世の中結局金 or 愛こそすべて あなたはどっち派ですか?またその理由はなんで…

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2019/08/02 11:31(更新日時)

世の中結局金 or 愛こそすべて
あなたはどっち派ですか?またその理由はなんですか?

僕は、どちらも行き来してて、定まっていないので意見を聞いてみたいです。
どっちかといえばいまは「世の中結局金派」です。

理由は、まずは資本主義だから。
資産持ってたら、労働しなくていいし、行きたいところにいけて(住めて)、ちょっとした悪いことしてしまっても保釈金払えるし、病気になっても最先端の治療ができて生存率がぐっとあがります。美味しいものも食べれて、自由な時間が多く、自分に向き合う時間ができて、子供ができたら子供がしたいこと(留学や習い事)をさせられるし、慈善事業もできる。「愛」の喜びを知らなくても、「ストレス、不安、惨めさ」からは逃れることができるし、ほとんどの欲望は満たされるからです。

「愛こそすべて」と思えるような恋愛をしたことがあります。
一緒に過ごす喜びは確かにお金では買えませんが、いつか別れがきます...。
その悲しみに耐えられず今でも引きずってる...。
お金は死んでからも相続などできますから、根本的な別れはないかなと思い「世の中結局金派」となりました。

No.2891757 (悩み投稿日時)

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No.1

私は愛。
愛がなければ仕事も頑張れないし虚しさを感じるから。
お金はあの世に持っていけない。
最後に持って行けるのは思い出だけ。

No.2

>> 1 ご回答ありがとうございます。

僕はその愛さえもお金がないと守れないと思ってしまうし、お金はあの世に持っていけない(あの世は無いという考え)としてもこの世に置いていける。と考えてしまう僕はやっぱり結局お金派ですね。
ただ、お金に執着しない人は執着している人より幸福度が高いという研究結果があるみたいです。
なので、愛派のほうが単純に幸福かもしれません。

No.3

資本主義とは、平たく言うと全ての価値はお金に換算できるという考え方です。
ですから、この考え方の基では、お金と愛を分離することがそもそも無意味です。


資本主義の原則に従うのなら、愛しているなら、その相手に苦労を掛けないように最低限のお金を確保するのは当然のことなのです。
お金を稼ぐことが出来るなら、そうすればいい。
逆にお金をあまり稼ぐことが出来なければ、節約していざという時にお金に困らないようにする。

資本主義では、お金は価値の換算の基準になるものであって、交換価値があるから大事なので、お金そのものを大事にするのはただの拝金主義です。

No.4

>> 3 ご回答ありがとうございます。

まとめるとあなたは愛派になるのでしょうか?
あなたの言うことは筋が通っていますし納得させられました。

ただ、拝金主義のようにお金が何よりも大事とは思っていません。
お金を使って、自分がしたいことができる、守りたいものを守れる(身近な人だけではなく、発展してほしい会社のエンジェル投資家になれる、発展途上国に学校をつくってあげられるなど)ことにお金の価値を置いています。なので、お金が一番ではなく、行き着く先は結局金ということになってしまっています。(それが拝金主義なんですかね?)
なにかしたい、守りたいと思ったときに、気持ちも大事ですがお金(資産)がないとできることが制限されてしまうのが資本主義社会なのかなと考えています。

No.5

私も愛派。
働きさえすれば誰にでも手に入れることが出来るようなものに興味はありません。
そんなものより本気で愛せる人を見つけて付き合い結婚して幸せな時間を過ごすことが私の価値観であり私の一生をかける意味のあることです。

No.6

>> 5 ご回答ありがとうございます。

なるほど。もしよければ、「幸せな時間」の具体例を聞かせてもらえるとありがたいです。
愛派の人の幸せの定義に興味があります。
僕は結構なお金を使って旅行をして、プライベートビーチなどで泳いでいるときなどに幸福感を感じます。優越感もあるかもしれませんが、誰にも邪魔されず開放感や頭が空っぽになる瞬間が幸せですね。

