宗教の信者ではないから詳しくは有りませんが、
それより、少し違ってるように思える貴方のレスがありました。
手かざし系宗教の本社と支店の話です。⬆
本社と支店なら同じ会社であり法人は同じになりますよね。
しかし救世教の教義そのままを写したように教義書も同じ、法人格も同じと言う分派団体はそう数は有りません。
また救世教が認めてる分派団体でない団体は支店でもないですよね?
支店でも、暖簾分けでさえもない団体がほとんどです。
あくまでも救世教の手かざしノウハウを利用して、教義書は全く別の新しいのを書いて、
法人格も包括法人ではなく、
全く別法人でしょう。
本社と支店なら集められた金は一度は本社に行きますよね。
支店長の手にあるはずがない。
またフランチャイズでも有りませんよね。
フランチャイズなら救世教事務局に上納金されますから。
だから本社と支店は違うと思いますよ。
教義くらいに似てたら良いですが、教義も独自性が起こってるようです。
元祖は単に自然療法と手かざしが単純に好きだった人みたいです。
分派は今となっては経済的にも法的にも、教えさえも全く関係ないと言うのが実際だと思います。
あくまでも独立分派団体がほとんどみたいです。
まあ主さんの奥さんの団体については知りませんが。
>>15さん 神慈秀明会の教祖は救世教の岡田茂吉を立てたということで
“支社”と言う表現を使いました。
内部の人間ではないので評論家的な発言になってしまいます。
それから、サード・アイ・チャクラとは…
私達人間もカマキリやトカゲの仲間のカナヘビも八目ウナギも皆
第3の眼を持っています
カマキリやカナヘビは、
『頭頂眼』つまり頭のテッペンに3つ目の眼があります。
私達人間は、その頭頂眼が中に入ってしまい
脳の一部となって
セロトニンの調整により、生体時計を刻んでいます。
インドの女性が額にヒンディと呼ばれる印を付けますが
あれはヒンズー教の第3の眼の名残り(シヴァ神やヴィシュヌ神の額に描かれている、あの額の眼)だと言われています
一説によると、訓練によって
その第3の眼(サード・アイ・チャクラ)を目覚めさせることが出来ると
特別な(超人的な)能力を身につける事ができる様になる可能性があると言われている
マインドコントロールされたら大変。早く脱会させないと・・家族崩壊になる場合もあります。うちの隣の人も、宗教で知り合った方の連帯保証人になって、家も土地もアパートも手放して出ていかれました。宗教は助けてくれませんよ。
⬆11さん、
ただしかし人間と爬虫類や昆虫とは種が違うはず?
人間も爬虫類も昆虫も確かに大昔は海の中にいたそうですが、
しかしセロトニンを出してる?
或いはよく使う脳の部分?は、
脳であり眼球とは違うし、
あと第三の目を予知とかの話にしても、
それなら大脳の前頭前野って事で、
大脳や前頭前野は、退化ではなく進化で後から出ましたよね?
あと小脳の話なら、それは扁桃体だろうと思いますが、
扁桃体は退化してなくて、
好き嫌い判断するのに今も利用はされてますしね。
神秘的な話で面白いですが。
よく言う脳内レスプターを解放したら幻覚などが出るとか言いますが、
あれですか?
A10神経と脳内伝達物質との関係で、
レスプターの解放の話でしょうかね。
チャクラって言うより神経の話でしょうかね?
それより貴方はチャクラとか言ってますが、
ヨガが好きなのかな?
それ系の宗教の方ですか?
ちなみに救世教と私は全く関係ないし、行った事もないですが、
支社や支店は違うのです。
まあほとんどの宗教団体は教義を学んで、教祖に反発して独立しやすい訳ですが。
だいたい宗教ってのは、元々どこかの宗教の支部やってて、それで教祖と意見対立して、支部長が神がかりになり、新しい教祖になって、支部会員共々が丸ごと独立する訳です。
例えば日蓮を信仰している霊⭕会から、霊友会の一支部が支部長を教祖にして独立して立正コ⭕セイ会が出来ましたよね。
それと同じです。
救世教も同じで、観音信仰と手かざしのノウハウは同じでも、全くの他組織と同じです。
救世教じたいの良し悪しも知りませんが、
少なくとも救世教からも沢山の分裂組織は有りますね。
だから似ていても活動内容が違って来るのです。
救世教も大本と言う宗教から分派したのですが、
大本は手かざしはしないし、別って感じでしょうからね。
まあその辺りは主さんも抑えておく必要はあると思ったのです。
主さんに言える事はその宗教に疑問があるなら、まずは一度はその宗教の指導者や知人や周囲に疑問をぶつけて本音を引き出して聞いて冷静に判断する事でしょうかね。
まあただし基本的にお金のかからない宗教はまずないしね。
結局は献金やらが無理した額かどうかが問題なのでしょうね。
>>18 私も、つい最近偶然
10年以上前に録画した古い番組を見直したのです
録画した時は、右から左に面白おかしく流していた
『解体新ショー』という番組を見直してカルチャー・ショックを覚え
直ぐにWEB検索して見たのです
そうしたら、人間にもある『第3の眼』が真剣に研究最前線だったのです。
しかも、この第3の眼を培養して肉眼を作り出せる可能性も出て来ているという。
昆虫や下等動物には頭頂眼として現れている第3の眼
高等動物には、脳内で働いている事実が…
そもそも、我々人間の遠い祖先を辿って行くと
“一つ目”の『ナメクジウオ』という生物に行き着くというのもショックだった。
それから、第3の眼が脳内に沈んだのは
決して退化などではなくむしろ進化と言えるものですのですので…
悪しからず!
