人助けの機会に人助けするというのは、人として当然のことではないのですか? 大袈…

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2020/01/16 21:40(更新日時)

人助けの機会に人助けするというのは、人として当然のことではないのですか?
大袈裟に取沙汰され表彰されたり称賛されるというのは、低俗文化の象徴と受け止めてよいのですよね?

20/01/16 09:28 追記
たとえば築き上げた文化ではシルバーシートの利用法を整備する必要がありました。
お年寄りや弱者に席を譲る姿勢の定着化推進のため整備される必要を生じたということでしょう。
それは恥ずべきことではないですか?
といった意味合いにある質疑です。

No.2987550 (悩み投稿日時)

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No.1

それは妬みなの???
当然な事でも、良い事したのだったら、称賛されても良いんじゃん。

No.2

あたりまえのことでも、やってくれたらありがとうは言うし、表彰することが悪いこととは思いませんよ。

No.3

人助けが表彰されたり称賛されるのはその内容やタイミングなどケースバイケース。 低俗文化の象徴って訳じゃない。。 (^^;)

No.4

どんな人助けの場面について、そんな風に極端に考え方に至ったのですか?

No.5

>> 1 それは妬みなの??? 当然な事でも、良い事したのだったら、称賛されても良いんじゃん。 低俗文化では称賛されることは良いのだと思います。

No.6

表彰される意味は解らんよねー

No.7

>> 2 あたりまえのことでも、やってくれたらありがとうは言うし、表彰することが悪いこととは思いませんよ。 必要がなくなっている状態が望ましいのではないかな?との観点です。

No.8

>> 3 人助けが表彰されたり称賛されるのはその内容やタイミングなどケースバイケース。 低俗文化の象徴って訳じゃない。。 (^^;) ですよね。(^^; 象徴するものであるならば、大丈夫でしょうか。失礼しました。

No.9

>> 4 どんな人助けの場面について、そんな風に極端に考え方に至ったのですか? ふと思いました。
よいことのハードルを下げる理由からかもしれません。
天狗になるデメリットかもしれません。
すみません。
考えてみます。

No.10

>> 6 表彰される意味は解らんよねー そうですよね。やはり同意見があると嬉しいものです。

No.11

感謝することや配慮することが真心であって、
やってくれて当たり前だからありがとうは言わなくていいでしょう?という考えならばマナーが悪いと思います。
また日本では、行動力や積極性だけが配慮ではないと考える方が多いと思います。

「当たり前」の反対語が「有りがたい」です。

どういうものを当たり前と考えるか、ですよね?
最近では小学校でも、車椅子の子に配慮してバリアフリーにしたり和式トイレを洋式トイレに改装していますが、
いざ和式トイレに出くわしうまく使えず下着を汚してしまう子どもが多いです。

当たり前化してしまった配慮を有り難いと思うか思わないかは人それぞれなんでしょうね。

少なくとも形式的な設備や制度はあった方がよいと思います。
被災地に個人的にボランティアに行ったらきっと不審者に思われますよ。

No.12

>> 11 当然の対義は意外とか論外とかですけど。それは意外なことが「ありがたい」という意味ではないですよね?

No.13


どんな事でも表彰されるわけではないと思います。
少なくても私の周りではそうです。
・相手の方の命の危険があり、助けることによって自分にも危険が迫るのに助けた
助けるのは当然。でも、自分の命がかかったら躊躇するのも当然。
助けられなくても非難されることもない。
それを敢えて飛び込んでくれた。
「よくやってくれた、ありがとう。」と称賛されることは低俗ではありませんよ。

主さんの頭の中でどんなイメージがあるのかは、他の人にはわかりません。
高齢者の荷物を持ってあげることなのか?
溺れている人を救うために飛び込むことなのか?
統一した状況じゃないと、ちゃんとした意見交換はできないでしょう。

具体的なシーンを提示して、それに対しての主さんの意見を述べて他の方の意見を聞いてはどうですか?

No.14

>> 13 これだけの方から書き込みいただけましたこともあり、だいたい他の方の多数派意見というのも判断できる気がしてしまうのです。
敢えて確認しようとは思っていません。
このレスの場を借りまして、ご意見くださった皆様に感謝申し上げます。

No.15

なるほど。

ではこんなお話はいかがでしょうか。

また小学校の話になるんですが。


授業参観で道徳の授業がありました。
駅のホームで視覚障害の方が杖を落としてしまい困っています。
君達ならどうやってこの人を助けますか?と。

子ども達は皆、同じ答えでした。
「何もしません。怪しいから」

先生は視覚障害者の持つ白い杖の説明をしました。
この白杖は盲目の方が持つ特有の物であると。

そして先生はまた同じ質問をしてみました。
どうやってこの人を助けますか?

しばらく子ども達は黙って考えていました。
が、とある子が手を挙げ答えました。
「やっぱり何もしません。目が見えないふりをしているかもしれないから」

道徳の授業であり、子の親も見ている中、先生は困ってしまいました。



只今、小学校では地震や津波の避難訓練のみならず、
不審者訓練も行っています。

知らない人に道を尋ねられただけで不審者情報として保護者全員にメールが発信されます。

人を見たら疑い身を守る。
それが昨今の子どもの身の守り方として教えられています。
だんだん外での遊び場はなくなり室内でゲームをする子が増えました。
核家族で、更に近所との交流が希薄になり、
外の人と関わることは恐ろしいものだと教育され引きこもりが増えました。



こういう昨今の教育環境、防犯意識により、
人助けをすることが当然とは考えにくい世の中になっていると思います。


主さんの求める答えと違っていたらすみません。






No.16

>> 15 餌をつけないと食いつくわけないじゃん、って話ですよね。
それはそれで、とても、おもしろい内容でした。
ありがとうございます。

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