外国人が生活保護を受給する事を批判する人がいるのはなぜ?困窮した人が救われるのは…
外国人が生活保護を受給する事を批判する人がいるのはなぜ?
困窮した人が救われるのは良い事じゃん
なんで税金によって人が救われて良かったと思えないの?
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私も主さんが日本人かどうかは別にどちらでも良いと思うし、人を寄生虫とまで呼ぶ極度な外国人批判はどうかと思いますね。
主さんのスレなのでわざわざ横レスはしませんが、変な野次レスも多いですね
批判も擁護もどちらもあっていいけど行き過ぎるのがいけないんです
>> 103
>したい人が寄付でも募金でもすりゃいいだけだと思うんだよね。
僕が言ってるのは、「日本という国がどうあるべきか」
「制度としてどう支え合うべきか」って話であって、
「個人が何人助けたか」っていうのは論点がズレている
個人がやることと、社会制度の議論は次元が違う。
民主主義ってのは“みんなでどういう社会を作りたいか”を話し合って制度を決めていく場だよ。
だから、別に金持ちじゃなくても、仮に自分が直接ボランティアしてなくても、
「こういう制度があるべきだ」と言う権利は誰にでもあるし、それが民主国家の基本。
もし“自分の手で全員を助けられないなら黙っとけ”って世の中になっちゃうよ。
そんな社会、優しさも思いやりもなくなって、
最終的には自分だって誰にも助けられなくなってしまう。
だからこそ、制度のことを考えて、
「誰もが安心して暮らせる社会にしたい」と思って発言することこそ、
立派な“アクション”だし、必要な声なんだよ。
>> 102
人道的にかこつけ過ぎてる
生活保護法で対象は「国民」とされてる
>生活保護法で対象は「国民」とされてる
日本では生活保護法の“法的対象”はたしかに「国民」と明記されてる。
だけど、ここで大事なのは、じゃあ外国人は一切保護されないのか?って話。
結論から言うと、生活保護の準用が認められてる外国人もいるし、
それはすでに行政・司法ともに認めた実務運用なんだ。
たとえば、永住者や定住者、
特別永住者などの在留資格を持って日本に安定的に暮らしている外国人については、
昭和29年(1954年)の厚生省通知以降、「生活保護法を準用する」形で保護が行われてきた。
そしてこの運用、最高裁も含めて違法とはしてない。
例えば名古屋地裁(2014年)では一度「外国人には法的権利がない」
と判断されたこともあるけど、これは「法的な請求権がない」って意味であって、
「支給が違法」ってわけじゃない。
行政裁量で支給しても違法性はないっていうのが確立したスタンスなんだ。
しかも、日本は人道的配慮や国際的義務(難民条約など)もあるから、
単に“国民じゃない”ってだけで生存権をゼロにするわけにはいかないのよ。
憲法25条の生存権は“国民”と書いてあるけど、
国際人権規約に加盟している以上、外国人の最低限の生活を保障する責務もある。
つまりさ、よく言われてる法律の字面だけを都合よく切り取って「違法だ!」って言うのは、
制度の実態と運用を完全に無視してるってこと。
しかも、支給されてる外国人ってのは、何年も日本に住んで税金も納めてたり、
働いてたり、家族がいたりする人たちが多い。
その人たちを全部「人道にかこつけた不正だ」って切り捨てるのは、不適切だと思わないかい?
日本で暮らし、働き、学び、納税してる外国人個人の姿をちゃんと見るべきだ
とか言ってるけどこんなの最低限のこと日本人だってやってるよ。
それに付随して礼儀やマナーが無きゃ多くの日本人は仲間とは認めないだろうね。
>104
いろいろ言い訳してるけど、
つまり「スレ主個人はまったく人助けをする気が無い」ってことだろ?
それのどこに「優しさや思いやり」があるんだ?
「自分の手で【全員】を助けられないなら黙っとけ」
とは言わんし言ってもないが、
偉そうに言うならそれなりに自分も人助けをする姿勢を見せて欲しいよ。
じゃないとダブスタで終わる話。
>>105
思わない
主さんは「思う」
それだけのこと
この問題ネットにも いろいろ見解載ってるけど どれくらいどう思うかは個々の問題で 長々いくら主さんがここで力説しても 「私は」思わない
こんなに力説するなら 何か具体的活動してるの?
ここで喚く「だけ」?
>> 107
日本で暮らし、働き、学び、納税してる外国人個人の姿をちゃんと見るべきだ
とか言ってるけどこんなの最低限のこと日本人だってやってるよ。
…
>礼儀やマナーが無きゃ多くの日本人は仲間とは認めないだろうね。
礼儀やマナーがあれば日本人の仲間?
それって日本人の大半は常に礼儀正しく、マナーが良いこと前提に言ってるの?
