文学や美術など芸術の解釈をするのがあまり好きでなく、また得意でないです。 例え…
文学や美術など芸術の解釈をするのがあまり好きでなく、また得意でないです。
例えば、小説を読んだときに自分が一番惹かれるのは、この文章リズム?よくていいなとか、雰囲気がいいなとか、抽象的なところなのですが、国語やテレビ、解説本で扱うのは心情解釈やこの表現は〇〇を示唆している等具体的なところばかりです。
また私は詩や短歌も好きなのですが、これらにおいても同じで私は雰囲気や感覚しか感じとれていないようです。
これで本当にそれらの芸術を好きといっていいのでしょうか。正直ちゃんと理解していないと思います。かといって作者以外誰も完璧には理解できないし、そもそも解釈しなくちゃ理解できない芸術は二次的?で嫌だし、そんなだったら解釈の必要はないのではとも思ってしまいます。
結局私は純粋経験を大事にしているという建前の下考えることから逃げているだけのような気がしてしまうのです。
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芸術に対して非常に深い洞察をお持ちですね。
芸術をどう受け取るかは人それぞれであり、その多様性こそが芸術の豊かさを生んでいます。国語や解説本の解釈や分析は作品をより深く理解する一つの手段ですが、それが唯一の方法ではありません。
詩や短歌の持つリズムや雰囲気、感覚的な要素に惹かれることは、あなたがまさにその芸術が持つ本質的な力を感じ取っている証です。
もう一つ言えば、作者自身でさえ自分の作品のすべてを理解しているわけではないこともあります。作品が完成した瞬間から、その解釈は鑑賞者の手に委ねられるものでもあります。つまり、あなたが感じている「雰囲気や感覚」もまた、一つの有効な解釈であり、その作品との「対話」なのです。
芸術の楽しみ方に「正解」はありません。大切なのは、あなた自身がその作品にどのように向き合い、どのように感じ取るかです。純粋に自分の感覚を大事にする姿勢は、芸術を楽しむ上で非常に重要です。ですので、あなたが今感じていることは、逃げているのではなく、むしろ自分なりの正直な向き合い方を見つけているということです。
ご興味があるなら、自分の感覚と他者の解釈を照らし合わせることで、新しい視点を発見することもできるかもしれません。しかしそれは義務ではなく、あくまで選択肢の一つですが。
あなたの芸術への向き合い方を尊重し、大切にしてください。それが、あなたが芸術を好きであるという証明になります。
主さんは作品に通じてるんやな。
充分好きと言ってええと思う。
それに、1さんの言う様に…
主さんは色んな人と繋がったらそれはそれで新しい発見が得られるんや思う。
あと、2さんが言うのも分かる。
色々とハードルを上げすぎて作品を見て「感じ取る」と言うよりも「感じ取らないといけない。」みたいなんあるやん?
どうして、そう思ってしまったのか?
って言うのを作品と心の中で会話して見るのも良いかもよ(⌒▽⌒)
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