僕も働きさえすれば「将来にストレスや不安を感じながら、時間を犠牲にしながら、趣味も満足にできない程度」は誰にでも手に入れれると思っています。

No.7

>>4

あくまで私個人の場合ですが、属する社会がある程度は資本主義で動いているので、それに適応しなければ生活していけないが、資本主義そのものに完全に同意してはいない、ということです。

大抵のものはお金で買えますし、あれば役に立つのは分かっており実際に利用しているわけですが、お金で換算できない価値もあるとは思っているということです。
私の見解では現代人にありがちなジレンマだと思っているので、大して困っていないので悩んでいませんが、ジレンマであることは事実なので悩む人は悩むだろうなという感じです。

まとめると、資本主義社会に属しているならそれにある程度適応できて、愛はお金で買えないと思っている人をパートナーに選ぶということです。

愛かお金かはっきり白黒つけなければならないとなると自分の考え方を否定することになり、無駄に悩むことになるのであえてグレーにしています。

これは認知の歪み(この場合は白黒思考)を矯正して、自分が生きやすくするためです。
認知の偏りは個性ですが、行きすぎると自分が辛くなるので加減するということです。

No.8

昔、あるデートスポットに生理的に無理な人と行ったとき超つまらなかったしその時間が苦痛で仕方なかった。
同じ場所に好きな人や友人と行った時は楽しかった。
昔から男友達と出かけるのがよくあって誰とでも大丈夫なはずだと思ってたんだけど。

だからさすがに生理的に無理な人がお金を持ってたからといって結婚することはできなかった。楽しく感じないからその人と見た物全てが嫌な思い出になるだろうし人生が無駄になる。
そうなると単純にお金派とは言い切れない。

しかし今歴代彼氏の中で一番裕福な彼と結婚して一番幸せを感じるので、お金も重要だったことは確かです。


なので、許容範囲の人とならお金派ということになります。

No.9

私はバランスが大事だと思うので、どちらかとは言えません。
貧乏過ぎるとそれが原因で不仲になったりギスギスするし、かといってお金たくさんあっても愛がなければ寂しいと思います。

No.10

>> 7 >>4 あくまで私個人の場合ですが、属する社会がある程度は資本主義で動いているので、それに適応しなければ生活していけないが… ありがとうございます。

確かにグレーは一番生きやすいのは事実ですね。
一周まわってからのグレーなら僕も賛成です。僕もそういうふうに考えられたら楽だろうなと何度も思いました。
でもそのグレーが妥協(どちらも手に入れられないから仕方なく)のグレーなら最終的には一番苦しむ気もします。
僕は何かを崇拝というか、信念があって進まないと怖いんですよね。
これも人それぞれの価値観になってくるので、正解はもちろんないですが。
単純に、どちらも手に入れれてみたものの、やっぱりグレーと答えられたらカッコいいと思います。

No.11

>> 8 昔、あるデートスポットに生理的に無理な人と行ったとき超つまらなかったしその時間が苦痛で仕方なかった。 同じ場所に好きな人や友人と行った時は… ご回答ありがとうございます。

具体例がありわかりやすかったですし、共感する部分もありました。
僕も、愛が大事ではないとは全く思ってないんですよね。むしろすごく重要視しています。
ですが、最終的に結局お金か...ってなってしまうんですよね。
例えば、この世にお金という概念がなかったとしても今の旦那さんを選ぶというのでしたら、いい人と巡り会えたかもしれませんね。

僕は自分でもひねくれてるなという自覚がある上で思うことなんですが、
愛派の人は、好きな人がお金関係なしで素敵な人と見ている節があると僕は思っています。
今の旦那さんは裕福だからこそ心の余裕があり、人にやさしくできるかもしれませんし。
お金がなかったらすっごいケチだったかもしれないし...。
お金が人の性格をある程度左右させているとも思いますね。
もちろんお金がなくても優しい人だったり人格者の人はたくさんいますけどね。

No.12

>> 9 私はバランスが大事だと思うので、どちらかとは言えません。 貧乏過ぎるとそれが原因で不仲になったりギスギスするし、かといってお金たくさんあっ… ご回答ありがとうございます。

もちろん、おっしゃっている内容前提の話になってくると思います。
この世でうまく賢く生きていくのにはバランスが一番大事だとは僕も思います。

最初の質問が悪かったかもしれませんが、
金か愛どっちが正義か!ではなく、
最終的にどちらか選ばないといけない状況になればどっち派か...となるとどっちでしょうか?

