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- 両親が私の暮らしているところの近くで、昨日用事があり、 ついでに実家にある荷物を持ってきてくれるとのことでした。 私は両親と距離を取りたいと思っているの
【オーラの泉】~
国分「今日のゲストはシンガーソングライターの川嶋あいさんです」
川嶋「宜しくお願いします」
美輪「初めまして」
江原「宜しくお願いします」
国分「今日は色んなお話が出て来ると思いますが、覚悟は出来てますか?(笑)」
川嶋「えぇーと…はい!出来てます(笑)」
美輪「大丈夫よ、だって度胸の塊だもの(笑)」
一同爆笑
国分「えー、では早速ですが、まず運命の出会いを感じた母親との出会いという事ですが…」
川嶋「はい、もともと施設にいまして、3歳の頃なんですけども、そこに今の育ての両親に引き取られたんです」
美輪「施設には何故入れられたんですか?」
川嶋「育ての両親が病気がちか何かだったかで、離れ離れになって乳児院から施設に移ったという感じですね」
国分「産んでくれたお母さんは亡くなったんですか?」
川嶋「そうですね、私が3歳の時に亡くなりました」
国分「それで施設に入って、育ての親と出会った…」
川嶋「はい、そうですね。その出会いのおかげで今の自分があるなとすごく思ってて、歌を歌う事になったのも母がきっかけなんです。私はもともとすごい人見知りで、泣き虫の女の子で、それを母が歌や音楽を通して何とか治せないかと思ったみたいで、それで家の近くの音楽教室に通うようになったんです」
国分「なるほど…。お母さんはどんな方だったんですか?」
川嶋「母は本当に豪快な人で、姉御肌的な感じで、結構めちゃくちゃで、もう二言目には歌手になれって言ってましたね(笑)」
国分「お父さんはどんな感じの人なんですか?」
川嶋「父は逆にすごく冷静で、慈悲深い人で、施設の子供達にプレゼントを贈ったり、刑務所の人達を雇って更生させるような事もしてましたね」
国分「へぇ…。両親との出会いっていうのは覚えているんですか?」
川嶋「はい、覚えてますね。施設に両親がやってきて、【あいちゃーん】って普通に私に呼びかけるように声をかけてきて、私も、【あ、お父さんとお母さんが迎えに来てくれた】って感じで、普通にお泊り保育をしていた所に両親が迎えに来てくれたような感じでしたね。だから引き取られた時は普通に家に帰って来たって感覚だったんですよ」
国分「そうだったんですか…。産みの母親の記憶は…?」
川嶋「全く覚えていないですね。だから信じられなかったですね。実は本当の親ではなかったって事を知った時は…。中学1年の時に真実を知ったんですが・・・」
国分「その時はどんな気持ちだったんですか?」
川嶋「もう本当にショックで、母に【私、本当の子供じゃないの?】って聞いたんですが、何か母は全然動じる事もなく、普通にこれまで通り何も変わらずいてくれたので、それが良かったですね」
国分「へぇ…そうなんですね…。お父さんはその時はどうだったんですか?」
川嶋「父は私が10歳の時に亡くなっているので、その時はもういないですね」
国分「あ、そうですか・・・」
美輪「おいくつでしたの?」
川嶋「えっと…54歳でしたね」
国分「生活というのは、やっぱりお父さんが亡くなってから変わって行ったんですか?」
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川嶋「変わりましたね…。それまでは何不自由なく暮らしてて、大きな家があって、別荘もあって…。だけど父が亡くなってから、それがどんどん無くなっていって、引っ越す度に家が小さくなって行くんですね。もう本当に苦しくなって行きましたね」
国分「あー、そうだったんですね。音楽の方は続けてたんですか?」
川嶋「はい、音楽だけは続けていて、それが母と私の唯一の希望というか、歌手になる事だけが夢でしたね。母は体が悪かったんですが、入退院を繰り返しながら、一生懸命私を育ててくれていました」
国分「へぇ…」
川嶋「で、13歳の時に一回、演歌歌手としてデビューしたんですけど、全然売れなくて、中州とかでドサ回りとかもして、全然ダメで…。で、一度出直して、東京に出ようと決めて、15歳の時に東京に出てきました」
国分「すごいですね…そこで止めようとは思わなかったんですか?」
