自分には思い遣りのかけらもないのに人の思い遣りをもらいたい 誰か助けて 自分可…
自分には思い遣りのかけらもないのに人の思い遣りをもらいたい
誰か助けて 自分可哀想 誰か自分の話聞いて
自分、自分、自分
社会は冷たい、他人は冷たい、誰か誰か
こういう意識の人、なんでこんなに増えたんだ?
以前は自分がどんなに辛い状況でも最低限の人への思い遣りはあるから普通に助けてもらえて、別の時は助ける側にも当たり前に回って、こんなふうに自分自分にはならない人が多かった気がするんですが…
もちろん今でもいて、そういう人は嘆くまでもなく周りの人に恵まれてます
普段から一方的に求める意識の人では支え合いとは言わないので、他人もそんな人がどんなに泣いてても困ってても自分の悲劇を必死にぶつけてきても助けないだけ
こういう人って助けてもらえてる人ともらえない自分の違いが何か、なんでわからないのかなあ?
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>> 3
人は大なり小なりそうなのだと思います。逆に自分だけはそうじゃないと思い込む方が危険な感じがします。
ありがとうございます
『小なり』は確かにあるかもしれませんが、さすがに自分に思い遣りがないのに欲しい気持ちが常人の百倍強いのは、誰でもそうとは思いませんよ?
いざというとき周りの人に恵まれてる人は、みんな普段からどんなときも『自分自分』ではない人です
要は普段から人に対して温かい人です
温かさに恵まれない人は一度『自分は』どんな人間かを考えてみたら答えが出るんじゃないかなと思います
私自身いろんな人を見てきた結果、人間関係は『鏡』そのものだと思います
大人の周りに残るのは『自分と同類』なのです
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