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藤波辰巳vsアントニオ猪木。1988年8月8日。横浜文化体育館。IWGPヘビー級…
藤波辰巳vsアントニオ猪木。1988年8月8日。横浜文化体育館。IWGPヘビー級選手権試合。毎年この時期になると思い出します。ご自身の「ベストバウト」に挙げる、オールドファンも多いでしょう。
新日本プロレス建て直しのため、飛龍革命を起こし、5月には、ビッグバン・ベイダーを破り、IWGP王者になった藤波は、勢いに乗っていた。
一方、全盛期を過ぎた猪木は、同年7月22日、札幌中島体育センターにて、長州力に、延髄ラリアットを食らいピンフォール負けを喫していた。
そんな二人がIWGP王座をかけて対決した。試合内容は、極めてオーソドックスなストロング・スタイル。結果は、60分フルタイムドロー。
猪木の衰えに合わせたかのように、人気を失った新日本プロレス。テレビ朝日も、金曜8時のゴールデンタイムから、土曜日夕方に放送枠を移した。一方、同年に旗揚げされた、前田日明率いる新生UWFは、大ブームとなった。
時代は間もなく昭和が終わり、平成を迎えようとしていました。日本は空前の好景気に湧いていました。世界では、東西冷戦が終わり、東の共産主義国が次々と崩壊していきます。
そんな混沌とした時代に行われた、藤波、猪木のこの一戦。
観ましたか。
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ちなみに、自分は、猪木vs藤波では、1985年9月19日、東京体育館の一戦が好き。藤波が長時間延々と猪木にかけ続けた、足4の字固めが凄かった。
また、1989年11月29日、全日本プロレス世界最強タッグ決定リーグ戦。天龍源一郎&スタン・ハンセンvsジャイアント馬場&ラッシャー木村で、天龍が馬場さんから、パワーボムで、初ピンフォールを奪った試合も思い出深いですね。
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