川嶋「思わないですね…というか母がすごくて、負けないで頑張りって後押しされて、それで私も頑張れた所があります」
国分「東京へはお母さんと一緒に来たんですか?」
川嶋「いえ、一人で出てきました」
国分「一人で?うわぁ…15歳で一人で…すごいな…。どうやってやって行こうとか思いませんでした?」
川嶋「思いました。決まってた事務所も突然、契約が破棄になってしまって、そこからは野良犬状態で…彷徨っていましたね」
国分「それで、その後はどうやって?どうやったら歌手になれるかも分からないですよね」
川嶋「そうですね…とにかくこのままじゃ何も変わらないと思って、路上ライブを始めたんです。もうそれしかないと思って」
国分「お母さんはその姿は見た事あるんですか?」
川嶋「いや、ないですね。見に来るって言ってたんですけど、亡くなってしまって」
国分「あ、亡くなったんですか」
川嶋「そうですね、路上を始めて半年後くらいに。16歳の時でした」
美輪「天涯孤独になられたのね」
川嶋「そうですね、誰も身寄りはなかったです」
美輪「東京でお友達や誰かもいなかったの?」
川嶋「路上をやっていた時に今のスタッフに出会って、スタッフが色々支えてくれましたね」
美輪「そう・・・それは良かったですね」
国分「あの、デビューした事は、お母さんは知ってるんですか?」
川嶋「いや、知らないですね。デビューする1ヶ月前に亡くなったので」
国分「あぁ…そうだったんですか…お母さんは知らないまま…」
川嶋「そうですね…」
江原「知ってますよ(笑)」
美輪「知ってるわよ、だってお母さんが仕組んだんですもの(笑)」
川嶋「え?」
美輪「まぁ、そこは後でね(笑)」
川嶋「はい(笑)」
国分「えー、では、話を戻しますが、お母さんが亡くなった時というのは…どんな心境だったんですか」
川嶋「突然の事だったので、もう本当に信じられなくて、ショックで、もう歌を辞めようと思いましたね」
美輪「お葬式や何かはどなたが取り仕切ったんですか?」
川嶋「スタッフですね」
美輪「有り難いわねぇ、いいスタッフに恵まれて。悪い人だってたくさんいますからね」
川嶋「はい、本当にそう思います」
美輪「それ、亡くなったお父さんの徳のおかげなのよ、徳を積んでらしたからそうなるのよ」
川嶋「あぁ…」
江原「だから人様の為に尽くした行為というのは全部返って来るんですよね」
川嶋「あぁ…」
美輪「自分の子供や孫までにも恩恵が回ってくるの…そうやって徳を積んでいるとね…」
江原「お金の貯金よりも徳の預金の方が有りがたい」
川嶋「そうですね」
国分「やっぱりお父さんの影響もあるんですかね、将来の夢で人を助けたいって言ってましたけど」
川嶋「そうですね、父の事も見てきて…。自分が育ての両親に引き取られて救われたという思いもあるので、なんか世界で困っている人達の為にも何か役に立てる事がしたいですね」
国分「はぁ…すごいなぁ…まだ20歳になったばかりなのに(笑)」
川嶋「アハハ(笑)」
江原「実はお母さん、最初からずっといるんですけどね、このお母さんは意外と慎重な人で、先ほどあいさんは豪快で姉御肌的な人だったって言ってましたけど、人のことですごく苦労して来てる人だから、慎重な人なんですよ。で、このお母さんは、良い人・悪い人はすごく見抜く方なんですよ」
川嶋「あぁ…そうなんですね」
江原「そう…。でね、やっぱり川嶋さん、幸せだと思いますよ、本当、恵まれてます。若くしてご両親を亡くして色々大変だったと思いますけどね」
美輪「恵まれてますよ。だって、施設で育った人で、誰にも引き取られず一人で生きて行く人の方が多いのよ?ご存知でしょ?」
川嶋「はい、そうですね」
国分「ちょっと僕、気になったんですけど、お母さんが、大人になったらあいさんに渡そうと、自分が大切にしていたペンダントを音楽教室の先生に預けたというのはご自分の病気が分かっていたからなんですか?」
江原「いや、まぁ、それもあるけど、それよりも自分の境遇から、万一の時の備えを常に怠らなかったんですよ。これはあいさんのお母さんだけじゃなくて、一人でお子さんを抱えて生きている方なんかは、もし自分の身に何か起きたら…という事を常に考えて、残された子供の為にそりゃ日々色々考えて生きてますよ」
国分「なるほど」
江原「それでね、人間というのは本当に辛い時というのはギャアギャア泣かないんですよ。冷静にどうしようって考えるんですね。意外とギャアギャア泣いている時っていうのは本当に苦しんでないんです」