残念だけど実際はそうではないぞ
駅で酔っ払って騒ぐ人、電車で騒ぐ高校生、ゴミをポイ捨てする大人、横柄な態度の客……
日本人にも普通にマナーの悪い人はいるし、それはどこの国でも同じでしょ。
この掲示板でも人を煽ったり暴言吐く人も沢山いるじゃん。
それを理由に「日本人全体はダメ」とか「国籍で線引きして信用しない」って言われたら、
誰だって納得しないよね。
なのに外国人にだけ、「ちゃんとしててもまだ信用しない」「礼儀も備えてなきゃダメ」って、
要求水準を日本人より高く設定してるのは、もう立派なダブスタだよ。
しかも、「礼儀やマナーがなければ仲間と認めない」って、
その基準って誰が決めるの? どれくらい礼儀があれば合格なの?
曖昧な“感覚”を基準にして人を排除するって、
「好き嫌い」で社会の一体感を語ってるのと変わらない。
俺が言いたいのは、「納税や労働さえしてれば仲間だ」って話じゃない。
そうじゃなくて、少なくとも“同じ社会の一員として暮らしてる”という事実に対して、
ちゃんと向き合うべきだってこと。
その上でマナーや礼儀が大事っていうなら、それは国籍関係なく全員に求めるべき話。
「日本人なら許すけど、外国人なら叩く」っていうのは、
平等でも秩序でもなく、ただの選別と排除の理屈であって。健全な思想ではないよ。
>> 108
>104
いろいろ言い訳してるけど、
つまり「スレ主個人はまったく人助けをする気が無い」ってことだろ?
それのどこに「優しさや思…
>偉そうに言うならそれなりに自分も人助けをする姿勢を見せて欲しいよ。
だからそれは論点ズラしだってば
、
それって「個人が何をしてるか」でしか他人の意見を評価しないってことでしょ?
僕が話してるのは、“社会全体としてどうあるべきか”という制度の話。
そこに「個人が何人助けたか」という軸を持ち込むのは、次元の違う話を混ぜて議論をぼかしてるだけだよ。
民主主義ってのは、「誰がどれだけ善人か」を競う場じゃなくて、
「みんなでどういう社会を作るか」を理性とルールで考えていく場。
誰かが「こうした方が社会として良くなる」と意見を出したときに、
「じゃあお前はどれだけ行動してるの?」としか返せないのは、
議論の中身じゃなく“発言者の資格”にすり替えて攻撃してるだけ。
仮に、僕がまったく人助けしてなくても、
「困ってる人を制度で支えるべき」という意見の中身が正しければ、それでいいんじゃない?
社会ってのは、“誰かひとりの完璧さ”じゃなくて、“全体で支え合う仕組み”で成立してるものだから。
しかも「ダブスタ」って言うけど、
「個人の支援」と「制度の支援」は役割がまったく違うもの。
前者は“できる範囲”での思いやり、
後者は“誰もが等しく最低限守られるための仕組み”。
両方は矛盾しないし、むしろ両方があるからこそ社会はバランスを保てる。
だから僕は、「個人の善意を超えて、制度で支え合う社会にしたい」と言ってるんだよ。
そもそも日本人だって生活保護受給者は叩かれてるだろ。外国人だから特別叩いてるというわけでもない。国が認めようが国民から見て受給する価値の無い人が受給してるから批判されるのでしょう。
本当に困窮していて社会復帰を目指してるのなら外国人だろうが批判もされないでしょう。
>> 113
>日本人だって生活保護受給者は叩かれてるだろ。
それってつまり、“誰であれ貧困層を叩く文化が蔓延している”ってことだよね?
それが当然みたいに語られてる時点で、むしろ問題の根深さを示してると思う。
しかも、「国が認めようが、国民の目から見て価値がない受給者は叩かれる」って……
いやいや、そもそも「国民の目」って何? 誰がどこまで当事者の事情を知ってるの?
生活保護の申請って、収入、資産、家族関係、健康状態、就労可能性まで含めて
厳しく審査されて決定されてる。
それを、会ったこともない第三者がなんで勝手に“価値がない”と決めつけてるの?