家族入信です。昔、本部奉仕に行ってました。
ですが、私は数年前からお光はしてません。
理由は話せば長くなりますから…。
入信して20数年ですがその間に色々ありました。私はもう関わるつもりはありませんが、母が世話人なのでなかなか…💧
元旦那は信者ですが、離婚しました。今は信者ではない人と再婚しました。現旦那は私が信仰していた事は知りません。今後も打ち明けるつもりはないです。
熱心に活動していた頃より、心が穏やかで幸せです。金銭的にも今の方が余裕があります。
でも、恐らく今の奥様に何を言っても無駄だと思います。
マインドコントロールは簡単に解けません。
11さん、松果体は聞いた事ありますね。
仏像にも額に目がありますね。
手かざしの先生方は松果体を使うって事でしょうかね。
まあ本当に第三の目が開発されてるのかどうかは知りませんが。
貴方が言うには第三の目が開発された人は殆どいないらしいですよね。
貴方は開発修行でもしているのでしょうかね。
手かざし系は手からビームみたいなのが出るらしいですよね?
どちらかと言えば鞍手に近いと思いますが。
気功やレイキに近いと思います。
貴方が言うのはどちらかと言えば、神通力だとか予知能力だとかと思いますよ。
手かざしは念力の類ではないと思います。
まあ手かざしをした事がないから、第三の目の力との共通性や相違も知りませんが。
まあ手かざし系は手かざしだけの信仰だから、平等と言えば平等でしょう。
誰でも手かざしは出来ますからね。
だからこそ分派団体が多いと思います。
手かざしは覚えたら明日からでも誰も出来るでしょうから。
第三の目は誰もが開発されるとは思えませんね。
だから共通性は疑わしい。
手かざし系は気軽
第三の目は難しい修行が必要でしょう。
松果体ですか。
なるほど。
>>22さん お待たせ
第3の眼が額にあるのは正確には
仏像というよりヒンズー教から取り込んだ仏の守護神(阿修羅や十二神像)などですね。
だから、ヒンズー教のヴィシュヌ神やシヴァ神の額にハッキリと付いている訳です
あと手塚治虫の漫画
『3つ目が通る』
という面白いマンガがありますので探して読んで見て下さい。古代人類『三つ目族』の末裔写楽保介が怒ると額の絆創膏が取れ第3の目が現れ超能力を発揮するというストーリー
さて、本題に戻りますね
手かざし宗教の手かざしは本当に能力を発揮しているかどうか怪しいものですね。
お母さんの「痛いの痛いの飛んでけ~」以下のレベルだと私は思っています
第3の眼の神通力が使えたのは、『虚空蔵菩薩求聞持法』を室戸岬で習得した空海(佐伯真魚)と釈迦牟尼だけと言われています。
最澄が中国から帰国後、密教の習得を忘れた事に気付き、慌てて空海の弟子になるので、求聞持法を始めとした密教を教えて欲しいと頭を下げた事は有名だ。
しかし、空海は、密教の習得は「経を学ぶのとは訳が違うので自分の身体で体得しなければ修められない。
だから教える事は出来ない」と断った。
それを根に持ち、以後、天台~日蓮一派は真言宗を目の敵にしている歴史がある
それ程、第3の眼を開かせるのは至難の技だ
>>24さん 売れりゃいいの視聴率稼ぎのTV局に責任あると思うな
スピブーム演出して番組作り
放送局関係者は誰も信じていないのに
視聴率稼ぎの為にブームを利用する
腹のうちではせせら笑って見ている。
そんなに簡単に猫も杓子も超人的な力が
凡人に身につくわけがない。
ましてや、始祖の釈迦牟尼が神通力を用いて人心を惑わす事を禁じた仏教系で、
インチキ行為が盛んに行われているのを見て
さぞかし憂いていられるだろうね
⬆お母さん痛いの痛いの飛んで行け~は…
かなり面白い見解かもしれない。
安っぽい漢方や民間療法以前かもしれないとの見解ですね?
