続きです。 限界がきたので、自殺を決めました。 彼氏と初めてデートした公…
続きです。
限界がきたので、自殺を決めました。
彼氏と初めてデートした公園に、学校終わり、ご飯もつくってペットボトルにあるモノを入れて出掛けた。
親は二人とも仕事から帰って家にいるときはお菓子食べたり菓子パン食べたりしてそのままリビングで寝てるのが普通。そしてごはんできて用意されてから私に起こされて食べるのが普通。起きててもごろごろテレビ見て待つだけ。家にいないときはパチンコ。
その日はいつも通り食い散らかして寝てた。だから夜、家から出れた。
電車で行くのにお金がないので無人駅から乗ったのは今でも反省している。
公園につき、携帯にボイスレコーダーで遺言を残し、飲んだ。
結果は血反吐と一緒に出てきてしまったせいで失敗した。内臓を傷つけただけで終わった。本当に苦しかった。
親からの着信、出たくはないが警察に探されて理由を話しても理解されない、子供の言葉とされるだけ、家庭内でのことには口を挟まない。
諦めて出た。
迎えにきた親の言葉は忘れられん。
はぁ。もう明日夜勤代わってもらったわ。全部吐いた!?ならええな。とその場で母が電話し出して、馬鹿なことしてからさ~もう大丈夫じゃけぇ、ごめん!明日やっぱりうち出るよ。え?大丈夫大丈夫。ごめんなぁ、一回代わってもらったのに!って。
それからは男と別れて辛くて自殺だと、罵られた。
弱いとか、構ってちゃんとか妹にも、言われ、空気もそうなった。それでも家事は続けた。
何度死のうと手首にカッターをあてがったか。でもそれを引く勇気はなかった。
痛いよな、死ぬときまで苦しむのやだな、と。そして、1度本当に死を認識してから怖くなった。
それでも生きた。
3年で進路を決める際、迷いなく就職で家を出ることを決めた。
でもだめだった。
バイトも私だけ禁止で一人暮らしするようなお金もない、未成年の契約には保護者がいる、一人暮しなんかできんよ?あんたみたいな世間知らずは無理、などと、親。
結局家から通える専門に。
少しでも逃げたかった、離れたかった。少しの時間でも家から離れていたかった。自由になりたかった。
でも私は無理だった。
死のうとする前、耐えて耐えて拠り所もなく耐えてた頃、私はもっとちゃんと恋愛しろと言われた。なぜか、本家の長女でこの家を継ぐから。婿をとらんといけんから。
前に言われたことはあったけど、そこまで本気にしてなかった。だって、なにかをしている家系でもなく、土地も祖父が人に譲って残ってなく、継ぐべきものはない。
墓があるけぇ墓を守れ、わしも継いだ、って。父は男、一般的に母が嫁いでくることが普通。
でも私は女で、名字を変えて家から離れて自由になりたかった。
名前が変われば少しは変われる、必要なとき以外、近寄らなくて自由にいきれる、幸せになれると、成長するにつれてその思いは強くなって、それを希望に生きてきたのに。
大丈夫、結婚したら自由になれる、って。
でもそれが、一番辛いときに宣告された。私は自由になることはないと。
それで吹っ切れて行動にうつした。
自己満足です、続きます
19/04/03 07:46 追記
一番最初がこれです。https://onayamifree.com/mythread/hit?tsn=2826161&num=
続きです。
https://onayamifree.com/mythread/hit?tsn=2826177&num=
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