最近、父が死に。 生きる、とは、動作停止するまでの時間を、如何に費やすか。 …

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2020/02/24 21:12(更新日時)

最近、父が死に。
生きる、とは、動作停止するまでの時間を、如何に費やすか。
だと思っています。
その上で、何のために、何を思って、時間を使うのでしょう?
皆さんは、何のために生きますか?

No.3010191 (悩み投稿日時)

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No.1

重いな重いなー。俺も父親なくしてっけど、そこまで考えなかったわー。

No.2

最期が近づいた時、父は好きだった音楽を何時間も聞いていた。
目を瞑ったまま。
何を思っていたんだろう。
自分は、最期をこんなに静かに迎えられるだろうか。
と、父の心境を思いながら、静かな最期を迎えれるような人生の為に生きたい。

No.3

生きる、とは、、、

とは考えませんが、義父が亡くなったり、義母の介護をしていて、自分はどのような最後を迎えるか考えるようになりました。死に向かってどうするか。ですね。

誰にも迷惑をかけないことは無理だと思うけど、自宅ではなくてもそれなりに居心地のいい場所で死にたい。

そのために、病院や施設を今のうちから知ろうと思っています。

友人からは、そんなの考えるの早すぎ~と笑われますが。

No.4

父が亡くなったとき、全部持ってっちゃったなー、と思いました。
読書家でとても知識豊富、整理整頓にたけた父でした。
その知識も整頓術も、全部持ってっちゃったなー、と。

父の脳の中に詰まっていたものは全部持っていきましたが、生涯かけて集めたコレクションや書籍、大好きだったネクタイ、そういったものは何一つ持っていくことはできませんでした。
持っていけるものは、思い出だけなんだな。
そう思いました。

だから私は、この世でできるだけたくさん思い出を作りたい。
あちらに持っていけるのは、思い出だけだから。
そして、ああ楽しかった、と思ってその思い出を持って向こうに行きたい。

そう思っています。

No.5

嬉しいばかりが人生じゃない
怒りばかりが人生じゃない
哀しいばかりが人生じゃない
楽しいばかりが人生じゃない

色々な喜怒哀楽を体験して
人として深みが出てくる

十代の頃、身近な人間が亡くなっても悲しくなかった。世界はキラキラしていた。今、世界は色褪せて見える。

でも人の悲しみに寄り添えるようになった。たまに死にたいと願うこの命の儚さと、尊さを知るようになった。

自分は未だ未熟で下らない事に腹を立て、全てが嫌になったりするけれど、これからもこうやって何かを知っていく事を糧としています。

No.6

なんの為?
責任を果たすためですよ
主さん色々考えますね
俺は面倒なのでそこまで考えてないです
食って寝て働けば良いんじゃない
金がなければこんなもんですよ😙

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