それが真実で当たってるのかな😂
しかし救世教の元祖教祖は民間療法や自然療法をやって、西欧医術を真っ向から否定して、それこそ香具師扱いされて戦前に既に逮捕された歴史はあるみたいです。
香具師とは非常に上手い言い方ですが。
しかし香具師とは江戸時代は漢方医であり、それなりに効果もあった。
例えば救世教の元祖教祖は西欧医術の問題を薬漬けの薬毒と判断し回避すべく、どうも自然治癒力に目覚めた漢方系の人であったと思います。
その自然治癒力を引き出す為に自立神経をコントロールするために、手かざしと言う迷信と勘違いされる宗教医術を編み出したのかもしれない。
私の友人に手かざし系分派がいましたが、
神前?仏壇?のお供えの御水を飲んで病気を直すみたいな事をしてたのがいた。
レイキも気功も確かに昔から存在する迷信か、自立神経矯正か、奇跡かは知りませんがあり歴史はありますが。
一方で最近のスピブームは確かにミニカルトを増やす原因にはなっているとは思い憂慮します。
その点に比べたら昔の宗教団体は組織性があり、一定の規範があり、ハレンチさが無かったとは思います。
これは手かざし系団体にも言えないかな。
正直に言えば私の見解としてはミニカルトより宗教法人の宗教団体の方がまだマシとは思ってますね。
今回の某お笑い芸人の洗脳問題と良い、ミニカルトのひどさに比べたら、宗教法人はまだマシかなと。
宗教団体は大きな団体ほど刑法に引っかかるえぐさがないと思います。
だから主さんの悩みはまだ社会的に見てもトラブルとしてはまだマシであり、
本当の宗教トラブルはミニカルトにあると思います。
同じ手かざし系でもレイキや気功に似た、
得体のしれない、スピ系ヒーラーが最近は増えていると思います。
セラピーだとか、占いだとか、ヒーラーとか宗教法人がないミニ集団や商売人の活動は世の中に沢山増えてますが、
やはり宗教法人はそれなりに国に監視はされているので、民事トラブルはあっても刑法犯は少ないしね。
しかし宗教法人でも最近の団体には刑法に引っかかるのも、
ここ20年位は増えたかな。
一概には言えないかな?
とにかく主さんに言えるのは宗教は無理しない方が良いと言う事かな。
スピ系は某霊能者や某占い師がテレビに出なくなってから活動が見えなくなって来たかなあ?
一時期はミニ集団も含めて、ヒーラーや癒し系や霊能者やと、ある意味で世間の隙間を埋めるように、あちらこちらに存在していましたけどね。
雑誌も沢山あり、そこには自称霊能者やヒーラーが沢山広告を出してましたね。
前世、オーラ、チャクラ、占い、ヒマラヤ、あらゆる言葉を共通語として、スピリチュアル分野があり、その頂点がテレビにも進出して大騒ぎしていた。
まあ一定の面白みはあった時代だけどね。
私は某霊能者や某占い師が毒づくのをテレビで楽しみにしていましたけどね。
嘘と真実の比率はわかりませんが、神秘世界は人に余裕や希望を与えるのも有ります。
例えば世間で騒いでる某政党系宗教の人々も、あれをしてたら希望が持てるからやっているのではないかなと。
だから辞めろとは言えません。
しかしネットが世界を変えたと思います。
得体のしれない自称霊能者やヒーラーなどスピリチュアル系は、
すぐにネットで噂されて叩かれる時代になりましたからね。
だいたいしかし一定の知性はあったとは思いますが、霊⭕会 も、創⭕⭕会も、元々は街のオガミ屋や講など、ミニ集団からスタートしていますからね。
今はネットなど科学が発達したから神秘的な事を受け入れる人は非常に減ったと思います。
その代わりに、UFOなど宇宙分野に神秘性を求めるのも増えつつあるのじゃないか。
自分は宇宙人と会話出来るとか。
宇宙人をよく見るとか。
あと宇宙人が来るとか。
いや既に宇宙人は隠れて共生しているとか。
あと何より未来人と 言うのも有ります。
ジョンタイター?だったかな。
未来人がネットで話して来るとか。
スピリチュアルも霊から宇宙になりつつ有ります。
その点から言えば仏教系宗教は時代から少しずつ遅れて来ていて、だからネットで非科学的に言われて批判される。
批判されるから信者も信仰が、ぐらつくと言う事かな。
11さんみたいに空海や釈迦を純粋に信仰する人は減ったと思います。
空海は密教であり、ある意味で非科学的要素が強く救世教元祖と似た部分は有りますね。
大昔から昭和くらいまでは病気を癒やしたり治せる人が宗教家でしたからね。
しかし今は薬事法があり。
神社や寺の祈祷も医者に掛かって下さいと注意する時代です。
今はナイ!ナイ!
