連帯責任について、どう思いますか?長くなりますので、お時間ある方だけお願いします…
連帯責任について、どう思いますか?長くなりますので、お時間ある方だけお願いします。
社会に出れば、確かに1人の迷惑な行動で周りを巻き込むというのはあります。
部下の失態を上司が代わりに謝ったり、誰かのミスを皆でフォローしたりされたりということもあります。
そういう意味で、連帯責任というものは必要、と私は思っています。
しかし、今年小学校高学年になった娘は、連帯責任で怒られることについて、納得がいかない上に嫌気がさし学校が嫌だとまで言います。
具体的に聞くと、
授業中静かにしない生徒がいて、その数名のために授業が中断し説教タイムになる
帰りの会で遊んでおり支度が遅れた生徒がいたせいで下校時間が他のクラスと大幅にずれて、約束していた別のクラスの子と下校できなかった
給食時間の当番で、お鍋を2人1組で持つときに、もう1人の子が走ったせいで、注意したのに自分まで怒られる
などです。
私はそれを聞いて、「じゃあそうならないように、ダメなことをしている子がいたら声かけたらどうかな」と伝えると、娘は「注意ばかりする子は正しいかもしれないけど、うざいと言って嫌われる。だから何も言いたくない」と返されました。
最終的に、「私はきちんと決まりを守っても、結局守らない子たちのせいで一緒になって叱られる。それなら決まりを守ったって意味がない」と言い、先生の言うことや時間、態度やルールを守る意味が分からないと言い出しました。
じゃあ先生がどうしたら納得がいくの?と聞いたら、「決まりを守らない子たちだけ叱ればいいじゃん。その子たちが悪くて叱られる分には仕方ないけど、そうじゃない私までなんで巻き込まれなきゃいけないのか分からない。注意しても嫌な顔されるし、私が言ったくらいでやめるなら初めからしないでしょ。結局先生がしてることって、テストで100点とった子に、クラスで50点の子がいるからあなたも50点ねって言って叱ってるようなものじゃん。それなら頑張って100点とっても意味がないじゃん」と。
私はそれを聞いて、どうしたもんかと悩み、とりあえず一旦そうだねと娘に同調して、ここで話を終えました。
今週、二者面談があるので担任の先生と話す機会があります。
その際相談すべきか?とも悩みましたが、私はそもそも連帯責任は当たり前の世代で育っていて、それを疑問に思ったことがなかったために、これについていろいろ話すのはモンペじゃない?とも思います。
しかし、娘の言い分も一理あるというか、確かにルールを守っている子は褒められもせず当たり前にされ、守らない子がいるときだけ一緒になって叱られるというのはよくないよなとも感じます。
みなさんはどう思いますか?
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学校は集団生活で協調性を学習する場でもある訳だから
社会に出ればチームや集団で1人がダメだと
チームの責任になる事が沢山あるから、
その訓練をしているんだよ
と教える。
医者も手術には看護師から補助的な人達が
一人でもミスすれば、いくら医者が良い手術しても言われた指示を守らないミスがあれば手術は失敗になるし
飛行機や電車の整備士も、いくら自分1人が良く出来ても1人がいい加減なら
動かなくなり過大な迷惑になる。
だから自分は良いから関係無いは
社会に出たら許されないんだよ。
それの訓練をする場が学校生活だからね。
と言いますね。
言いたく無くても
友人と話し合って、出来無い子なら
助けてあげて集団で叱られないように
するよう考えてごらんなさいと
私なら言います。
そもそもの話し。
連帯責任ってどういうものか。
学校の先生も、子供達も、そして主さんすら理解していない。
『連帯責任が用いられる状況ってどういうところ?』
それを明確に答えられないともどかしい状態になるのは必然だ。
連帯責任ってのは、一方的に押し付けられるものじゃない。
一つの目的を共にする組織的な集団が、団結を強固なものにするために、一蓮托生の意思を持って臨む為の手段だ。
一つずつ説明する。
先ず、組織(集団)が目的を意識していないと連帯責任は成立しない。
訳が分ってない連中と、目的をハッキリ意識している連中が、同じく責任を取らされる状況自体があり得ない。
目的意識がハッキリしていない組織に、同じ責任を課すのはあり得ない。
それはその組織の指導者の怠慢でしかない。
組織を導くべき指導者が無能であることを表しているだけの話し。
連帯責任をとやかく吠える前に、指導者として「組織の意思の疎通が図れているか?」を確認するのが大前提。
大前提というか、最低限。
それすらしていなくて連帯責任で組織を縛るのは、指導者が楽をしたいだけ。
それは無能の中の無能な者がすること。
次の説明。
最低限、組織の中で意思の疎通が図れていれば、連帯責任を課しても悪くはないが…。
そこで問われるのは、
「目的を果たす為に、その連帯責任を敷いたところで効果はあるのか?」というところ。
連帯責任、それは目的が達せられなかった時に、「組織の中の人間達に与える罰」である。
罰を与える意味とは何か?