もし仮に「働けそうに見える」人が受給していたとしても、
外からは見えない病気や障害、DVの被害、職場での深刻なハラスメントがあるかもしれない。
それを知らずに「働けよ」「甘えるな」って言うのは、
実情を知らずに人を断罪する横暴でしかない。
さらに、「社会復帰を目指してる人なら叩かれない」っていうけど、
生活保護を受ける人の多くは実際に就労支援を受けながら復帰を目指してる。
それでも叩かれるのは、「貧困=自己責任」っていう空気が先にあって、
“叩くための理由”を後から探してるだけの人が多いからなんだよ。
だからこそ問題なのは、「外国人だから特別叩かれてるかどうか」じゃなくて、
“制度に従って受給してる人すら叩かれる風潮”そのものが社会として未成熟だってこと。
国が制度として認めているなら、それを基準として尊重するのが法治国家の基本であって、
自分の思い込みで「こいつは受け取る価値がない」と断ずるのは、
公的判断を私情で否定してるに等しい。
そしてそれは、日本人だろうと外国人だろうと、福祉制度の根幹を壊す行為だよ。
>> 115
>生活保護目的で来日する外国人を助長させるから
それ、日本の入国制度と在留資格の仕組みを完全に誤解してるよ。
現行の入管法では、「生活保護など公的扶助の対象になりうる者」は
原則として在留資格が認められない。
短期滞在・観光・技能実習・留学などのビザでは生活保護の対象外だし、
中長期滞在でも生活基盤が不安定であると見なされれば、入国は許可されない。
つまり、制度上「生活保護を目当てに来日する」こと自体ができない仕組みになってる。
仮に入国後、事故や病気、雇用主の倒産などで急激に困窮した場合に限って、
「やむを得ないケース」として生活保護が準用(法律の一部を当てはめて運用)されるだけ。
だからこれは、“不正に来日して保護を受ける外国人が増える”という懸念には
事実的な根拠がない。
そして万が一、不正受給のケースがあったとしても、
それは不正受給という個別の問題であって、制度や国籍そのものの問題ではない。
不正受給は、外国人だけじゃなくて日本人にも存在する。
実際に過去の統計でも、日本人による虚偽申請や隠し口座などの不正事例は複数ある。
でもだからって「日本人全員に生活保護を出すな」とは言わないでしょ?
つまり問題の本質は、「誰が受け取ってるか」じゃなく、
「制度が適切に運用されているかどうか」なんだよ。
制度の悪用が心配なら、対策を講じるべきは審査の厳格化や情報共有、
調査体制の強化であって、
正当に審査を経て支給されている外国人をまとめて「助長される」なんて言うのは、
制度の理念――“最低限度の生活を保障する”という原則――に真っ向から反する。
制度に従って受けている人を疑うより、
制度を理解して語ることの方が、よっぽど建設的だよ。
>> 117
>根本的に「国民」が基本だと思うから
たしかに生活保護法の第1条では「国民の最低限度の生活を保障する」と書かれている。
でもその後、法務省・厚労省は「生活保護法の準用」という形で、永住者や定住者など、
日本に生活基盤のある外国人にも“準用して支給することは違法ではない”と明確に通達してる。
実際、2014年の最高裁も
「外国人は生活保護法の適用対象ではないが、支給を違法とまでは言えない」と明言してる。
それなのに「国民って書いてあるから外国人には一切賛同できない」っていうのは、
実際に支援を必要とする人の命や尊厳より、“字面”を優先する態度だよ。
それに、思い出してほしい。
東日本大震災のとき、日本は世界中から無償の支援を受けた。
アメリカの「トモダチ作戦」、台湾からの200億円超の寄付、
トルコやタイ、アフリカ諸国からの医療チームも駆けつけてくれた。
もし「“国民”じゃなきゃ支援すべきじゃない」という考えが本気なら、
その時の支援も「賛同できない」と言わなきゃ筋が通らない。
でも実際は、あのとき多くの日本人が心から感謝したよね。
そこに“国籍”なんて関係なかった。
つまり、社会保障制度もまた、単なる文字の解釈だけでなく、
“人道的判断”や“相互支援の精神”によって柔軟に運用されるべきなんだよ。
「国民」と書かれているのは、“本来優先されるべき対象”という意味であって、
“他は排除せよ”という意味じゃない。
字面にこだわるばかりに、本来守るべき価値――
「困っている人を見捨てない」ことや、「支え合って生きる社会」そのものを見失ってしまってはいけない。
現実には、日本で長く生活して税金や保険料を納めてきた外国人が、
病気や事故で困窮して保護を受けることがある。
それを「国民じゃないからアウト」と言うのは、
制度の理念を無視した、ただの形式至上主義。
だからこそ俺は、「文字通りに従う」ことだけが正義じゃなく、
その背後にある“人としての在り方”を見失わない制度こそ、誇るべきだよ。
ケースワーカーの仕事で長年多くの生活保護受給者と関わる機会があったけど、正直こんな奴らが救われて良かったとは微塵も思えなくなりましたね。
態度はデカいし頭おかしいクレームばかり。それが1人や2人じゃなくて、2人に1人くらいの割合でいる。頭おかしい奴らの社会からの手切金が生活保護ですね。偏見でもなんでもなく事実。
私もケースワーカーの経験があります。
福祉五法の内の2法と、生活保護法の施行に関わっていました。
郡部福祉事務所ということもあり、外国の方からの申請はありませんでした。
町役場への相談時に他法の施策について助言していただき、申請に至らなかった事案はあったようです。
認められていて不正ではないものの、一体どれだけの保護費がギャンブル、酒、タバコに消えているんだろう。
パチンコ店で働いていた時に生活保護受給日になると、計100台以上ある2スロ0.2パチが朝から満席になるからお察しだったな。
>> 123
>一体どれだけの保護費がギャンブル、酒、タバコに消えているんだろう。
それって“お金がどこかに消えた”わけじゃなくて、
使われた分だけ 経済の中で誰かの収入になってる=循環してる ってことだよ。
たとえばスロットに使われたお金は、店の運営費・従業員の給与・業者の仕入れ費に回ってる。
あなたが働いてたパチンコ店だって、そういうお金で成り立ってたんでしょ?