細木にしても、宜保にしてもスピ系はみんな
問題を起こして
消えていってる
スピ系カルトも、もう少し、皆が依存体質から遠ざかる様に目が覚めれば…
日本人は、国家に依存し
国家に裏切られと今度は
カルトに依存して行く。
振込め詐欺もそういった日本人の弱い心理を研究しているから
次々と意図も簡単にフッシング出来る
群集心理に流され安いのが日本人の特徴と言える
>>28さん ハンドパワーは
本来すべての人が多かれ少なかれ持っています。
医療用語に『手当て』
というのが、ありますがあの言葉は、例えば
お腹が痛い時に、無意識のうちに誰でも、お腹に“手を当てて”いる。
ヤケドしかかった時
「アヂッ」と言って耳たぶに手を持って行くのも無意識に耳たぶが人間の身体の中で一番温度が低いのを
誰にも教わっていないのに知っているために
無意識に“手当て”する行動だ。
それらはシャーマンや呪術の時代の医療でした。
そういう歴史があるからハンドパワーそのものは全くインチキとは思いません。
しかし、信者になるだけで次々に大量生産されるのがおかしいというのが私の見解です。
現代の香具師はアロマセラピーがその部類ではないかな
人間の身体は不可思議で暗示にかかると自分で自分を治癒してしまったり反対に大怪我を負わせたりする事が実験で明らかになっています。
被験者に「これから真っ赤に焼けた火箸をあなたの太腿に当てる覚悟して下さい」と言って普通の箸を当てたらナント!
被験者の太腿に2本の火脹れの後がクッキリ。
また、色々な薬を処方してもなかなか良くならない患者に
「これから処方する薬は海外の大変高価な手に入りづらい薬です」と言って処方したらアラ不思議ケロッと治ってしまった
これは『プラシーボ効果』を説明する為の有名な逸話です
えーでもネット特にSNS系サイトとかアメブロとかでも商売してる方居ませんか💧一回 遠隔だっけ❓曜日時間指定で遠隔で一斉ヒーリングしますのでって方が沢山居て、軽い気持ちで試しにしてみたが何も感じない。しかも、その方のヒーリング受けた方達のコメントには風が吹き天使やらマリアやらが現れていつの間にか眠ってました。とか感謝してるのにビックリ😲自分は霊でも不思議な力でも身を持って実感しない限りは信じないし疑いの眼差し😒
プラシボー効果って言うのが一般的な見解だとは思いますよね。
これは私も半信半疑で先にレスしましたが。
しかし手かざし系は民間療法でありながら、宗教でもある訳で、言うまでもなく宗教である以上は、奇跡って事を主体にしているから、完全にはプラシボー効果の民間療法と断言してしまうのも良くないと、今、思いました。
例えばですが救世教元祖や主さんの分派団体教祖も神秘体験をしているとかも有り得ないですかね?
それを思い込みだとか錯覚としてしまったら、もう議論は科学的に終始して終わってしまいます。
やはり私は少し怪しい宗教やスピリチュアルや占いでもギリギリまでは信じてやりたいとは思ってます。
11さんは釈迦や空海の神秘的な物は信じてる訳ですよね。
そこには最終的には科学的根拠はない訳ですよね。
なぜなら釈迦や空海は現存してないから、全て経典や歴史記述でのみ知りうる訳ですから。
現存する宗教家やスピリチュアル活動家が歴史的宗教家より不利なのは…
今、そこにいる人だからカリスマ性さえ損なうと言う事です。
案外、救世教や分派団体の人々は…
何千年後にはエスパーみたいになってるかもしれない。
確かに一般的科学的根拠から言えば、プラシボー効果で良いとは思います。
ただ断言するのは良くない。
宗教やスピリチュアルを扱う時は少し緩みを作る必要性があると思います。
プラシボー効果だとは思うけど、しかし手かざしは奇跡秘技かもしれない場合もあると私は最終的には言っておきたいですね。
11さんの言う手当てって見解は非常に語呂合わせになってて上手いとは思いますよね。
ただ手当ては…手当てするだがら、手かざし系には美味しい語呂合わせになってます。
「やはり手当てするには鞍手するなど手かざししないといけないんだよ~😠」って言い出してくると思います。😂
11さんは釈迦や空海なら手かざししても効力は出せるが、一般人には無理と思っているようですが。
それは裏を返せば、釈迦なら解脱出来たけど、一般人には解脱は無理と言うのと同じになってませんかね。
釈迦は解脱は一般人も可能だと思ったから布教した訳ですよね?
