今って一億総貧困とか言われてるけど人々が贅沢を捨て切れていませんよね。 私…

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2023/07/11 23:26(更新日時)

今って一億総貧困とか言われてるけど人々が贅沢を捨て切れていませんよね。

私の周りは貧乏だから~お金無いから~と言う人が多いけど、じゃあ何でお高いiPhone持ってんだよ、何でまだ乗れる車を新車に買い換えてんだよ、月に何回飲みに行ってんだよ、とツッコみたくなる場面がままあります。

服に穴が空いたら縫い詰める若者って少ないですね。
ハサミや爪切りがなくなったら「いーや、また買ってくる」とすぐに新しいのを買えばいいという感覚の人も。

経済的に貧しくなってるのに「買えば済む」で便利さ、快適さ、手軽さ、贅沢を求める。
面倒臭いことはしたくない。
料理も裁縫も無駄、安い物を買えばそれで済む。
そんな印象。

逆にバブル期の総中流時代は「勿体ない精神」が今より強くなかったですか?
食べ物も道具も簡単には捨てずに「まだまだ使える!」と粘ったり再利用の知恵を活用していたと思います。
どんなにお金に余裕があっても、「買えばいいだけの話」じゃなくて、生活に手間暇かけてた。

それは幼少期に戦後を過ごして、貧しい厳しい生活を知っている人達が現役だったからではないか?と思います。

今の「貧しい令和」に育った子ども達は、勿体ない精神で物や食べ物を大切にする知恵を持てる大人になれるでしょうか?
なんだか想像できません。

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No.3830557 (悩み投稿日時)

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No.1

歴史や文化の進歩に伴い、
貧困のレベルが上がってきてるんだよ。

江戸時代は2年に1回飢饉で飢え死に多数。
戦後も食うのだけに精一杯
今は貧困って言っても、ほとんどの人がスマホ持ってるじゃん?
そういう意味だと思う。

No.2

それはどうかな〜

昭和初期にはテレビも洗濯機も掃除機も贅沢品で限られた家にしかなかったけど、
自分が育った昭和後期にはどこの家庭にもあって生活必需品になっていた
貧乏な家でも誰も洗濯板で洗濯してなかったよ
それと同じじゃないかな?

No.3

貧しいの捉え方しだいだと思います。

新車買う、高いiPhotoを買う。だからお金無いって言ってるんだけど?
もったいない精神だと手間かかるし欲しい物も買えない。だから金貯まるんじゃん!

金を犠牲にして欲求を満たすか、時間を犠牲にして欲求を満たすのかの違いが前提にあると思います。

自分の収入と支出のバランスを取り計画的にやっていて身の程知ってる人は昔も今も変わらず満足してますよ。

No.4

勿体ない精神だと、消費が冷え込んで、景気が悪くなる一方だよ。

No.5

便利に慣れてしまうと、もう抜け出せない。
そしてそれを失いそうになると騒ぐ。

別にスマホがなくても人は生きられる。
今でこそ、テレビはその代替品としてネットがあるけど、以前はテレビこそ無くてはならないものだった訳で、そこで某国営放送は殿様商売にあぐらをかいていた訳で。

ネットが無いとどうのこうのと言い訳ばかりする。
エアコンが無いと生きていけない。
車が無いと買い物に行けない。
最新スマホじゃないと使えない。

それを貧困国の人に言えますか?

だけど、言い方が悪いが、下を見ても発展は無い。
確かに贅沢が染み付いているけど、それを維持しようとする努力や更なる技術開発が進化の上で必要なんじゃないかな。

前時代的な暮らしもできるだろう。
でも、それで良いやってなったら、世界から置いていかれる。
そして強国に併合され、日本は無くなる。

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