不登校の子どもについてです。昔と違って"嫌なら無理して行かなくていい&…
不登校の子どもについてです。昔と違って"嫌なら無理して行かなくていい"という風潮がありますよね。
うちの中学生の娘も友達とのトラブル、学業のこと、行事で辛いことがあった時に行きたくない、辛い、と言うことがあります。
去年不登校気味になった時は最初は何が原因かわからなかったので「頑張って行きなさい」と励ましたり時に厳しく叱ることもありました。
後に分かったことですが国語の授業を受けてて先生から「こんな簡単な問題分からないのか」と皆の前で名指しで怒られたことで傷付いて学校が嫌になってしまったそうです。
今年は先生も変わったので普通に行けてたのですがまた違う問題が出てきて「行きたくない」とか言い出しました。理由は体育祭の練習です。
学年種目で集団行動の練習をしてるらしく結構厳しく言われるのが辛いんだとか。失敗した時に周りから冷たい目で見られたことで気持ちが落ちてしまったようです。
しんどいなら体育祭が終わるまで無理して行かなくていいよと言ってあげたいけど嫌なことがある度に休もうとするのってどうなんだろう?と悩んでいます。
とりあえず今日は休ませましたが主人は逃げ癖がついてしまってるんじゃないか?これを繰り返すのは危険な気がする、と言っています。
まぁ確かに嫌な事がある度に休んでばかりでは困ります。また今日休ませたことで主人から「甘い」と言われてしまい何だか疲れて考えがまとまりません。
ちなみに休んだ時はスマホや寝て過ごすのではなく学校の宿題と塾の宿題はやる約束で過ごしています。
踏ん張る力や乗り越える力を持って欲しいのもあるし辛いなら無理して行かなくていいよ、という気持ちもあり。
皆さんどう思われますか?
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主さんと同じく
> 踏ん張る力や乗り越える力を持って欲しいのもあるし辛いなら無理して行かなくていいよ、という気持ちもあり。
と思います。ただし「辛いなら」の辛いの度合いによりますかね。もちろん人によって辛いと感じる内容は異なります。周囲の子達や大人にとっては辛くなくとも、本人にとっては辛いということだとは思うので。でもそこを尊重しすぎてしまうと旦那様おっしゃる通り逃げ癖がつくと思います。老害みたいなことを言いますが、最近の若者にはそういう傾向を強く感じます。まさに自分に都合のいい情報だけ取り入れて頭でっかちになった「お子様」。
根性論は時代遅れと言われます。でもある程度は必要だと考えています。生きていく上で辛いことや逃げ出したいことは幾度となく襲ってきます。その都度逃げるわけにはいきません。なので本人には辛いかもしれないけれど、親がなるべく客観的道徳的な目で判断しなければならないと思います。
例えば、
私なら学校で集団からいじめに遭っていて、生きていることが辛い、とまで思い詰めているのなら「(死を考えるくらいなら)無理して行かなくていいよ」。と思います。
自分のしたことで怒られる、注意される、きつい言葉を浴びせられる、という娘さんの状況なら、私ならもしかして1日くらい休ませてしまうかもしれないけど、その時にしっかりと、嫌なことがあるたびに逃げてばかりいては大人になった時に必ず苦労する旨を傷つかないように伝えます。
そして子供の失敗は大したことがないことも伝えます。苦手なんだから失敗したって仕方ないじゃない?そのキツくいう子たちは失敗は全然しないのかな?苦手なことはないのかな?誰にだって得意なこと不得意なことがある。あなたは体育祭の競技が苦手なだけでしょ。わざと失敗したわけではなくて、頑張ったけど失敗してしまっただけでしょう?そこは責める方が良くないと思うんだよ。だから気持ちを強く持って。と。
すごく難しい問題ですね。
同じ状況でも子供の個性とかによって違ってきそう。
確かに引きずってでも!ってのは違うと思う。
ただ踏ん張ることや
周囲や自分の気持ちと折り合いをつけること
聞き流したり愚痴を言える人をつくったり・・・
そんなものって学力よりも資格よりも
生きて行く力になるんじゃないかな?
難しいですが
お子さんの様子をみつつ励ましたり
叱咤したり、寄り添ったりですよね。
ただお母さまはいつも味方だってことが
伝わっていれば大丈夫だ¥じゃないでしょうか。
↑補足です。
つい最近「嫌なら無理して行かなくていい」という言葉が問題視され始めた旨をニュースでやっていました。世間の考えも少しずつ変わってくるかも。育児しにくい世の中ですが、お互い頑張りましょう!