もし自分だけが解脱可能なら布教より奇跡だけをして回ってたら良い訳ですから。
やはりそれと同じで救世教や分派団体も、その奇跡秘技を一般人にも可能だと信じてるとは思います。
確かにスピリチュアル活動家には、24さんが言うような、少し迷信と言うより、個人的な思い込みが強い人々はいますね。
ただスピリチュアルの効果ですが、すぐに出るとは限らないかもしれない。🙏
その効果が出る頃には、その人は既にスピリチュアル体験をしてた事すら忘れているかもしれません。
宗教やスピリチュアルの効果がすぐに出たら良いですが、
漢方薬でもそうですが徐々に出てくるかもしれない。
だから私は完全に効果はないとは断言は出来ませんね。
あえて言うなら興味がない。
興味がこれ以上は起きないって結論かな。
現実に神社やお寺に合掌した時にその効果がすぐに出るとは限らないと思えますよ。
そう簡単に願い事が通じたら、この世の中は自我欲望のオンパレードな社会になります。
スピリチュアルも私は本当に能力もある人はいると思います。
あとスピリチュアルには、💯100%の力ではなくて、30%くらいの能力の人々も多いとは思ってます。
だから半分くらいが発揮出来て、あとは一般人と同じで何も不能で無理みたいな。
余りにも今の時代は人々が早急に結果を求め過ぎるのが良くないと思いますよね。
確かにテレビなら、データボタンを押せば、すぐに天気予報が画面に出現しますが。
しかし神秘領域ってボタン押したようには結果は出ないとは思います。
だからスピリチュアルは世間に潰されていくし、また無理したスピリチュアル活動家が人々に合わせ過ぎてペテンに走ってしまったのだと思います。
無理な物は無理と明確に言えば良いし、また時間が掛かるなら話しを受け流したら良い訳なのですがね。
主さんの手かざし系宗教もそれは同じでしょうね。
>>33への返事 手当ての能力は大小の差こそあれ誰にでも備わっている能力だと認められている。 ただ、その能力差を生み出す要因に、“愛情”が介在すると言われています。
相手に対する愛情が深い程効果が高いと…
だから母子やLOVEラブ中の恋人同士とかでの“手当て”は効果があると言われている
話しは変わって
釈迦や空海の話が出て来ましたが、
空海は良くわからないですが、
2500年以上もの昔に述べた釈迦の言葉が
現代の天文学や量子力学の研究から正しい事が証明され出しているから
凄い!
まるで、素粒子の世界から大宇宙まで、まるで見て来たかの様に表現されている。
さすが、『0』を発明したインド人はただ者ではない。
だが、33さんが解脱を持ち出されたが、
釈迦の解く『解脱』はそんな超常的なものとは違います。
だから、「修行によって誰でも解脱(輪廻からの離脱)できる」と言っているんです。
釈迦の言葉よく噛み締めてみると
解脱に至る修行の中身はまず、「戒律を守れる修行僧(菩薩)でなければ、在家信者では戒律が守れ無いから非常に難しい」と言っている、しかし在家信者も努力は続けなさいとも。
“では何故、戒律が守れないと難しいのか”
解脱は輪廻を断ち切ることを目指している
だから、修行僧の女犯(結婚)を禁じている。
私は「何故、女犯がいけないのだろう?」と考えて見た。そして1つの結論を得た。
輪廻を断ち切る(解脱)とは即ち、遺伝子(DNA)の継承を断ち切る事ではないのか? と
子孫を残す事は即ち、自分の分身を作り生き続ける事。 これでは永遠に輪廻を断ち切る事は出来ない。
だから、あえて結婚と言わず『女犯』(いかなる形でも女性と交われば子孫が残る可能性が高い)と言ったのは
そのためではないかと…だから、在家信者には至難の技という事になる。
⬆なかなか面白い意見ですね。
少し話しが戻りますが、手かざし系が本当に力を発揮するには、釈迦や空海レベルでないと本領発揮出来ないし無理と先に言われたから、話しを持ち出したのですが。
あなたが言う母性愛の話しはなかなか良い話しだとは思いますが。
ただプラシボー効果云々の意味でも、やはり他人の手かざしも良いと思いませんかね✋💫
なぜなら愛情があっても親が鞍手するより、宗教家や先生がやる方が威厳があり効きそうな感じがしませんかね。
親がさすったら子供は安心はするとは思いますが。
大人の場合は恋人がさするより、誰か先生がやる方が凄い感じがあると思いませんかね。
それが手かざし系の全てだとは思います。
手かざし教祖が鞍手した場合は、その威厳でもって相手は自力神経が安定化するとも私は思います。
まあ手かざし先生は本当にビームか何かを奇跡を発してるかもしれない。😨
だから私は半信半疑だけど、プラシボー効果だとは断言はしたくないのです。
あと釈迦の解脱の話しですが。
少し話しがずれて来ましたが。
釈迦は出家前に結婚して子供がいると言われたのです。
出家前にやる事はやって、それから出家したので子供がいますしね。
ラーフラだか言う子供がいて、後に釈迦の弟子になってますが。