美輪「そう…泣くというのは余裕があるから出来る事なの」
江原「そうです。私も15歳で親を亡くしてますから、泣き叫ぶ余裕なんてなくて、さぁこれからどうやって生きて行こうって考えるんですよ」
美輪「そう…。まずどうやって食べて行こうかって、生きる事がまず先に来るの。泣いてる暇なんかありゃしない」
国分「そんなもんですか」
江原「究極、人間というのは強いものですよ。だから泣くのは余裕があるから泣けるの」
国分「川嶋さんも同じような感じでしたか?」
川嶋「そうですね…。泣けなかったというか…。母の死を電話で聞いた時に、これからどうしようってまず思いました」
江原「で、いっぱいやらなきゃならない実務がありますしね。役所にも届けに行かないといけない、あれもしなきゃいけないって感じでね」
国分「そんなに冷静なんですか?」
美輪「だって、死亡届も出さなきゃ行けないし、焼き場に持って行かなきゃならないのよ?喪主にならなきゃいけないし、泣いてる暇なんて本当にないのよ」
江原「でもね、川嶋さんの場合はスタッフの方が良くして下さって…やっぱり幸せですよ」
川嶋「はい、そう思います」
江原「でね、お母さんなんですけどね、結構、豪快な人だったけど、お父さんへの愛で生きてたって知ってます?お父さんに物凄い深い愛情があったんですよ」
川嶋「あぁ、そうなんですか…」
江原「お母さんが言ってるんですけどね、お母さんは、あいさんと同じで、お父さんに助けてもらった身なんですって…。だから、いかにもお父さんの世話を焼いて豪快に生きてたと思うでしょうけど、実はお父さんへの恩返しで生きてたんですって」
川嶋「あぁ…」
江原「お母さん、幼い時から家族関係で苦労してきていて、身内っていう身内がないんですよね」
川嶋「あ、そうですね、はい」
江原「だからお父さんが自分に取っての唯一に身内になってくれた人って思いがあるんですよ」
美輪「初めて信じられる人間に出会ったんですよね。お父様との出会いによって」
江原「本当にお母さんはお父さんが唯一身内を持った感覚があって、そういった意味であいさんを無条件で愛して、自分とあいさんを常にオーバーラップしてるんです。お母さんは血の繋がった家族はいたけれども身内縁が無い、だから人に対しても優しくて面倒見が良かったのは血の繋がりを考えない人だったからなんですよ。魂の清い人かどうかだけで判断してた…困った人はみんな家族という感じでね」
川嶋「あぁ…そうなんですね…。確かにお父さんが亡くなった後、本当に元気がなくなって…」
江原「お父さんにはお父さんの歴史があって、お母さんにはお母さんの歴史があってね…それをお母さんは伝えて欲しかった言って来てらっしゃるの、今日は」
美輪「【蛇の道は蛇】って言ってね、自分が通って来た道だから、その人の痛みや苦しみが分かるの。自分が経験した苦しみ・悲しみを味わっている人を見ると、自分に重なるのね。きっとこの子もそうだろう、あの時の私と同じ気持ちだろうって事が分かるのよ。だからお母さんは貴女の幼少の頃を見ていると自分自身なのよ」
江原「そう!そうです」
川嶋「あぁ…そうなんですね…本当にそうですね」
美輪「でね、お父さんが早くお亡くなりになったのは、要は早く卒業証書を手に入れたの。つまりノルマを貫通したわけ。10歳とか12歳で大学院を出た子がいるじゃない?それと同じで、ここまでの人格形成、こういう勉強をしなさいというノルマがあって、例えば本来はそれを70年かかって勉強するカリュキュラムが組まれていたんだけど、本人の心掛けや努力が良くて、50年でそのノルマを達成したら、20年繰り上げて若くして【はい、ご苦労さんでした】って早めに切り上げて楽な所に行けるのよ。だから若くして亡くなったからって、必ずしも不幸とは限らないのね。予定よりも早くノリマを貫通して、おめでたであの世に凱旋して逝ける人もいるのよ。お父さんはそういう人なのよ」
川嶋「へぇ…そうなんですね」