犯罪者が刑罰を受ける法的な罰とは違う。
努力が足りなくて目的を達せられなかった者達が受ける罰は刑罰ではない。
あくまで自分達を戒めるという、自己成長の為の試練としての罰である。
刑罰と連帯責任の罰は全く意味が違うし、運用も全く異なる。
連帯責任を刑罰の様に与えるのは、それを与える側の人間の不勉強の極みである。
言うなれば、人を指導する資格すらない。
とんだ勘違い人間だ。
最後に、
連帯責任を与えるからには、『組織が目的を達したと時には責任の重さに応じて報われるもの』がなくてはならない。
当然の話し、罰があるなら褒美も存在する。
それだけの罰を与えるには、上手く出来た時の見返りは何だ?という事だ。
それすら考えもしない指導者は、控えめに言ってゴミだ。
単純な話しだ。
それ、集団教育の弊害ですね。
こどもの愚痴を聞いてあげ、気持ちがおさまるならいくらでも聞く。
教師の方針を変えるのは難しいことだから、真面目に頑張っているのに理不尽な罰をくだされるなら行かなくていいかな、と本気で思う。
小学校なんて必死に行かなくてもいいところだと、過ぎ去ってみてしみじみ感じるから。
先生には言っていいと思います。責める内容ではなく、私も連帯責任で育った世代ですので理解できるのですが娘がこう言っていて、と話した内容を伝えた上で娘にどう伝えたらいいのか相談したいというスタンスで先生に言う。先生の教育方針や考えも聞く。
どうせ怒られるならやらなくてもいいじゃんは本末転倒ですから先生ならどうしますか?を聞く。連帯責任によって原因の子が他の子に迷惑をかけていることを自覚して態度を改めてくれたら一番いいのですけどね。
わかるなー、私も娘さんタイプ。
一生懸命頑張ったって、やる気のない子、守らない子のせいで、自分の頑張りが無駄になるのが嫌ですね。
社会に出る前の勉強って…社会に出てまで連帯責任で怒られたらパワハラじゃないですね。連帯責任って一方的なやり方じゃなくて、先生がどうすればいいか道を示してあげないといけないんじゃないかなと思います。
あと、これは凄く個人的に思うことですが、周りは気にしない、自分ができてればそれでいいと教えてあげるのも大事かなと。
誰かのせいにしないこと、周りのことで自分の評価を決めないこと。
まさに「連帯責任は無責任」って言われる通りですね。
全てのことは個人の自己責任です。
他人のことは関係ありません。
社会人になったら余計にそうでしょうね。同級生は友達だけど会社の同僚は間違っても友達じないし。
>> 3
学校は集団生活で協調性を学習する場でもある訳だから
社会に出ればチームや集団で1人がダメだと
チームの責任になる事が沢山あるから、
そ…
おっしゃる通りです。
社会にでたら、誰か1人のミスや無責任さで周りに迷惑をかけるなんてシーンは多々あります。
でも…学生時代って、娘の言うように、クラスにおいて真面目で注意する子はどうしてもうざがられて嫌われてしまう、というのは私も経験があるからわかるんですよね。
私は無駄に正義感が強かったので、ずるやルール違反が許せなくて、口に出していたらいじめられたんです。
お前はすぐチクる!とか、男子からうるせぇとか言われたり。
もちろん、私の言い方が悪かったこともあるかもしれませんが、私としては間違ったことはしていないのに!という理不尽さも感じていました。
だから、娘が「うざがられるから言いたくない」と言ったことには、確かにな…と思ってしまって。
誤解してる人もいるようですが、学校は自分が100点取ることを学ぶ場です。決して、50点のクラスメイトを60点にする場ではありません。
50点しか取れないのはあくまでその子の自己責任であって、他の子には全く関係無い話です。
日本人は、全ては自己責任だってことを知らな過ぎます。だから連帯責任なんていう茶番を持ち出すんです。
>>14
>ただ、ここで義務教育を投げ出しても損をするのは娘だけだな、とも思ってしまいます。
>それに、ここで投げ出してしまったら、娘は納得がいかないことがあればやめる、逃げるを今後もずっと繰り返してしまうような気もして…
そんなことはありません。
確かにこの掲示板でもよく見る、いじめに遭ったから登校拒否なんてのは単なる甘え、逃げです。将来ロクな人間にならないでしょうww
でもお嬢さんのケースのように、お嬢さんに理があり、学校に行くことが学力アップにならないなら、行く必要ありません。
