先日、私は、家族のきずなについて、考えさせられました。 「ちょっとぐらいサービ…
先日、私は、家族のきずなについて、考えさせられました。
「ちょっとぐらいサービスしてくれないと、キョウダイの意味ないじゃん」
と言われ、はっとしました。
確かに言われてみれば、うまれたときから一緒の、家族、キョウダイという特別なきずなは、こまったときはおたがいさまで、ささえあうためのつながりですよね。
私は、そうゆうことを忘れて、うまれたときから一緒にいるからしょうがないと思ってるんじゃないかと思いました。
家族である以上は、無償の愛があるのが本来ですよね。
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生まれた時から人は家族の中にいるため、
家族という集団が当たり前にあり、
なかなか気づきにくい面があると思いますが、
家族とは、絶対的なまとまりのある集団ではなく、社会によってつくられた仮想集団と捉えています。
母親が子供を産むとして、そのあと必ずしも、父、母、子、子、のグループでいないといけないわけではありません。
そんな中で、実際は父、母、子の集団でいることを当たり前として社会は管理をします。
兄弟が特別、というのも、ひとつの考え方にすぎません。
生まれた時から、子供にとって家族は当たり前・絶対的であり、重要と思わせられる。
そこでルールや価値観が刷り込まれていく、という意味で、家族とは洗脳の一種と書きました。
そして、それは、
子供にとってプラスになるならば、
その洗脳は有益なものになります。
逆に、子供の精神がむしばまれるなら、
洗脳による暴力とも言えます。
この洗脳が、子供にとってプラスになるかマイナスになるかは、実に運次第だと思います。
家族、兄弟の絆が特別、と感じて
それが自分にとって心にプラスになるならば、大いにそう感じて良いと思います。
貴重な心の栄養になります。
と、私の個人的な見方でした。
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