むしろ遺伝子バラまき云々が解脱に直結するなら、
釈迦は解脱しておらずになると思います。
ちなみにラーフラには子供がいないらしいから、解脱者はラーフラになりませんかね。
まあ貴方の提示した話しは非常に仏教でも議論がされて来た話しだと思います。
情欲が解脱の妨げになるからと、一切結婚しない小乗仏教もあれば、関係ないと結婚する大乗仏教も有りますよね。
人には欲望がつきものだからね。
例えば我慢しても、心に欲望があれば実行しなくても同じだと思います。
そこの矛盾が仏教の混乱する所だと思いますよね。
私は坊さんではないから詳しくはないですが、
自己の欲望を100%抑え込める人間なんて永遠に生まれないし、有り得ないと思います。
釈迦自身も苦行を止めてから解脱したと言われてるみたいだから。
むしろ欲望をコントロールが上手い人が解脱者で大事と思う所があります。
女遊びに溺れ過ぎないようにがベストみたいな。
まあ手かざしは奇跡秘技らしいから、情欲の議論は関係ないかもしれませんが。
>>36に対する意見
『遺伝子を絶つ』は、戒律の一項目の“女犯”から
私が個人的に考えたもので仏教でいう『解脱』がそうだ。というものではなくあくまでも推測です。
何しろ、戒律は女犯だけではなく、不飲酒や不肉など沢山の項目がありますしね。総合的にこれらは皆、度を越すと身を滅ぼす内容のものです。
女性問題も愛憎に発展して身を滅ぼした人は多いし、酒も事故などを起こし、肉食も同じで、菜食に比べると身体を壊して病気になり死亡する確率が高くなる、等々。
ラーフラの話しが出て来ましたが、釈迦族の王子の時の話しですね。
その後、生・老・病・死からいかにしたら開放されるのかという“問”の答えを求めて旅に出た。
そして一つの答えに達したと言われている。
所謂『悟り』を得た。
これらから逃れる方法は無い(四諦)ということだった。
しかし、それらを軽減する方法はある(八正道)。 次々に湧き起こる欲望(煩悩)をコントロールし、常に正しい行いを実践し続け、不安の無い、心の平安(涅槃寂静)を得る事が大切だと教えている。
手かざしに関して私の見解は、私自身がその奇跡とやらを体験しない限り絶対に信じません。
密教と同じで、体現しない限り、頭で理解出来るものでは無いと思いますので…
⬆密教で何か不思議な体験をされたのですね。
私は密教に深く接した事が有りません。
簡単なご祈祷なら受けた事は有りますが。
あと手かざしスレだから、手かざしの話しになりますが。
体験してないから、信じれないは当然だとは思います。
ただ何か貴重な体験をしてないから信じれないだけでは宗教は成り立ってませんしね。
宗教は入る段階においては体験を出来ない訳です。
だから体験してなくても、全面的に信じてなくても、少しは信じてなくては入れない訳です。
貴方が密教で貴重な経験される前も、密教の素晴らしい体験をしてない訳ですよね。
だから貴方は密教を実は体験しないで、何かの縁で入っていったと思います。
私は貴方が知的に宗教を把握されてるようで、実は感覚だとか直感で実は選択し接して来たと思います。
まあそんな不思議な縁と言うか接点の連続が宗教だと思います。
貴方は密教を体験したから選択していったのではなく、
密教に接する無意識の何か?もあったかもしれないと。
そして確信した今でも、場合によっては他の信仰や、新たな出会いも待っているかもしれないと思いませんかね?
それは無いかな。…
しかしたぶん、手かざししてる人々も、
実はそこに確信があるようで、
結局は感覚観念の何か曖昧な縁で接してるのではと、今、気が付きましたよ。
貴方もあんがい場合によっては、手かざししてる貴方の場合もあるかもしれないですね。
人間とはだから曖昧な存在だとは思います。
密教を大事にされてるのですか。
それはそれで何かをつかまれてる訳ですから素晴らしいとは思いますね。
私は他人が何かに必死に信仰する姿が大好きですね。
最近は無信仰や無神論も増えましたからね。
まあ確かに怪しい適当な宗教が増えたのはあるとは思いますから仕方ないとは思います。
ただ犯罪に触れてないなら変わった活動する宗教でも、あっても良いのではと思います。
貴方は仏教信徒なら神様の存在は信じないのでしょうかね。
私は仏教が神様の存在が曖昧なのが時々残念に感じる時が有ります。
神様の存在を仏教では余り語らないのが寂しい限りです。
しかし密教は大日如来が有りましたよね。 🙏
そう言えば密教は術の部分が強いので、ある意味で手かざし系に共通する部分はないでしょうかね。
違うかな…
ふと思いませんかね。
>38のレスに対して…
何か誤解されているようですので言っておきます
私は、密教の不可思議体験をしたことも無いし、密教がどのような宗教かも知りません。
私が生まれた時には、既に真言宗の檀家でしたが…(´Д`;)
しかしそれは何処の家でも当たり前の葬式仏教の付き合いでしかありませんでした。今はその檀家でもありません。