これは、典型的な日教組の教員の特徴ですね。
悪いことすれば怒るのは当たり前なんですが、連帯責任は、
私は、違うと・・・思うんです。
悪い子は怒られて当たり前なんです、いいことした子は褒められて
当たり前なんです。なんにもしてない子も一緒に怒られる言うのは
こんな理不尽はことはないと、思うんです。
偏向教育の表れであると・・・思います。
連帯責任、私はめっちゃくちゃ悪い習慣だと思ってます。
日本の、いろんな問題点の諸悪の根源がこれだと思ってますね。
これをやるとどんな悪いことがあるか、というと…。
娘さんの言うように、
「ルールを守っているのに怒られる理不尽」
「ルールを守りたくなくなる(無法化)」
「破った子を排斥したくなる(いじめ)」
「破りそうなやつ、を、先に排斥しだす(いじめ)」
そしてルールを破った本人は
「自分だけが悪いんじゃないと感じる」
「自分だけじゃなく全員がペナルティをもらうことで減刑されている」
「自分は恥をかかないので、またやるハードルが下がる」
「自分で責任をとるということを覚えないまま」
となります。
これが組織においては
「ルールを破ったやつ、失敗したやつは排斥されて当然(トカゲのしっぽ切り)」
「会社や上司は責任を取らなくていい」
っていう社風になります。
ちなみに、部下の失態を上司が謝るのは、連帯責任ではなく、上司だからです。
(生徒と先生など、上下の関係がある。)
一人の平社員のミスが、その部署のほかの平社員まで一緒に上司や相手先に謝りに行かせられる、のが、連帯責任です。
(生徒同士など、横の関係なのに巻き込まれる)
実際私も、とある組織で失敗をしたときに。
組織に守ってもらえず。
本来上司が取るべき責任も負わされ、本来上司がすべきお客さんへの謝罪もすべて私が対応させられ、その上で組織を追い出されました。
いま日本人は外国人観光客などから、「周りへのリスペクトがある」と褒められてますが。
それは「リスペクト」など前向きな感情でするはずのもので、「連帯責任を負わされるかもしれない恐怖」でするものではないはず、と思います。
これはものすごくよくない風習だと思ってますね。
学校に言える機会があるなら、ぜひ言った方がいいです。
何より「いじめの温床になる」ので、真剣に考えてもらった方がいいですよ。
主さんのお子さんが、ルールを守らなくなる子に育つか、いじめをする子に育つ、可能性が上がるって話です。
>> 8
わかるなー、私も娘さんタイプ。
一生懸命頑張ったって、やる気のない子、守らない子のせいで、自分の頑張りが無駄になるのが嫌ですね。
社…
そうですね、先生の叱り方も、何かあれば皆で叱られる、ではなく、じゃあそうならないためにどうしたらいいか、を指導してくれた方がわかりやすいかなとも思います…
これは凄く個人的に思うことですが、周りは気にしない、自分ができてればそれでいいと教えてあげるのも大事かなと。
誰かのせいにしないこと、周りのことで自分の評価を決めないこと。
↑娘は本当にこの考え方ができる子です。むしろ、あまりに周りを気にしなさすぎて心配なくらいなんですが…。だからこそ、余計に周りのせいで自分も巻き込まれることに納得がいかないのかもしれません。
わかります!うちの子の先生も連帯責任タイプだったので、息子ブーブー言ってました!!
日本人は人に迷惑をかけてはいけないって小さい頃から育てるよね、
たとえばだけど海外インドなんか人に迷惑をかけるのは人生であまりまえだから迷惑をかけられても助けてあげなさい、そしたら自分も迷惑を他者に対してかけてしまった時助けてもらえるよっていう教えみたいですよ。
どちらが正解なのかわかりませんが、私からすると、問題なのはその迷惑をかけている子より、それを連帯責任にする先生に問題があると思うんですが。
まぁ私もそんなもんと割り切ッちゃうタイプだったので、気にしないようにしてましたね
今思うと申し訳ないです、私達の世代が変えようとしなかったから、サボったツケが後の世代に押し付けられてる
結局、未だに軍国主義が学校教育の下地にあるんですよね
うまく折り合いを付けられるといいんですけど
私なら担任にキレます。
まだ小学生なのにそこまでする必要ないと思います。
そらまだ小さい子なんですし、そんなんじゃ学校に行きたくなくなりますよ。
私はモンペですから考え方がおかしいかもですが、我が子が苦しんでるのに黙ってられません!