江原「産みのお母さんなんですけどね、育てのお母様に対して物凄く感謝してらして、やっぱり自分が産んだ我が子ですからね…。で、この人はこの人で色んな事情があって、だからそういう意味では育てのお母さんに対して、育ててもらった事にとっても感謝していますよ。産みのお母さんも色々苦労があって若くして亡くなって可哀想だと思うかも知れないけど、この人はこの人なりの前世とかの目的があって生まれて来てるんですよ。オーラの泉だから話せるんですけどね、あの世があるという事を知ると知らないとでは大違いなんですね、人生というのは。それが理解出来ると、この世の在り方というのをもう少し俯瞰して見る事が出来るんです。変な言い方ですけどね、あいさんにしても、今までの苦労や悲しみがあったからこそ、こうして歌手になって歌が歌える自分がいる訳じゃないですか。色んな意味で肥やしになってるはずで…。私にしても子供の時に両親を亡くして色々あって、だから今の私があるんですね。逆に言うと、全然違う人生だったならば、今ここにいる私は無いんですよね。そういうふうに考えると、不幸は不幸にあらずだったりするんです。だからある意味で私達は幸せな道を辿ってるんです」
川嶋「はぁ…本当にそう思います」
国分「いやぁ、深いというか、ちょっと僕では経験した事がないので分からないんですけども、自分の思う幸せってやっぱり両親がしっかり揃って生きてるって事だと僕は思ってるんですけども…今のお話っていうのはそうじゃないじゃないですか」
江原「いや、人生経験は平等ですよ。だってそれは現時点の話でしょ?例えば、これから親が年老いて、認知症なんかになって、介護で大変な苦労をするかも知れない、あれだけ元気で逞しかった親が子供の事さえ誰だか分からなくなったり、オムツが必要になって、子供からすると見たくない親の悲しい姿で最期を送る事になるかも知れない…。だけど私達の場合、若くして親を亡くしてるから、そういう意味で残酷な親の姿は見ずに済んでいる訳ですよね。何ていうのかな…要はメニューの違いというか、学びの違いがあるだけで、総合的に見ればみんな一通り同じような経験をするようになっているんだと思います」
美輪「小学校、中学校、高校って勉強して行くのと同じように、国語、数学、英語、体育、美術…それぞれの科目でちゃんと点数を取らないと進級出来ない訳でしょ。点数が足りなくて赤点を取ったら落第で2年生には上がれないのよね。人生もそれと同じで、例えば辛いからって自殺すると中途退学になる訳。そうするとまた同じ科目からスタートして、同じ人生に生まれてやり直さなきゃならないのよね。そうやって人生というのは、男になったり女になったり、黒人になったり白人になったり、病気の人生だったり、孤児に生まれる人生だったり、様々な人生に生まれ変わって、魂の向上の為に修行しなきゃならないように作られてるんですよ。つまりまだ上に行けない未熟な魂だから、私達は人間としてこの世に生まれて辛い人生を生きなきゃならないようになってるの。極楽浄土では怠けて修行が出来ませんからね。もし極楽浄土でも怠ける事なく修行が出来るくらい磨かれた魂なら、そもそも人間になんかに生まれてこんな辛い人生を生きる必要はないの」
川嶋「へぇ…」
江原「そうやって様々な苦しみ悲しみを経験してる人というのは、幸せの数を数えるんです。で、未熟な魂の人は不幸の数を数えます。そこに違いがハッキリ分かります。幸せの数を数えられる人はそれだけ魂の経験の深い人」
美輪「みんな不平不満の数を数えるのは得意なのよ。あれも足りない、これも足りない、容姿が悪い、背が低い、給料が安い、もう上げればきりがないくらい、不平不満ばかりなのね。幸せの数ってのは、病気してない、目が見える、耳が聞こえる、手がある、足がある、喉が乾けば冷たい物が飲める、温かい布団で寝れる家がある、家族が健康である、どれだけ私達はたくさんの幸を得ているかって事を考えればね、それはもう不幸の数よりはるかに上回るのよ。だけど、魂が未熟な人っていうのはその幸を感じる事は出来ないのね、幸不幸の数を合わせて100個あったとして、その内90個が幸で不幸はたったの10個だったとしても、10個の不幸を数えて不平不満を漏らすのよ。だから魂が未熟であるという事はどんなに幸福な環境にあっても、幸福だと感じ取る事が出来ないの」
川嶋「あぁ…そうなんですね」
江原「で、お母さんから伝えて欲しいって言ってるんですけどね、まずはデビュー出来て良かったね、おめでとうって。最近ちょっと怖気づいたり色々あるみたいだけど、弱気な事を言わないで、まずはしっかり地に足を付けて頑張りなさいって」
川嶋「はい…ありがとうございます」
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