しかし、釈迦の教えている仏教は、
『この世に、形を変えない永遠不滅ものはない。人間も例外でなく、限りある命。この限りある短い命を、清く正しく生き、煩悩(欲得)をコントロールし心の不安を減らした生き方をしなさい』
と言う、倫理を追求・実践の法なので
『ブッダの教え』
これこそが人の生きる道と信じて生きているだけです
>38では、必死なって神の存在を説明し
納得させようとしているように写りますが、
この宇宙におけるすべての事象も
“神”と呼ばれる存在もすべては人間が存在しているからあり得るので
人間がこの宇宙に存在しなくなれば“その人にとっての神も
宇宙における事象”も
皆、存在しなくなります
そこに“あなたがいる”からからこそ
それらすべてが存在するのです。
即ち、『神』と呼ばれる存在は
人間が作り出した思考の産物です
なんか聞いた事ありますね。負やネガティブな気持ちや言葉が魔と言うか魔物や悪魔が出来るって。神も人が必要だから創ったって。世界規模で宗教や宗派は沢山有るし、私も法事の時に住職さんにどうして仏教には沢山の宗派が有るのか聞いた事が有ります。確かキリスト教でも有りますよね❓
なるほど空海からだとか密教の神秘体験はなく、
実家が真言宗系で、それが縁で釈迦だとか仏教を個人的に勉強している訳ですね。
まあそれはそれで素晴らしい縁だとは思いますが。
しかし手かざし宗教を徹底的に嫌う貴方に少し違和感がなくもないですね。
貴方は頭が良い人のようなので、レスを拝見してて勉強をされてるようなので、
余裕もある方だと思いますし、
少し心を広げられて他宗教も寛容に見られてはと思う部分を感じました。
要するに手かざしする人々も必死だろうし、
一つの信仰だとよ~って事を思うのです。
私は手かざし系信仰をしていない者ですから。
別に擁護する必要はないのですけどね。
ただよく宗教知識がある人や、何かに熱心な人が他宗教を徹底的に攻撃するので、その騒ぎが気になって仕方ないのがあります。
私は手かざし系信仰団体が犯罪をしない限りは批判する気もありません。
なぜなら手かざしする人も、それは彼らには人生での縁だと思うからです。
まあ確かに手かざし系が怪しいと見えてる自分が私の中にないとも言えないのも事実ですけどね。
これは否定はしません。
しかし手かざしする人であれ、
まあ毛嫌いしないようにとは今の私の心では多少はありますね。
所詮は同じ人間ですからね。
>>41へ 何故!宗教にこれ程数限りない宗派があるのか?
それは、各宗教の始祖の正しい教えを
宗派の祖が『始祖』の教えを広めるに当たり
各々の考えを交えたから起きた事で
始祖の教えに向かっている方向性は、正しく理解している宗派に限り同一です。
ちょうど、ディズニーランドに向かう車のタイヤのあとは別々でも
向かう先は“ディズニーランドである”と言う事には変わりないのと同じです。
しかし、カルトの多くは、信仰心を利用した教祖の金儲けに信者が搾取されている所が余りにも多いのが嘆かわしい。
(ノ_・。)
>>42のレスへ… これまた誤解されているようですので
私は手かざし宗教が良いとか悪いとか述べた事は一度もありません。
手当ての所でも話しましたように、
お腹が痛い時には手を当てていると痛みが収まる事は
体験しているので、医学では説明つかない何かが存在していると思いますよ。
ただ、その宗教に入ったからと言って「すべての信者が次々とその能力を体得して行くというのがおかしい」と言っているのです。
ですから、その能力がある(教祖が最適だが)という人が
私に対して、プラシーボの事象のような奇跡がバンバン起きない限り
「私は信じられません」と言っているだけです
神様の話しになって来てますね。
少しレスさせて頂きます。
神様については私は神様ではないから、ちゃんとは説明出来ないだろうとは思いますが。
神様が必要だから人間を創造したと言うのも思います。
あと11さんが言う神様の考え方は非常に知的な哲学的な発想ですが。
例えばそれならば親がいるのは、私が存在するかだとして、私(子)がいなくば、親は親にはなり得ないみたいな話しに似ていますね。
それはそうですね。
しかし親は親になり得なくても、存在その物は私が生まれようが、生まれまいが存在してますよね。
親は親と言う子供を作る力がある人間として、そこに紛れもなく存在していた訳ですよね。
だから私は、私がいようがいまいが、神様が存在している物だとは思うのです。
もちろん神様(創造者)が、神様と呼ばれたのは人間も含めて、あらゆる物事が誕生したからでは有りますが。
仏教では神様の存在がかなり位置的に低いので、そこが残念なのですけどね。
見えない聞こえない非合理な物を排除しようとお釈迦さんは考えられたのは、何となく見聞きして知ってますが。
しかしね。
私自身もかじった程度ですが、仏教には感謝する部分は多いにあるのです。
悩みも解決したのは仏教の簡単な情報からでしたから。