そのギスギスがお金で解決できると思っているので僕は結局お金派なんですよね。

No.13

>>10
何度もすみません。

私は父がそれなりに稼ぎ、母が専業主婦、年の近い兄弟が一人いるという家庭で育ちました。

兄妹が乳幼児の時に事故に遭い後遺症が残り世話が大変だったので、必然的に私があまり構われないようになりました。
そんな私を不憫に思った両親は、手間を掛けられない分、金銭的には出来るだけのことをしてくれました。
金銭的には不自由を掛けないことが両親の愛情表現だったのですが、幼い私には直接ではなく間接的な愛情が分かりにくく、お金は十分ですが愛情に飢えている状態になりました。

長じて金銭に執着しないようにはなったのですが、代わりに愛情を求め過ぎるのも大人としてどうかと思ったので、いろいろ勉強して欲求をコントロールし、求めるよりまず与えられる人になろうと努力しました。

金銭に執着しないことと勉強の甲斐があったのかどうかははっきりしないのですが、しっかりした男性(お金持ち率が高い)に好かれ、類は友を呼ぶでそのような男性が多くいる環境にいるようになりました。

夫になった人は、今までにないくらい強烈に好きになった男性でしたが、結果的に資産家だったので両方手に入れたことになります。
夫を好きになったのはお金がありそうだからと誤解されたら大変だと思って、結婚するまで持っているお金の話は一切しませんでした。
金銭感覚が合っているかどうかの確認だけはしましたが。

何も聞いていないので、もしかしたら内実は事業が火の車で貧乏生活でも悔いはないと思ったから結婚しました。

こういう生まれだったので、愛を一番求めていたので、最終的に選ぶのは愛です。
それが得られなかったら次善でお金を選びますが、それはお金だけは持っている好きではない人と結婚するということではなく、生涯独身を貫くという意味です。

No.14

>> 13 詳しくありがとうございます。

なるほど、いろいろ経験してきた中で最終的に愛にたどり着いたわけですね。
つらい経験もあったでしょうが、それも乗り越えて最終的に両方手に入れて出た答えだと思うので、重みもやはり違いますね。

僕の場合は、祖父が事業で失敗し、母が借金苦で苦しんでる姿を見てきました。
母は行きたい学校にもいけず、お金のせいで残された道を仕方なく選んでいくしかできない人生だったと聞いています。(今聞くと、それを逆境に自ら切り開いていけばよかったのにと思いますが、お金がない状態というのは判断力も鈍りますので仕方ないかなと思っています)そして、後悔ばかりを口にしていました。そんな母をいつか幸せにしてあげたい気持ちと不憫に思う気持ちと混ざっていました。

その借金は僕も少し負担することになり、若い頃はお金のためになんでこんなに制限される人生を送らないといけないのか...と考え、お金コンプレックスになっている部分もあったかもしれません。
その後は反骨精神で稼げる方法を探し、がんばった結果、借金は完済。両親に家をプレゼントしてあげられるくらいになりました。

家をプレゼントしてから親に笑顔が戻り、第二の人生を楽しんでもらえてる姿を見ると、嬉しかったし、誇らしい気持ちになりました。
(心の中にはお金さえあればよかったのか...と悲しくなる部分もあります。)

