父と母に対して恨みに似た感情を今でも抱いてしまいます、甘えているのでしょうか。 …
父と母に対して恨みに似た感情を今でも抱いてしまいます、甘えているのでしょうか。
当方23歳女性、半ば心の整理も目的に含めて書きます。
私の母は美人の類なのですが、私はその母と容姿を比べられるのが非常にコンプレックスでした。
そして、甘やかされて育ってきた所以に性格がひねくれて(視野が極端に狭い)という気質や、何かと容姿についての言及が多い環境が相まって、思春期にルッキズムを拗らせました。
それで「どうしてこんな容姿に産んだんだ」という怒りを両親に抱いていました。
今は「母と比べると自分は可愛くない」ことが悲しく、また頼んでもないのにジャッジされる環境が辛かっただけだと思うのですが、当時は怒りの反抗期としてしかその感情を消化できませんでした。
当然、両親とは険悪になり、ある日父に言いたいことがあるなら言えと叱られたので、こんな顔になるぐらいなら産まれてきたくなかったという事を告げると笑いながら一蹴されました。
両親は恵まれたというか、少なくともそんなコンプレックスを何かしら抱いていたとしてもそれを気に留めない肯定感、受容感が根底にあったが故に「そんな事は気にするな」と言ったのだと解釈しているのですが、少なくとも当時の私は自殺も考えていたほど思い悩んでいたので、その対応にショックを抱きました。
「そんな言葉嫌味になる」とまでも言われて、今はそれも両親なりの慰めで事実認知だったと思うのですが、当時は「大丈夫じゃないからこうして悩んでいるのに」の気持ちがとても大きかったです。
そこで更にルッキズムを拗らせ、「可愛くない=一人で生きていく能力を身に着けていかないと死」の概念がより固定化されたので、結果として私は勉強に逃げました。
強迫観念的に行っていたので、その過程で得た結果には満足しているものの、精神状態はずっとボロボロでした。
そしてそんな状態が数年続き、大学生になり一人暮らしを始め諸々と落ち着いて、社会人になった今は少なくとも「当時私は悲しみを抱いていたんだな」という事にまで気付けるようにはなったのですが、どうしても両親に対して当時のもやもやが消えません。
どういう対応をしてほしかったと言われると、せめてそこから化粧を教えるなり、また容姿だけが全てじゃないという前提をそもそも伝えてくれるなり、そういう「可愛くないと思っている人」に向けての諦めや対応策の対応を求めていました。
とはいえこれは理想論で両親だって人間で、共感できる範囲にも限界があるとわかっています。ただどうしても突き放されたというその一点の思いが強く、向けてくれている愛情に対して「でも本当につらい時何も助けてくれなかったどころか追い詰めたよね」という恨みを本音の所で抱いてしまっています。
金面的援助も多くしてくれてここまで育ててくれた恩義も感じています。でも私が今まで死なずに、ある程度社会のレールに沿って生きてこれたのは家族外の環境(友人)がとても恵まれていたのと、私の知能(客観認知、事実認知出来る)が所以だなと強く思います。
これは甘えなのでしょうか。
じゃあ今さら助けてよと親に向けて思う事は無く、過去にああしてほしかったというのは非常に不毛なので、自分の問題と割り切っています。
でも、なんというか凄く相性が悪かったんだなと思ってしまう気持ちが消えないです。
タグ
新しい回答の受付は終了しました
親と子供も人対人なので、必ず合うとは限らないしすべてうまくは行かないし、疎遠になっちゃう場合もあるよね
親に対する恨みがない人のほうが少数派では?
今更親に当たっても謝ってもらっても気が晴れない事は分かっているようなので問題無いと思います
ぶり返した時は嫌な気分に浸り
「いやだったよね〜かわいそうに」と自分をあやしてあげてます
やはり甘えか~とレスを見て振り返れました。
他者に甘えるのは自分に向けての甘えを許す心構えがまだ足りていなく(感情や欲求が自己完結で満足しきれていない、自己評価が高く感じるというのも自意識が強く、実際の評価と客観評価が釣り合っていない為、変にプライドが高い何かが出来ている)未熟な気質だなとも感じて自分が嫌なので完璧でなくともちょっとずつ治せるように頑張ろうと思いました。
ご回答有難うございました。
ルッキズムを拗らせたら、自分でもがいて打開するものです
それが思春期です、それまで絶対的価値観だった親との距離を置いて、自分で見たもの聞いたもの友人関係など自分自身の価値観を手に入れる時期
そもそも化粧を親に教わる人なんているの?今はいるのかな?
私の頃は、化粧は親に隠れてするものでした
主です、色々とコメントありがとうございました。
甘えについて、あまり自身でもうまく定義出来ていないまま現状に関して辛さを抱いていたので、投稿したのですが色々と整理が出来ました。
「親の価値観を迎合する代わりにその迎合によって生じた傷のカバーをしてほしかった」という辛さ自体がきっとご指摘されていた甘えなんだろうなと、投稿時点では無かった視点で解釈できました。
親の価値観を否定するわけではなく、生きていく中で自身が楽になる価値観を形成していきその過程で生じた思いは自身が巻き取るのが筋、自己責任ながらもそれが楽しい生き方なんだろうと気付けました。
「誰のおかげ、誰のせい」ではなく自分の責任を自分で取る為に、過去は過去今は今でそういった無意識下の価値観を遠ざけていこうと思います、改めてご回答有難うございました。
新しい回答の受付は終了しました
家庭・家族の悩み掲示板の悩み一覧
注目の話題
お悩み解決掲示板 板一覧