私の話になりますが…
私、今まで何度も不登校になりかけてます。
原因は友達のことだったり、部活だったり、勉強だったりと様々でしたが、大人になった今考えたら甘えた理由ばかりだった思います。
が、当時の私にとってはそれは深刻な悩みでした。
私の母は専業主婦でした。
母は、学校に行きたくないという私に「行け」と言ったことは一度もありませんでした。
ただ、体調不良で学校を休んだ日は、いつも決まって「ランチ付き合って」「映画観に行こう」「美術館に行きたい」などと言って、私を必ず外へ連れ出しました。
もちろん、平日の昼間に学生が出かけていたら、怪訝な目で見らます、特に私が学生だった10年以上前はそうでした。
実際、母の友人に会ってしまって、「学校は?」と聞かれたりもしました。
が、母は笑って「今日はズル休みさせてんの、私に付き合ってもらいたくって」と返していたのを今も覚えています。
相手も「あらー、それは楽しいわね」みたいに言っていたと思いますが、私自身が母になった今、このようにあっけらかんと言えるのはすごいことだなと感じます。
そして私は2、3日気分転換をして、土日を挟んだりして、また学校に通う、というのを周期的に繰り返していましたが、不登校というまでにはなりませんでした。
あの頃の話を、大人になってから母にしたことがあります。
「あのまま私が学校行かないって不登校になったら、どうするつもりだったの」と。
そしたら母は、「そうねぇ。ま、あんたは多分自分でこのままじゃだめだって思えるタイプと思ったから、そのまま引きこもりになったり不登校になったりするとは思ってなかったわ。多分どこかで自分にうんざりして、同年代の友だちと会いたいと思うでしょ」と笑いながら言っていました。
逃げ癖と言いますが、逃げていいんですよ。
逃げ場があるから弱音が吐ける、最悪の一歩手前で踏み止まれる、他に選択肢を探す余裕もできる、自分で考える時間も持てるのですから。
実際私の母は、学校は休ませてくれるし、遊びに付き合わせるという名目で外に連れ出したりはしたけれど、その代わり学校を休んだからと言って家でゴロゴロすることや、夜中まで起きて朝のんびりするなんてことはさせてくれず、生活のメリハリはついていました。
逃げ場って、こういうことだと思うんです。
決して甘やかしたわけではない。
と、私は思っています。
将来、社会人になった時の仮定を話してみては?
大人になれば年齢が離れている価値観の違う人達からお叱りを受ける事も、上手くいくと思っていた事が出来ないケースも経験します。
その時にその度に休むと社会的な信用を失うし、逃げるほどに自分の置ける環境は厳しいものへと追いやられます。
実際嫌な目に遭って逃げ続けた結果、社会人になって踏ん張りが効くかを考えたら難しいと思うのです。旦那さんが懸念しているのもそこでしょう。
逃げるべきかどうかの判断に関しては程度や原因になったケースの問題でもあります。逃げるのが適切かそうでないか。そこは親も事情を子供からきちんと聞き取り、判断の補助が必要だと思います。
私、会社と学校(義務教育)はちょっと別として考えた方がいいと思っていて。
例えば会社で、部署全員の前で「こんな簡単な問題分からないのか」と叱責されたら?
まず、そもそもそれ自体もパワハラだと思いますけど、でも、会社ならそれくらいで長期で欠勤したりまでするかというと、たぶんそうでもないじゃないですか。
なぜならば、本当に嫌気がさしたら「辞められるから」。
会社の場合は「選択の自由」があるんですよ。
入るのも選んで入っているし、いざとなったら転職するという選択肢もある。
そして何より、毎月お給料が入る。
頑張ったら、昇給やもっといいところに転職できるという可能性もある。
だからこそ、逃げずに踏ん張るということもできる。
でも、学校は?
子供はその学校を選んでません。
そもそも会社だったら、入る前に社風とかもなんとなく加味しますけど、義務教育はそれもできない。
パワハラで嫌気がさしても、自分の意志ではやめられません。
踏ん張って頑張っても、お給料ももらえず、ただただ嫌な時間をひたすら耐えるしかない。
それも、3年とか6年とかの、かなり長い期間。
なので、特に中学までは、特に目立つ理由がなかったとしても、お休みさせてあげるとか、場合によっては転校させてあげるとかは、必要な措置だと思うんですよね。
で、高校受験では自分で選んでもらって。
高校で何かあったら、そのときにはじめて「自分で選んだんだから、もう少し踏ん張ろう」と言えるんだと思います。
お子さんに合った対処をすることだと思う。
無理して行かなくていいという風潮は変わりつつありますよ。
逃げる、ではなく「違う道」をいけたらいいですね。多勢と違う道を自力でいけないなら、集団の中にいた方が楽に進んでいけると考えます。
休みながら通ってもいいじゃない。
我が家の話になりますが、
親の私は何でも耐えて我慢をして学校生活をのりきった。協調性はあるが、自由になった今、周りに合わせない生き方をしている。
子どもは、多勢と違う道を小中高校の時に過ごしましたが、大学生の今すごく積極的な性格になり集団のリーダー的存在になっている。
耐える事が後の人生、良い方向に動くとは限らないです。
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