私も娘さんの意見に同意です。
時と場合によっては連帯責任を問う
教育方針もアリかとは思いますが
基本は困ってる人がいたら協力して
助け合うというのが正解で
何でもかんでも連帯責任だと真面目に
取り組んでいる生徒まで一括りにして
バツを与えるのは教師側の手抜きであり
職務怠慢の様に感じます。
規則を守らない子は個別で指導すべき
であり、十把一絡げでできない子
やらない子に合わせて
頑張ってる生徒にまで「連帯責任」を
強要するのは教師側からすれば楽だけど
頑張ってノルマを達成したり
与えられた仕事に対し、真面目に
取り組んでいる生徒からしてみれば
矛盾を感じ、向上心が萎えてしまうのは
当前の事の様に感じます。
恐らくは今の父兄の学校側に対する
行き過ぎた
「ハラスメント」や、一部の
「モンスターペアレンツ」を警戒して
できない子や、やらない子を個別に
指導する事に教師自身が警戒心や
不安を抱いているせいで、厳しい
個別指導ができない状況が
連帯責任に繋がってしまっているのでは
ないでしょうか。
私の子供時代は父兄は教師を尊敬
信頼して子供を任せ
教師にはもっと威厳があった様に感じます。
>> 27
わかります!うちの子の先生も連帯責任タイプだったので、息子ブーブー言ってました!!
日本人は人に迷惑をかけてはいけないって小さい頃から育て…
そうですね、そう思います。
私も、連帯責任は社会に出てもあるなと思っていたんですが、色々な方の回答をみて
そもそも学校で連帯責任を負うのは同じ立場の人同士で、上司が部下を助けるといった話とは違う。確かに社会にでて、同僚がミスして皆一緒に怒られるということはなく、同じようなミスがないような注意喚起にとどまる。また、同僚の成果は個人のものになる。
同僚同士でミスをカバーし合うのは、連帯責任のように強制されたものではない、お互いがお互いを助けようと意図してするもの。
だから、やはり学校で先生がクラス全体に向けて連帯責任を強いることは違うな、と感じ始めました。
もちろん、自分の行いが誰かに迷惑をかけるということは学ばなくてはならないけれど、それは別に連帯責任にしなくても別のところで学べるはずだなって思います。
ルールを破った人に対する罰則と
ルールを守らない人を見て見ぬふりをしたというのは罪の内容が違うのだから同じ罰則というのは納得できない
叱り方や注意する内容はルールを破って人と見て見ぬふりをした人で変えるべき
だと思うけどそれをいつしょくたに連帯責任で同じ罰を与えますっていうのは納得できないよな
ルールを破った人にはルールを破ることはなぜいけないかを説明し注意して罰を与え
見て見ぬふりをした人には見て見ぬふりをすることがなぜいけないかを説明して叱るべき
そのあたりの説明なしに連帯責任で同じ罰を与えられたら納得できないのは当然
同じチームで活動してる中で連帯責任ならわからなくもないけど
単にクラスが一緒なだけて連帯責任はこどもにしたら納得できないよな
大人だったら自分がどの組織に属し嫌だったらその組織から抜けることもできるけど
子どものクラスって自分で選んだ組織でもないしそのクラスが気に入らなくても抜ける事ができないわけじやない
そんな強制的な組織で連帯責任とされても納得できないよな
叱る時になぜルールを破ってない人にも罰を与えるのか説明が足りないから納得感がないんだろうなと感じるけど
先生からしたらルールを破った人を見て見ぬふりをすることはいけないことと説明するのは両親の教育だろうと言いたくなるだろうな
こういう教育は先生がするものと思いますか?親の教育の範囲だと思いますか?