それを「無駄」って言うのは、自分の給料源まで否定してるようなもんだ。
生活保護ってのは「最低限度の生活を保障する」だけじゃなくて、
文化的で、自律的な生活を維持することも目的に含まれてる。
酒・タバコ・ゲーム・競馬――それらが「息抜き」として社会的に認められているのなら、
それを楽しむこと自体が即「不正」や「不適切支出」とは言えない。
もちろん度を超えて生活が破綻してるなら指導の対象になるけど、
それは「支給の問題」じゃなく、「個人の生活指導の範囲」といえる。
合法的に支給された保護費の使い道まで完全に制限しようとしてしまったら、
それは制度の本来の理念、生きることの自由と尊厳を歪める行為だよ
パチスロ店の収益の流れつく場所が何処なのか知っていて仕掛けているのか
知らずに仰っているのか、
わからないので困ります…
それとも私が知っている情報が都市伝説なのか…
寧ろ都市伝説だと思いたいけど、創業者や経営者の名を調べてみると…うーむ😢
別にいいんだけどね、どこに流れ着いても儲けた経営者の自由なんだから。
>> 125
>パチスロ店の収益の流れつく場所が何処なのか知っていて仕掛けているのか
>知らずに仰っているのか
そりゃあ僕はそこの経営に携わってる身じゃないから完全に把握してる訳ではない
しかし、少なくとも先に述べた「店の運営費・従業員の給与・業者の仕入れ費」には
必ず流れてるということは保証する。そこに流れてないのはありえない。
でなきゃどうやって成り立ってるんだって話でしょ
それでも「反社会的勢力にも流れてるんじゃないか」みたいな話を持ち出す人もいるけど、
それならそれで、問題にすべきは“業界の透明性や規制”であって、
消費者個人(しかも困窮者)の消費行動を吊るし上げることではない。
>126
あ、そうか反社か。そっちね
確かにそちらに流れているともよく言われてますよね。
別に困窮者や消費者をつるし上げたいとは思っていませんよ。
ただ結構世の中に知れ渡っていることだと思っていたパチスロ店の裏側が意外に知られてないんだなと感じただけ。
>> 127
>>118
だから「私は」「主さんの解釈」に賛同出来ないってだけ
災害の支援まで持ち出して生活保護とはステージが違う…
>だから「私は」「主さんの解釈」に賛同出来ないってだけ
なんで賛同できないの
なんの理由も反論もなく。ただ否定するだけじゃ話進まないのよ。
>災害の支援まで持ち出して生活保護とはステージが違うのに
その“ステージ”って何を基準に言ってるの?
どちらも「人の命と生活を守るための公的支援」という意味では、本質的に同じだよ。
災害では家や仕事を一瞬で失うこともあるし、
生活保護が必要になる理由だって、事故・病気・家庭崩壊・雇用喪失と、
災害と同じくらい突然で、本人の責任ではどうにもならないことばかり。
「支援の形が違う=価値も別だ」というのは短絡的すぎる。
むしろ両方に共通してるのは、
“困っている人を見捨てず、支えるのが社会”という人道的な理念。
東日本大震災のとき、世界中の国々が「日本人だから」「条文に書いてあるから」じゃなくて、
「困ってるから助ける」って動いてくれた。
それと同じように、今日本で長年生活して納税してきた外国人が、
事故や病気で困窮したときに支えるのは、災害と同じ“人道に基づく支援”だよ。
制度の内容や形式が違っていても、
「助けるべき人を助ける」という価値は同じ土俵にある。
それを「ステージが違う」と言って切り捨ててしまうのは、
「何が人道で、何が社会の責任か」という根本的な視点を見誤ってる。
>> 130
>人道的にかこつけ過ぎ
「かこつけ」という表現は適切じゃないよ
人道はそういう“ごまかし”や“口実”のためにあるものじゃない。
それは建前じゃなく、法治国家や民主主義社会が守るべき“原則そのもの”なんだよ。
そもそも生活保護って制度自体が最初から“人道”を目的に作られてるんだ。
生活保護法の第1条には、はっきりと
「最低限度の生活を保障し、その自立を助長する」とあるし、
その根拠になってるのは**日本国憲法第25条、
「すべての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」**という規定。
つまりこれは、「人道」に“かこつけた”んじゃなく、
“人道を原理にした制度”として国が作った、正当な支援の仕組みなんだよ。
これは国際的にも、日本は「社会権規約(国連)」に批准していて、
この中で「在留外国人にも基本的人権と社会保障を平等に与えること」が明確にうたわれてる。
つまり**人道的支援は“かこつけ”どころか、国際的にも日本国内の制度的にも
“義務に近い当然の行為”なんだよ。
逆に「かこつけ」として疑ってかかるその姿勢こそ、
人道を“損得勘定の道具”だと誤解してるから出てくる反応じゃないか?
