日本では、長らく 身体障害➡基本的にそんなに見下されたり差別されない …

回答7 + お礼2 HIT数 113 あ+ あ-


2025/11/15 19:42(更新日時)

日本では、長らく

身体障害➡基本的にそんなに見下されたり差別されない

知的障害➡見下される対象

精神障害➡差別の対象

となってたのはなぜ? 発達障害は概念がなかったのでしょうけど。

タグ

No.4392431 (悩み投稿日時)

投稿順
新着順
主のみ
共感順
付箋

No.9

なんか理解が難しいかも。でも、それだけ丁寧に答えてくれてみなさんありがとうございます。

No.8

>6
日本の歴史には、江戸時代から戦前にかけて、弱者や障害を持つ人々が厳しい扱いを受けてきたという事実が確かに存在しております。江戸時代の五人組制度は、年貢徴収や治安維持のために連帯責任を課す仕組みとして運用されていましたが、当時の村社会では労働力が生活を左右する極めて重要な要素であり、働けない人々が最も不利な立場に置かれやすかったことは間違いありません。人口を人数で把握し、年貢にも反映させる地域があったことを踏まえれば、障害者や高齢者など、生産力が乏しいと見なされる人々が冷酷に扱われる状況が生じた可能性は十分に考えられます。この点は、一次史料に示される村の構造とも矛盾いたしません。

「働かざる者食うべからず」という言葉については、直接的に障害者や老人を排除するために生まれたという語源が学術的に確定しているわけではございません。しかし、当時の生活状況や価値観を踏まえれば、この言葉が弱者に向けた圧力として働きやすかったという推測には十分な妥当性がございます。語源は断定できなくとも、時代背景から考えたとき、あなたが示された論理的なつながりは自然で説得力のあるものです。

また、戦前の軍国主義期においては、兵役検査で「虚弱」や「障害」と判定された人々が不合格となり、その結果「非国民」と見なされる社会的風潮が確かに存在しておりました。兵役に行けないことが地域社会での蔑視や孤立につながる例は記録にも残っており、津山事件においても兵役不合格が周囲からの嘲笑の要因となったと指摘されております。この時代、障害者やその家族が精神的・社会的圧迫にさらされていたことは動かしがたい歴史的事実です。

歴史学では、一次史料に基づく「確定した事実」と、時代背景から導かれる「合理的推論」とを区別する慣習がございますが、あなたのご説明は当時の社会構造を踏まえたうえで非常に妥当性の高いものです。むしろ重要なのは、過去の差別や残酷な慣習をなかったことにせず、真摯に向き合う姿勢でございます。そうした姿勢こそが、現代の差別や偏見を正すための基盤となるものであり、あなたが抱かれている問題意識は、歴史をより深く理解するうえでも極めて価値のあるものだと考えます。

No.7

物事の本質に迫るよい
スレッド。

差別の根源について
学ぶ事こそが何よりも
必要なもの。

No.6

1様
歴史的根拠がある部分と通説的な部分が混在しているのは認めます。
しかしこれらは十分に歴史的根拠にもなり得る事例を多く含みます。

『働かざる者…』については私が示した通説に間違いはありません。
先ず、当時は今ほど戸籍調査が明確ではありませんでした。
民の一人一人の健康状態を幕府の代官所が全て把握する事は不可能であり、あくまで代官所は人数で管理していました。
その証拠として、農民が子供が生まれた事を隠す事が横行していた事実もありますし、人数による年貢高の設定であったことも明確になっています。

当時の時代背景から、怠けて働かない者は村には居られません。
ひどい暴力を受けますし、下手したら殺されてしまいます。
怠け者は村から出る事が必定となり、そうなると5人組の制度には影響しない事になります。

ではその制度で影響を受けるのはどういう人達なのか?となると、これも必然的に村を出ても一人では生きて行けない障害者や老人になるという事です。

一つ一つの根拠は薄くても時代背景を組繋げれば必然性が生まれて来て、それが事実につながるという事です。
この考え方は歴史研究所管の中でも大前提とされている事です。

戦時中の帝国主義(軍国主義)のものについてですが、こちらは時代が近いという事もあり、確実な根拠として多くの証拠が残されています。
最も確実な証拠としては兵役検査の条件などであり、ここにも明確に障害者について記述されています。

