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私の国語の成績がずーっと悪かったのは、昔の人の作品を読まないという偏りがあったた…
私の国語の成績がずーっと悪かったのは、昔の人の作品を読まないという偏りがあったためでしょうか。
何度か学校の図書室に行って読んでみたりはしましたが、どうしても読み進めることができませんでした。その代わり、解読された教科書は楽しく一人で読み進めてました。もちろん好きな小説も。どんなジャンルであっても、昔の人ではなく現代作家が書いた作品であったならば最後まで読み進めることができました。年齢的に理解できないことも多くはありましたが、最後まで読めたという満足感はいつも得ていました。
「国語の成績を上げるなら読書をするべきだ」
のこの読書は、昔の人を作品を熟読するか、現代作家でもその人の作品を熟読すべきという意味でしょうか。
私は、一度読んでしまえばもう二度とその作品には手を出しません。読んだらおしまいで、次に走りました。本は何冊も図書室や図書館に置いてあるわけですから、その本しかなくて何度も何度も分かるまで読み込む必要がなかったためです。
だから、漢字の成績は非常に良く、私自身も小学校の途中から漢検にのめり込んだこともありました。結局2級までしか取れませんでしたけど。
その漢検も今や、本当にただの趣味で取っていただけのようなもので社会人となって役に立っていると感じることもありません。
ネットの普及で、私も周りの人と同じくらい読めるし、意味も大体わかるが書けない漢字が増えたのです。
7年ほど環境なども相まって本が読めない時期(読みたいのに読めないのも含む)があり、今ようやく「1週間に1冊読む」ことができるようになりました。
1冊読んだら次の本が手元にあることがとても嬉しいのです。
でも、学生の頃読んだ作品、作家にはもう手を出してません。
作家だって沢山いるのですから、いろんな作家の作風を感じてみたいと思ったのです。
それにもう学生の頃にハマった作家には、ハマれなくなったこともあります。
どうしてこの人の作品にハマっていたのか、年齢ってとても大事なのだなあと思いました。
話しはそれましたが、やはり一冊の本を熟読していたならば、国語の成績は上がっていたと思いますか?
或いは、国語の授業中に授業が退屈&理解できないために国語の教科書読みをしていたのがいけなかったのでしょうか。
ちゃんとノートだけは取ってました。
でもテストでは言っている意味が理解できず、1問に躓くとずーっとその問題をうんうんと悩んでいたこともありました。
漢字のテストは受験勉強そっちのけで勉強するくらいハマっていた…というより国語以外でも音楽の筆記以外は赤点スレスレだったので私には漢字しかないと思っていたのも原因ですが…
後に、中国語にハマったのは予想外でした…
話しがまたそれましたが、やはり熟読できていれば国語の問題の意味が分かったのでしょうか。先生が何を話しているのか分かったのでしょうか。
「読書すれば」ではなく「一冊の本を熟読すれば」と言ってくれればおバカな私の頭でも理解できたのになあと思うばかりです。
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勿論、沢山本を読めば読むだけ、その分だけいい効果を得られたでしょうが、個人的には国語の成績を上げるには観念的な部分を向上させるより、ペーパーテスト技術を高める方が重要だったなと後になって思います。
国語の成績とは現代文ですよね?
説明文や物語や随筆などの。
説明文はとても論理的なので、分かりやすいのですが、例えば物語は作者というより、出題者の意図を読み取らないと正答にはならないのです。
試験である以上やはりそこには、納得する論理が隠れているんですよ。だけとそれはさらっと読書するだけでは、見落としてしまうものも多いです。
読書をすると、自分の知らない時代背景や人生を知ることで、実際には経験していないのに経験値が上がる分、理解できることが多くなります。そういう意味では読書を沢山することは、役に立つのです。
ですが、「風がふいていた」この一文があった意味なようなものは、問いかけられて考えてみる経験を積まなければ、上手く導き出せません。
授業では、そういった説明がされていたはずです。授業を聞いて、自分でも考える、他の教科と同じように、国語でもそういう勉強が必要だったのです。
>> 7
なるほど。
確かに私は出題者の意図がちんぷんかんぷんでした。
いつも先生も、問題集も何言ってんのか理解できず訳の分からないまま試験に臨んでいました。
真面目に授業に臨んでいれば何とか質問の意味くらいは分かったというわけですね。
他の教科はさすがに問題の意味が分からないということはほとんどなかったです。
元々、あ、この問題は解けないやつだ。と思って素通りは結構ありましたけど
国語だけでしたね。問題文の意味が理解できずにそれを頑張って読み解こうと思って答えを書いても先生の答えはと自分の答えはかけ離れていてどうしてその答えになるのかが理解できないのです。
と言っても先生に質問するなんてこと当時の自分は恥ずかしくてできなかったので結局そのままそこを素通りしてしまいましたけど。
「読書をすると理解できることが多くなる」
これにはなるほどなとおもいました。
これからテストを受けることはないですが、広くいろんものを見てみようと思います。
主さんは熟読を、同じ本を繰り返して何回も読むことだと思っていませんか?
よ~く深く考えるのが熟慮です。では熟読は…回数ではありません。1回しか読まなくても登場人物がなぜそう思ったか、セリフにはどんな気持ちが込められていたか、心理状況は…立ち止まらなくても様々な想像をしませんか?
これがないから出題者の意図がわからないとかなるのでは?
好きな作家にはまった時に主人公に感情移入したのでは?それが熟読の入口だと思いますが、残念なことに表面的な浅い所で終わったのかも。
味わいかた、楽しみかたをまだよく知らないのかもね。
>> 9
そうかもしれません。
深く考えることはしてなかったのかもしれません。
残念ながら過去の自分が何を思って読書をしていたのか今の自分には思い出せないのでかもしれないとしか言えませんけど。
今も、読んでしまった直後は何らかの感情の動きがあったとは思いますが、読んでから半日又は一日経ってしまうと、物語の大筋は思い出せはしますがあの時の感情までは思い出せません。自分にとってはとても良い作品だった。次もこの作家の作品を読みたいと思うくらいです。
でも、これが私の読み方かなあと思います。浅ーく吸収して、作者が何を思ってこの作品を作り上げたのかという背景にはほとんど興味がないからです。
誰かの空想の世界に浸れればそれで充分満足だと思うからです。
すべては虚構の世界なので。私の現実世界とは同じような世界でも違う世界なので。
現実から逃げたくて読んでいたこともあったので、今も現実のことを忘れたくて没頭したく何かにしがみつきたいのでしょう。
現実が嫌いなわけではありません。
現実も好きですが、時々逃げ出したくなるのです。
何か他の世界にふらりと行ってみたく思うのです。
今は行けませんが、遠出したい・どこか知らない道を通りたいと私はよく思うのですが私の今の現実から逃げたくて知らない世界に足を踏み入れたく感じるのです。
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