でも実際、人道的支援ってのは、
「困ってる誰かを見て、“助けた方が社会として健全だ”と判断する、理性と倫理の延長線上」にあるもの。
感情論でも美談でもなく“共に生きる社会を維持するための合理的な選択”だよ。
だからこそ、人道的判断を「かこつけだ」と一蹴するんじゃなく、
「その支援がなぜ必要とされているか」に目を向けるのが、社会的に適切な考え方だ。
人道的支援は国外に対してやれば国際的には日本という国は評価されるから
国内に来た外国人に対して、個別にやらなくてもいい話。
国内に来た外国人の人道的支援は、難民認定された人だけでいいはずです。
難民認定は簡単には下りない。
厳しい審査があり、母国にも自力でもどうにもならない事情を抱えている場合のみです。
母国が棄民してるとはっきりしていて行き場のない人達は、国籍には囚われてはいけないですが、母国が棄民してないと言っている国の人々は先ずは、その母国が保護するのがその国のあり方。
日本が先回りして助けてあげますって言うのは、国際的に勝手に何してるの?ってなります。
日本は良い人ぶって外国人の取り込みを図ってるのか?ってなります。
その国から逆恨みされかねない。
だから、慎重に調べて日本が保護して良いのか判断するんですよ。
棄民されていない国々の人達は祖国や母国に帰すのが国際的には正しい。
外国人を保護するのは、本人が命を狙われてるので亡命したいなど、本当に危機迫る状況であるなら、それは保護する対象であると認めるのは、人道的です。
主さんは人道的支援を勝手に拡大解釈し過ぎてます。
それは逆に国際的には危ないことです。
>> 132
>国内に来た外国人の人道的支援は、難民認定された人だけでいいはずです。
いやいや…それは流石に不謹慎な発言だ
すなわち外国人は“人道的扱いの対象外”ということになってしまう。
それこそ国際的にも非難されかねない危険な思想だ。
だってさ、日本で暮らしてる外国人って、もう**“こっち側の社会”にいる人たち**じゃん。
税金も払ってるし、保険料も納めてるし、日本語で生活して、日本の法律に従ってる。
そういう人が病気とか事故で働けなくなっても、「あなたは国外の人だから日本じゃ助けません」って言える?
それ、人道ってよりも、「ただ追い出したいだけ」になっちゃうよ。
「難民じゃない限り助けるべきじゃない」とか言ってるけど、
難民認定ってそもそもめちゃくちゃ厳しくて、戦争や政治的迫害の証明が必要だったりして、
ただ生活が成り立たないとか病気で帰国できないって理由じゃ通らない。
でも現実には、そういう“難民とは別の困窮”で命の危機にさらされる人もいるんだよ
それに「逆恨みされる」って意味が分からない
なんでそんなに“助けること”が迷惑行為みたいな扱いになるの?
世界の多くの国が、長期居住してる外国人に対して最低限の社会保障をしてるのは、
ちゃんと共生社会として現実的な対応してるだけだし、それが評価されてるよ。
「日本が勝手にいい顔してる」っていう懸念も分からんでもないけど、
助けを必要としてる人が目の前にいる時に
“国際的な印象”を優先する方がズレている、
だって東日本大震災のとき、世界中の国が「国際的に日本を評価するため」じゃなくて、
「困ってるから助けよう」って動いてくれた。
それと同じで、日本国内で困ってる外国人を「国際的にどう見られるか」じゃなくて、
「一緒に暮らしてる人間としてどう向き合うか」で判断するべきでしょ。
「人道支援の拡大解釈は危ない」っていうけど、
ちゃんと審査した上で支給してるし、無制限にやってるわけじゃない。
つまり今の制度は“必要な人をちゃんと見極めて支える”って形で、
すでに慎重に運用されてるよ。
だから、「人道的支援=なんでもアリの緩さ」ってイメージじゃなくて、
制度に基づいて支えるべき人を見捨てないっていう、
日本社会としての責任の話なんだよ。
日本も棄民政策してた時期があります。
過去中国で保護されておかげで生きられたという日本人が沢山います。
「棄民政策」はその時代、歴史背景もあります。
国家にとっては国民は人財と言う宝でもあるけど、
棄民政策の時には、国から見捨てられる存在にもなります。
個人では、こういうどうしようもない背景がある場合、それは人道的責務が日本にもあると思います。
けど個人的な理由で困窮してる人達は、自己責任です。
保険に入るなり、国に帰るなり対策を自分でしておくべきです。
日本人の人も海外に住む人はそうしてると実体験で話してる人がいました。
海外に住むのはリスクがあるから、海外だと助けてもらえないから、自分で考えてるって当たり前のことです。
自分で勝手に海外に出て行ったのに無策で他国に甘えるなんてことはしないです。
逆もしかりで無策で日本に来たら、甘えていい理由にならないです。
>> 134
>自分で勝手に海外に出て行ったのに
単に「勝手に来た」と解釈するのは少し語弊がある。
ここまで外国人が増えたのは、これまで日本が取り入れてきた外国人労働者の受け入れ政策の影響も強いんだ
外国人労働者って、日本の少子高齢化と人手不足に対応するために、
政府が積極的に受け入れを進めてきた存在。
技能実習生制度、特定技能制度、留学生のアルバイト就労の拡充――全部政策の結果であって、
彼らが「勝手に来た」というより。日本の制度が彼らを呼び込んだんだよ。
そして、その人たちは来てからもしっかり働いて税金や社会保険料を納めてる。
つまり日本人と同じように、義務を果たしてきた「納税者」でもある。
なのにいざ困窮したときだけ「甘えるな」「自己責任」と突き放すのは、
制度に呼ばれて働かされて、捨てられる――それって現代の“棄民”じゃない?
