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倫理に詳しい人にお聞きしたいです。カントの言葉に 『幸福のために生きる…
倫理に詳しい人にお聞きしたいです。カントの言葉に
『幸福のために生きるのではなく、幸福に値すべく生きろ』
ってありますよね。
何となーくは意味わかるんですけど、イマイチパッとした理解ができなくてモヤモヤしています。
わかりやすくどなたか説明して頂けませんか?
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グッドアンサーに選ばれた回答
幸福のために生きるのではなく、幸福に値すべく生きろ
幸せになるために、満たされた人生を歩むために
何をしたらいいか、どういう生き方をすればいいか。
どれだけの労苦をすればいいのか。。
人は誰しも、自分が幸せになることを望んでいると思いますが、
人が幸せに生きるためには、自分と同様に隣人を愛することや
協力し合うことが大事ですよね。
人は一人では生きられませんし、衣食住に困らなくても
人との信頼関係や交流が0で孤独な状態で
精神的に正常でいられる人は。。あまりいないでしょう。
利己的な<動機>や損得勘定や義務で人に親切にするとしたら、
道徳的には価値のないもの(低いもの)になってしまうと言えます。
またそういう親切や努力というのは、長続きしないものです。
カントが重要視しているのは、
幸せになるために何かをするときの倫理的に正しい<動機>かどうか
なのだと思います。
愛と(人を愛したり尊重する)意思が動機となる良い行動は、長続きします。
次に、徳(人徳、倫理観)が高い人は良い行動をすることに関して
簡単に諦めないものです。
愛や徳があまり高くない人であっても、多くの人は、
自分が損をしないため、また安全に生きるために
世間一般の法律やルールを守ったり、常識を守ることはできますよね。
多くの場合、自分や人への愛情がある人や感謝ができる人は、
幸せになろうと、特に意識してなくても幸せを感じやすいものです。
聖書の<自分と同様に隣人を愛せよ>という教えにつながるものでもありますが、
自分への利己的な愛ではなくて、自分と人への純粋な愛、博愛(いたわり)を動機に、
親切にしたり協力し合うことが大事であるということといえるでしょう。
自分と同様に隣人を愛し、倫理的に正しく生きることで、<結果として>
人との間で平安や幸せを享受するのであれば、
それが理想的と言いますか良い状態と言えます。
幸せになるために、手段として正しく生きるのではなくて
人として生きる上で、正しく生きることが、
幸せだと、信念やモットーとして思える人であれということではないでしょうか。
すべての回答
幸福のために生きるのではなく
人を踏み台にしたり人を裏切ったりしながら生きるな
幸福に値すべく生きろ
振り返った時に後悔や懺悔の少ない穏やかな心でいられる生き方をしろ
これも違うんだろうなぁ。カントも私みたいな超凡人に理解されたら屈辱でしょうし。
難しい。
幸福のために生きるのではなく、幸福に値すべく生きろ
幸せになるために、満たされた人生を歩むために
何をしたらいいか、どういう生き方をすればいいか。
どれだけの労苦をすればいいのか。。
人は誰しも、自分が幸せになることを望んでいると思いますが、
人が幸せに生きるためには、自分と同様に隣人を愛することや
協力し合うことが大事ですよね。
人は一人では生きられませんし、衣食住に困らなくても
人との信頼関係や交流が0で孤独な状態で
精神的に正常でいられる人は。。あまりいないでしょう。
利己的な<動機>や損得勘定や義務で人に親切にするとしたら、
道徳的には価値のないもの(低いもの)になってしまうと言えます。
またそういう親切や努力というのは、長続きしないものです。
カントが重要視しているのは、
幸せになるために何かをするときの倫理的に正しい<動機>かどうか
なのだと思います。
愛と(人を愛したり尊重する)意思が動機となる良い行動は、長続きします。
次に、徳(人徳、倫理観)が高い人は良い行動をすることに関して
簡単に諦めないものです。
愛や徳があまり高くない人であっても、多くの人は、
自分が損をしないため、また安全に生きるために
世間一般の法律やルールを守ったり、常識を守ることはできますよね。
多くの場合、自分や人への愛情がある人や感謝ができる人は、
幸せになろうと、特に意識してなくても幸せを感じやすいものです。
聖書の<自分と同様に隣人を愛せよ>という教えにつながるものでもありますが、
自分への利己的な愛ではなくて、自分と人への純粋な愛、博愛(いたわり)を動機に、
親切にしたり協力し合うことが大事であるということといえるでしょう。
自分と同様に隣人を愛し、倫理的に正しく生きることで、<結果として>
人との間で平安や幸せを享受するのであれば、
それが理想的と言いますか良い状態と言えます。
幸せになるために、手段として正しく生きるのではなくて
人として生きる上で、正しく生きることが、
幸せだと、信念やモットーとして思える人であれということではないでしょうか。
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