うん。
同世代としては、スレ主さんの意見は
いちいち共感できる府分が多いのたけど
一つ違うのは、私の言う所の共生
所謂、父兄の教師への信頼度は
今と違って教師と生徒の間に絶対的
信頼かあったから成し得た事であり
でなけりゃ成り立たなかった。
父兄が教師を信用しなきゃ何も始まらない。
手に負えない生徒だからこそ
体当たりで生徒に寄り添う昭和の教師の
姿にグッときたものです。
金パチ先生世代と言えば分かりやすいかな。
>最終的に、「私はきちんと決まりを守っても、結局守らない子たちのせいで一緒になって叱られる。それなら決まりを守ったって意味がない」と言い、先生の言うことや時間、態度やルールを守る意味が分からないと言い出しました。
これは、先生が正しい教育(説明)
ができていない。なぜなら、
ルールやマナーをは、
「先生に叱られないため」に守るべきこと。
となってしまっている。
娘さんに何かを伝えるなら私なら
「例え先生に理不尽に叱られたとしても、その時に自分が正しい、最善だと思うことを信じて貫きなさい。」でいいと思う。
本来のルールやマナーは
・他者への配慮や思いやりの気持ち
・誇らしいと感じられる自分でいる為
におこなうもの。
見て見ぬふりをする、ルールを守らない、誰かを結果的に傷つけたり、自分を情けない狡い人間だと感じて少しずつ自分を嫌いになってしまう。そうした時に自分自身のことを好きでいられなくなるのなら、悲しいこと。
逆に、そのルールは本当に正しいのか?クラスのためになってるのか?に疑問を持つことはとても大切なこと。これは人が一生をかけて考えていくこと。(例えば政治なんかもそう)
社会に出ても理不尽な習慣、間違った決まり事がたくさんある。それを、本当に正しいの?無駄じゃない?誰のためのルール?
って問題点に気付いて悩んで、皆でルールを変えていこう!と、行動してくれる人たちがいるおかげで、社会が成り立っている。
これからの時代は、強い立場の人から言われたことを盲信し、考えることを止め、ただ従うだけの人間は、生きていけないからね。
日本の学校教育は、本当に変わらない。
教科書の中身は変わっていても
皆で1つのテーマについてディスカッションをしたりと、議論する事をしない。だから、自分の意見を皆に伝えることをタブーに感じる。
主さんの娘さんは、とても自分で考えられて賢い子だし、行動もできる子なので、せめて家庭内でディスカッションをして欲しいと思います。
その際、
ディベート型が良いのではと思います。
①先生
②叱られる子
③周りの子
3つの役になって、
相手を説得する遊びも良いかと。
娘さんが先生役をすると、
良いかもしれませんね。先生の立場になって周りを説得する、それで先生の立場を疑似体験できるかも。広い視点で考えられるようになると思いますよ。
>> 35
ルールを破った人に対する罰則と
ルールを守らない人を見て見ぬふりをしたというのは罪の内容が違うのだから同じ罰則というのは納得できない
叱…
確かにそうですね、あの子が悪いことをしたから皆一様に叱ります、ではなくて、悪いことをした人にはそれの何が悪いのか、またそれを注意しなかった、見て見ぬふりをした人はそれの何が悪かったのか、と反省すべき内容も違いますからね。
ただ、見て見ぬふりをするのは悪いことだ、とは私は思いません。
返信にも書いていますが、やはり頻繁に注意をする子というのは嫌われます、正しいことをしていても、です。
また、実は去年?くらいに、うちの子は下校中に危ないことをしていた一学年上の子に対して、危ないよ!と声をかけたときに逆ギレされて叩かれて髪を引っ張られた、ということがあったんです。
その際私は、「あなたがしたことはもちろん正しい、だけどそれを皆が受け入れてくれるわけではない。相手によってはとても危ないし、今回のように逆ギレしてあなたが傷つくこともある。あなたが叩かれた拍子に車道にでも絡んで轢かれていた可能性もある。私はあなたが傷ついてまで誰かを正そうとしてほしくない。でも、間違えている人をそのままにする人にもなってほしくない。だから、そういうときは一旦見過ごして、後からきちんと対応できる大人に頼ってほしい」と伝えました。
これに対し娘はわかったとだけ言いましたが、やはり娘にとっては大きな出来事だったようで、トラブルにはできるだけ関わりたくないと思うようになったみたいです。
困っている人には親切にする子ですが、何か揉め事があればその場から離れるようです。
私はそれが間違いとも正しいとも言えません、でも、人の行動よりも私は娘が大切なので、注意しない、見て見ぬ振りは無責任と、断言することもできません。
杓子定規に何でもかんでも見て見ぬふりをしては駄目とうわけではなくもちろん状況による
具体的にどんなルールを守らない人がいて
連帯責任となったのかわからないけど
例えばクラス内にイジメが発生していて関わりたくないから見て見ぬふりをしてたと言うなら注意したくなる
直接いじめっ子を止めることはできなくても大人に相談しなさいと
新しい回答の受付は終了しました
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