あなたが言うように、日本にも過去に棄民政策の歴史がある。
だからこそ、“見捨てられる人の苦しみ”を知ってるはずの日本だから、
「自分たちは違う」と言える社会を作っていかなくちゃ。
そして「海外では助けてもらえないから日本人は備えてる」って話だけど、
それってある意味、海外の制度が不十分だから“そうせざるを得ない”という話であって、
だから日本も同じように冷たくすべきだ、って理屈にはならない。
むしろ、「だからこそ日本は違う姿を見せよう」
「必要な人を見捨てない国であろう」って思えることが、
“支える社会”としての強さだといえる。
困った時に「勝手に来た」「甘えるな」で切り捨てる社会より、
「一緒に暮らしてるなら、一緒に支えよう」って言える社会の方がいいじゃん。
なぜ否定的になる必要があるんだ?
海外に行くのは自己責任だからです。
日本が呼んでる政策してても、それを選んだのは自分です。
自国で暮らす選択もあるのにです。
日本が呼び込む為に、万が一困窮したら保障しますとつけていたら、それは日本が保障すべきです。
でもそのような条件がないなら、対策していくのも、行くと選択したのも自己責任では?
日本国内で戦争に巻き込まれた、災害に巻き込まれたというような余程のことがない限り。
こういうアクシデントは、対策しようがないから、日本も海外の人を国民同様守るのは当たり前です。
主さんは、国と国同士の国際問題、国際情勢、そういう機微に敏感になったほうがいいと思います。
善意の行いが全て是で捉えて貰えるという思い込みを捨てて下さい。
亡命の話が一番しっくりくると思います。
亡命先は善意で助けます。
でもその人の本国では国民を取られたと思い面白くないです。
余計なことするな!っていうこともあります。
助けてくれるよりこの際だから大事な国民を返せという気持ちもあります。
感謝されるなんてとんでもないです。
助けて貰える本人と他国(国として)の感情は違うこともあります。
国際問題に発展していくこともあります。
迂闊なことをしてはいけないです。
拡大解釈して広げていこうとする考えは危険です。
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>> 137
主さんは、国と国同士の国際問題、国際情勢、そういう機微に敏感になったほうがいいと思います。
善意の行いが全て是で捉えて貰えるという思い…
>国と国同士の国際問題、国際情勢、そういう機微に敏感になったほうがいいと思います。
言いたいことは分かるよ。
確かに外交って、国同士の面子や立場が複雑に絡む分野だから、
善意だけで動くとトラブルになることもある。
でもそれって「国家レベルの政治的な干渉」や「亡命」みたいな高リスクの介入行為の話でしょ?
僕が話してるのは、外国人に生活保護を準用して支援するかどうかっていう、
あくまで国内制度の運用の範囲内で、国際問題に直結するような話じゃないよ。
現実に、外国人への生活保護支給は各自治体の判断で、
すでに何十年も行われてることだし、それで本気の国際問題になった例はほぼ聞かない。
「感情的に面白く思わない国があるかも」という想像だけで支援をやめるって、
むしろ日本の主権や価値判断を他国の顔色に委ねるようなもんじゃない?
もし本当に「助けるな」「その国民を返せ」と他国が正式に言ってくるようなケースなら、
それは外交ルートを通じて協議すればいい話。
“国際問題になるかもだから最初から支援するな”って、リスク回避として極端すぎる。
そもそも、困ってる個人に対して最低限の支援をすることって、
どんな国だって「人道的国家」であるために必要な行為だし、
国際的にはむしろ評価される対象であって、批判されるような筋合いのことじゃない。
「迂闊なことをしてはいけない」って言うけど、
何もしないことが正解とは限らないし、
むしろ目の前に困ってる人がいて“黙って見捨てる”方が、
社会の信頼や品格を失う行為だ。
国際的な関係性を考えるのは大事だけど、
それは“だからやらない”理由になるんじゃなくて、
“どう丁寧に説明し、理解を得ながら進めるか”って方向で考えるべきだよ。
>> 136
海外に行くのは自己責任だからです。
日本が呼んでる政策してても、それを選んだのは自分です。
自国で暮らす選択もあるのにです。
日本が呼…
>万が一困窮したら保障しますとつけていたら、それは日本が保障すべきです。
>でもそのような条件がないなら、対策していくのも、行くと選択したのも自己責任では?