ただ思い返すと、その他にも僕の心を救ってくれたのはお金(お金を使って得た経験、旅行、出会い、物)だった場合が多いから、結局はお金派になっているのかも。

そう思うと、育ってきた環境や経験によってどっちになるか決まるかもしれませんね。
今後僕ももっと歳をとれば愛派になる可能性もありますし。

貴重なお返事ありがとうございました。
視野が広がりました。

No.15

>>6

例えば1人でのんびり散歩することに幸せを感じる人もいれば、私みたいに好きな人と2人で下らないお話をしながら一緒に歩くことに幸せを感じる人もいます。

例えば1人でゲームをして自己満足に浸って幸せを感じる人もいれば、私みたいに好きな人となら2人でやり方すら分からないゲームでも幸せを感じる人もいます。

なので定義とか難しいことは分かりませんが、私の中での幸せとは好きな人と時間を共有し共感を得ることです。

私は死ねと言われたら喜んで命を差し出す相手と結婚しておりますので、たかだか貧乏だとか寝たきりだとかで仲違いするような相手は選んでおりません。

価値観が全く違ってごめんなさい。

No.16

愛もお金も、両方必要なんじゃないかな。

片方だけだと、人生、損すると思いますよ。

No.17

>> 15 >>6 例えば1人でのんびり散歩することに幸せを感じる人もいれば、私みたいに好きな人と2人で下らないお話をしながら一緒に歩… お返事ありがとうございます。

好きな人と時間を共有し共感を得ることが幸せと感じる瞬間なのですね。
すごくいいと思いますよ。僕もそういうのに楽しさは感じますし、一人だと寂しくなったりもします。
あなたの考えは素晴らしいと思いますし、その気持は大事にすべきです。
それに価値観が違うからって謝らなくていいですよ!何も悪いことじゃありません。
むしろ、私は○○に価値を感じている!と強く言えることが一番良いことだと思います。
具体的に答えていただきありがとうございます。

ただ、死ねといわれたら喜んで命を差し出す程盲信しているというのは少し心配ですね。(それくらい愛しているという比喩なだけなら大丈夫)
僕は世の中結局最後はお金という考えなだけで、お金に死ねと言われても(到底返せない何億もの借金を背負ってしまうなど)死ねないです。お金は自己破産したら助かりますから。

あなたももちろん愛もお金もどちらも大事という前提でお話していただいていると思います。
その中であなたは自分は愛を重要視していると自分で理解できているとすれば、死ぬときの後悔も少ないと思います。
最後に○○のために生きてきてよかった。と言えるのは幸せなことでしょう。
周りになんと言われようとその気持をつよく持っていてほしいです。

貴重なご意見ありがとうございました。

No.18

>> 16 愛もお金も、両方必要なんじゃないかな。 片方だけだと、人生、損すると思いますよ。 ご回答ありがとうございます。

愛もお金も両方必要です。そのうえで、結局どっちを重要視しているかというご意見をお伺いしたいです。
あなたには配偶者やご家族はいますか?
例えば配偶者が「友人の借金の保証人になってしまって1000万円借金ができた」と突然言ってきたとして、あなたは身の周りのものを売ったりしたら1000万円ならなんとかなる状況ならどういう行動をとりますか?

僕なら配偶者を愛しているなら身の回りの物を売って1000万円なんとか用意すると思います。
その行動は愛があるからこそできますが、結局最後に解決しているのはお金。お金がないと愛も証明できなかったと考えてしまいます。

もし、自分の資産が100万円しかなく900万円足りないとしたら、一緒にちょっとずつ返していこう。というと思います。
これも愛があるからこそできることです。ただし、もともとの原因はお金です。お金が原因で苦しい思いをしなくちゃいけません。

まあ例題がお金寄りのものしか出てこなかったので微妙ですが、
愛で乗り越えられるものは結局お金で乗り越えられるんじゃないか?と考えてしまいます。
最終的に愛でしか乗り越えられないものを知りたいくらいです。

「片方だけだけだと、人生、損すると思いますよ。」に対してですが、
その損というのはどういう損でしょうか?
お金的に?愛的に?充実度?不幸になる?
僕はむしろ片方だけなら、信じるものがあるということなので、最終的には本人は幸せになれると思います。

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