ただ神様はいると思えてならないのです。
たぶん手かざしする人々も、完全に確信があっての事ではないとは思います。
仏教は神様論を排除してる宗派も多いし悩みも少ないでしょう。
神様を信じる事は手探りになりますから、常に自分が苦しむのは有りますけどね。
よく神様を信じてる人は弱い精神の人と言われますが。
一方で神様を信じる事は実は忍耐力との戦いになりますからね。
しかしこれは仏教でも大乗仏教の人々はそうではないでしょうかね。
真言宗であれ、日蓮さんのお題目信仰であれ、阿弥陀信仰であれ、最終的には信仰とは忍耐力ですけどね。
見えない不思議な物に委ねてるのが信仰です。
手かざしの観音様信仰も同じでしょう。
通行人8さん >>45で述べられているあなたの
信心を私は否定はしません。
人間の心は本来 弱いもの、ですから“すがる”信仰が起こったのだろう思います。
ただ、仏教は神の否定はしないが
『ブッダの教え』は
“執着を捨てて行く事が心の平穏に繋がる”と解いている。
だから、
「執着につながる“すがる”心を捨てて
自分を信じ、真理を信じ、他の者を頼りとせず
正しい行い(八正道)を実践して生きて行きなさい」
と説いています。
これが
“ブッダの仏教です”
⬆ブッダの教えはそうで有ることは知っています。
本来の仏教とは方便を排除した非常に簡潔な教えですよね。
逆に簡潔だからこそ実行が難しい部分はありますね。
私自身は仏教の解脱思考と神様信仰との中間を走ってる人間ですね。
仏教は八正道が全てはその通りだとは思います。
本来の原始的な仏教は非常にピュアらしいですね。
仏教学者には八正道以外の後から出て来た大乗部分は大衆布教の方便として扱ってるらしいですよね。
しかし八正道って実行可能でしょうかね?
いや本当に簡略に道を説かれている余り、逆に守り出したら大変です。
完全出家型のお坊さんでも、檀家の犠牲の上にある訳だし。何かそこに矛盾を感じたりします。
たぶん今の世の中では僧侶でも完全な八正道では社会生活は通用しなくなるとか思いませんかね。
ただ八正道以前に執着心を捨てる訓練をする事だけは人として大事だとは思いますね。
妙な欲や執着心は身を滅ぼしますからね。
これは言えてます。
八正道を倫理観として無理なく学んでいくのが良いかも知れせんね。
>>47に向けて…
『汚物の詰まった革袋』これが人間です。
人間のそれぞれの穴からは多種多様な排泄物が出て来ます。
更に、人間は他の動物にはない
煩悩(欲)という精神汚物も排泄して自分自身を苦しめます。
ですから、大変険しい道ですが
八正道の実践に励み
自らを浄化して行かなければならないのです。
その実践者がブッダその人です
11さんは、熱心な仏教徒ですね。
実際に貴方自身が八正道をどのくらいに実践されている方かは私には知る事は出来ませんが。
少なくともその思いが伝わって来ますね。
もう朝になりましたが、
ふと思いましたが…
例えばイエスは聖書などを通じて知る限りにおいては、
相当な倫理観と人間性の方だとは伺えますよ。
そして言うまでもなくお釈迦様も相当な倫理観と人間性の方だとは伺えますよね。
たぶんこの二人は恐らくどちらに転じても、いわゆる極楽・天国に入る人々だと思いましたね。
釈迦がブッダとなって説いた八正道や色々な経典。
そしてイエスがキリストとなって説いた十戒を基盤として訴えた聖書の話しの数々。
これはどちらを学んでも立派な人格になり、極楽や天国に入るような人間になるのではとかと思いました。
11さんはまずこの先も神様の存在よりブッダの教えを大事にして、他は余り考えないで歩んで行くのでしょうね。
しかし神様を見ないからと言って、八正道を大事にし倫理観を目指したなら、天国だとかに入らないとは決して思えませんしね。
神様は神様を呼ぶ人間だけを救うのではなく、
何よりも正しい道を歩もうとする人間も大事にされると思うからですが。
まあ私達のレスを見て主さんにも何かのヒントになってれば良いのになあと思います。
>>49のコメントに…
『イエスと釈尊』
どちらも倫理の伝導者です。
しかし、スレ主の言っているこてが事実だとしたら
この教団は、
金儲けだけが目的のカルトそのものです。
仏教にも『喜捨』や『布施』の考え方はあります。
これは、僧侶を食べさせる為に熱心な信者がする行為です。
ただ、違うのは信者が自ら喜んで行っている行為だという点です。
お金の無い者は奉仕の形で『布施』をしてもかまいません(これは我が家のお寺の住職から聞いた話)。
ですが、日本の職業仏教は原点の上座部仏教とは少し異なり変形した特殊な形態になっています。
宗教とは本来、すべての人に心の安らぎを与える目的で起こったもの
その宗教が人々の心を
掻き乱すとしたら
それはもはや
宗教とは言えません。
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