何度も言ってるようにこれは法的な義務やとか
誰がどう保障されてるかとかではなく「人道的な対応」なんだ
日本政府は明確に“外国人を労働力として呼び込む政策”を取ってきた。
制度として道を開き、必要とし、受け入れてきた。
そこに来てくれた人に対して、「でも困ったら知りません」ってのは、
自分らの都合しか考えない、無慈悲な使い捨て理論であり、明らかに人道的に適切じゃないよ
それに、受け入れ制度の中には「雇用主が一方的に契約を切った」「賃金未払が発生した」
「病気や事故で働けなくなった」など、本人が予測も対策もできないリスクが多く存在する。
これは災害や戦争と同じく、個人の努力では防げないアクシデントだよ。
なのに「災害なら守るけど、労働者は違う」って線引きは、ちょっと現実的じゃない。
しかも、外国人たちは日本で働き、納税し、保険料を支払い、日本社会に貢献してる。
そのうえで困窮したときに「あなたには条件がついてなかったから」と言って支援しないなら、
それこそ日本が“人を呼んで使い捨ててる”って世界に見られてしまう。
助けるかどうかの条件が「なにかに書いてあるか」じゃなくて、
「この社会で共に生きているか」っていう視点を持つのが
社会としても国としても健全な在り方なんだ。
制度に明文化されてないから支援の義務がない、というなら、
じゃあ逆に、制度に明記されていなければ外国人の納税義務も曖昧になるの?
「納税は当然、でも支援は自己責任」って、それダブルスタンダードでしょ。
結局、日本が外国人を呼んだ以上、
最低限の生活が破綻したときに、一定の人道的責任を持つのは当然だ。
それが「無制限に支援しろ」って話じゃなく、
合理的に審査して、支援が必要な人には応じるという事こそが当たり前ということになる。
>>131
言葉が適切かどうかの論議じゃないでしょ
主さんは自己主張を通したいが為 多岐に渡り感想を長々と書くあまり 話の枝葉が多くなり過ぎ
お門違いな例えに自己陶酔して話にならない
ベースは「国民」という線引きを曖昧にすべきでない というのが私の考え
思わない。
他人の思考を自分と同じにさせようと考える生活保護を受けているであろう外国人の主の発想に恐怖すら覚える。
同じ話を何度も繰り返している時点でおかしいのは一目瞭然ではあるが。
このようなルール違反の行為をいつまでも放っておくのもどうなのか?
>> 141
>>131
言葉が適切かどうかの論議じゃないでしょ
主さんは自己主張を通したいが為 多岐に渡り感想を長々と書くあまり 話…
>お門違いな例えに自己陶酔して話にならない
お門違いではないことは先に説明したよね、なんで無視するの?
どちらも「人の命と生活を守るための公的支援」という意味では、本質的に同じだよ。
災害では家や仕事を一瞬で失うこともあるし、
生活保護が必要になる理由だって、事故・病気・家庭崩壊・雇用喪失と、
災害と同じくらい突然で、本人の責任ではどうにもならないことばかり。
そもそも「支援の形が違う=価値も別だ」ということにもならない、それは短絡的すぎる。
むしろ両方に共通してるのは、
“困っている人を見捨てず、支えるのが社会”というのが人道的な理念だよ。
>ベースは「国民」という線引きを曖昧にすべきでない
曖昧になってないよ、2014年の最高裁判決において既にハッキリしている。
生活保護法は国民を対象とした制度であるものの、
外国人への“準用”(法の趣旨に基づく運用)は違法ではない。
つまり、制度の根本理念「最低限度の生活を保障する」こと
は、例外的に外国人にも適用されるんだ。
つまりそもそも「国籍によって受給できる、出来ない」という線引きはないんだ。
この説明もしたよね、なぜ無視する? それともちゃんと読まなかっただけ?
話にならないのは君がちゃんと僕の文章に沿ってないことが原因だよ
私は最初は主さんが人の感情までも規制しようとしているのがどうかと思うだけで、言うことの大筋はそこまで間違ってないと思ってた。
でも流石に見ていて「ただ自分の主張を延々と語りたい欲求が強いだけ」としか思わなくなった。
主さんが自分で自分の話を「お門違いではない」と評価しても仕方ないんだよ。
本人はそりゃそう言うよねとしか言えない話。
理由付けなら幾らでも書き並べられるけど筋が通っているかどうかは本人が自己評価で決めることじゃないです。
自分の話をちゃんと読んでない読んでないと喚く割にはレス者の話も読んでないし、明らかに都合悪いレスはスルーしてるし、法律や制度は頑張って調べたのは分かるけど、パチスロ店のお金の流れについても反社しか思い浮かばないあたりかなり世間知らずな印象で頭でっかちなんだろうなと。
おまけに具体的な行動は税金納めてます、と至極当たり前の事で胸を張っている感じが呆れて物が言えない。
そういうところですよ、批判ばかり集まる要因は。
もう少し冷静に柔らかく議論できれば「主さんの言うことも一理ある」という人も集まると思うけど、主さんはガチガチなんです。
厳しいことばかり言って申し訳ないけど、こちらも残念な気持ちなんですよ。
>137
だから何度言えば分かる?