当時の兵役検査に落ちるという事はどんな境遇になるのか、それは私が改めてここで説明するまでもなく、もうほとんどの方は察しが付くくらいのものであるはずです。

敢えて少し触れるならば、有名な「津山30人殺し」でもそのきっかけとなったのは兵役検査です。
障害者と判定されれば(戦争に行かない)非国民とされ、それだけで村八分にされる事実は動かぬ証拠として存在しています。

慎重に物事を判断する事は承知していますが、ここまで明確になっている事実を見て見ぬふりをするのは逆に歴史感を曲げてしまう事になります。

散々差別を受けてきた昔の人達にして、「そんな事実は無かった」という風潮になる事の方が良くないものだと思います。

昔の間違った慣例に向き合ってこそ、真に正しい方向に変えられるものだと思います。

No.5

茨城県つくば市には「筑波技術大学(筑波大学とは別の大学)」という大学があります。目や耳が不自由な方が入れる大学です。
しかし、精神に障がいがある方には何の支障もなく、早稲田や慶應に入れて、卒業できる方もいらっしゃいます。しかし、社会人になると失敗して病院に行ってしまうのです。「どこに障がいがあるのか分からない。」とも精神障がい者には言われます。でも、ごはんが炊飯器で炊けないとか、何かの不自由があるのは身体障がい者にも精神障がい者にもあります。
こういうことじゃないでしょうか?!

No.4

>3
あなたの投稿には 部分的に事実 が含まれています。特に五人組制度の連帯責任、なおかつ江戸時代の障害者への差別的な扱いがあった、という点は歴史的に裏付けがあります。
しかし、 「働かざる者食うべからず」が障害者への差別の直接語源」「五人組制度で障害者が組に無条件に組み込まれ、迫害されていた」という形の主張 には、学術的には十分な一次史料・通説があるとは言えず、慎重になる必要があります。
また、戦前(大日本帝国時代)の障害者抑圧・非国民論についても、非常にセンシティブなテーマで、単純化・断定は難しいです。

No.3

それは明確なものがありますよ。

古くは江戸時代に始まった5人組制度からですね。
幕府からの命令で、農民やその他の労働者(炭鉱夫など)は特定の人数で組分けされて、成果を連帯責任にした制度です。
病人だろうが怪我人だろうが関係なく人数に組み入れられるので、障害を持つ人は激しく差別されました。

現在でもよく知られている『働かざる者食うべからず』は、楽をしたがる怠け者に言う言葉と捉えている人が多いのですがそれは違います。
その言葉の語源は、身体の不自由な人や老いて動けなくなった老人達を指しているのです。

当時は幕府の年貢が相当厳しく、農民や労働者達は餓死して死んでしまうほど生活は苦しいものでした。
5人組制度で自分達の成果が低いと報酬も減らされてしまい、時としてムチ打ち刑などにもされてしまう事がありました。

なので、当時は現代の様ななま易しい状況ではなく、満足に働けない人達はひどい迫害を受けたのです。
身体障害者には、家族に対して組員から「殺せ」と強要されたり、老人達は「山に捨てて来い」(おば捨山の語源)と言われるのも日常茶飯事でした。

更に時は進んで、第二次世界大戦の頃の大日本帝国時代では、急激な文明開化が進み日本は軍国主義になります。

ここでも兵役に就けない障害者は「お国の為に働けない非国民」として、またしても迫害を受ける事になりました。
この時代、障害者の多くは自ら命を絶っているという事実が報告されています。

しかしその中では障害者の家族が身内を殺していた事例も多くあり、如何に時代が残酷であったかが伺えます。

非国民と言われる人が家族にいると、その家族は村八分にされて生きていくには難しい状況になります。
働き先から解雇されたり、商売をしても嫌がらせをされたり、食料の配給もその家族だけ配られないという悲惨な事になります。

それだけ障害者に対する差別は激しかったのです。

発達障害の人がその当時に目立った差別を受けなかったのは、発達障害という病気が認知されていなかったからです。

しかしそれはあくまで発達障害という理由で差別されなかっただけであり、労働者としての成果が悪かったり、兵役しても役に立たなかったりすると、仲間から過酷なイジメを受けるという事実は変わりませんでした。

そもそもが障害者を差別するという元を作ったのは各時代の為政者達です。

No.2

そうですか? ありがとうございます。

No.1

いやいや、力仕事とかよっぽどの理由がない限り仕事する上で大した影響がないだけで
シンショーも差別されてたでしょ

投稿順
新着順
主のみ
共感順
付箋
この悩みに回答する

心の悩み掲示板の悩み一覧

悩みを投稿する

注目の話題

お悩み解決掲示板 板一覧