相手の国からしたら海外にいても大事な国民なんだよ。
帰ってきて、自分の国に貢献して欲しいって思うからです。
日本や他の国で働いた経験があるなら、その経験を活かして母国を発展させて欲しいって、貴重だということが分からない?
本人は助けてもらって日本に居たいだろうけど、
相手の国からしたら余計なお世話なんだよ。
助ける名目で囲い込むなってことだよ。
どちらの国にとっても良いのは、きちんと線引きすること。
母国が出国許可を出してるのは、それぞれの国ってこと忘れてはいけないです。
働きに行くことは許可した。
国民の保護する権限持ってるのは、「その国」だけ。
その権限を勝手に侵しては駄目です。
権限あるのは日本ではない。
何かしようとするなら相手国に対して、やってもいいかって許可を貰わないといけないのが普通。
善意なのに、許可を貰わないといけないのかって疑問に思うよね?
特に主さんのあたまでは?
主さんと話が通じないのは、そこです。
他所の子供に、その子の親に許可なくお金あげたら怒られますよ。
子供は大喜びでも親は何勝手なことしないで!って怒ります。
親も一緒に喜ぶものだと思ってるのが主さん。
善意なのに!!って思ってやったことでも
これ通じないから。
お金あげるからうちに遊びに来ない?
子供は大喜びで着いて行った。
帰って来なさいと親が怒ります。
家で遊びなさい!
お金あげて子供も喜んでるのにって怒られる理由が分からないのが主さん。
親の権限を侵してる。
何処にいようとあくまでも子供のことは親の責任であり、権限を持ってるのも親。
これはわざわざ書かなくて分かると思いますが一応、親のところを母国として考えて下さい。
子供は出稼ぎに来た人達。
主さんは人道的という言葉で誤魔化してる。
この関係性は全然人道的ではないです。
分かりますか?
これだけ説明してもどうせ分からないですよね?
別に外国人に限らず、日本人にだって「生活保護」は不要だと考える人が多いから。
生活の面倒を全面的に見て、何のメリットがあるんだろ?
生きられないなら仕方ない、そこに手を差し伸べる理由も無いし。
生活保護みたいなツラい仕打ちを受けるくらいなら死んだ方がマシと考える人が殆どですからね。
例えそれが病気であっても、それで生き長らえてその先どうしますか?
完治して施しを受けた分、返せますか?
どんどん切り捨てて行くべきなんだよ。
それが自然な事。
重荷を背負って歩かされる人の身にもなればわかると思うけどね。
冷たいようだけど、現実を無視したお花畑理論では国は栄えないし、支える国民が疲弊する。
>> 148
>どんどん切り捨てて行くべきなんだよ。それが自然な事。
それこそ“現実”をまるで見てない極論だよ。
まず、生活保護ってのは「ただの慈善」じゃなくて、
憲法25条に基づく“生存権の保障”という、国の義務。
生きることに最低限のセーフティネットがなければ、
誰だってちょっとした事故や病気、倒産や解雇で一気に転落する。
今元気に働いてる人でも、いつ生活保護が“自分の問題”になるかなんて分からない。
それを「切り捨てて当然」って言うのは、
「困ったら終わり。誰も助けない」って社会でいいってことだよ?
そんな社会、安心して暮らせる?
「返せないなら生かしても意味がない」っていう発想も、
「命の価値を“返済能力”で測る」って、正直それ、
人間社会じゃなくて“経済効率だけで回る冷酷なシステムじゃん。
社会ってのは、
「支えられるときは支え、支える側になれるときは支える」
っていう相互扶助のサイクルでできてるんだ。
実際、生活保護から社会復帰して働き出した人だってたくさんいる。
統計的にみても、生活保護受給者の中には、一定期間で就労に移行する人も多い。
「全員が一生ぶら下がる」なんて偏見に過ぎない。
あと、「生活保護はツラい仕打ち」と言うけど、それってむしろ社会の目線の問題。
偏見や無理解のせいで“恥”と思わされてる空気こそ問題で、
それを変えていく事が健全な社会への道だ
「お花畑理論では国は栄えないし」っていうけど
逆に君の言う、どんどん切り捨てて行くべき社会にこそ“現実的な持続性がない、
むしろ、助け合いの基盤がない国こそ、長期的に見て崩れていくよ。
“冷たくすれば社会が良くなる”って考えているのなら
それこそ現実から目をそらした君の理想論だよ。
それがある社会を「お花畑」と例えるなら
逆に切り捨て上等の社会は、「枯れた大地」であり。
そんな国は推奨されるべきではない。
国が本当に栄えるのは、困ったときに「助けがある」と思える安心がある国なんだよ
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