小学生の頃、トイレに行くのを我慢しておもらしをしたことがきっかけで「おもらし子ー…
小学生の頃、トイレに行くのを我慢しておもらしをしたことがきっかけで「おもらし子ー!」と呼ばれて、私はそれをイジメだと思ってたけど、大人になって思い返して見ると、はっきりとトイレに行くと意思表示できなかった私も悪いなぁ、と思う今日この頃。
学童保育に短期で働いていた時、気が強くて容量のいい子が、気が弱くてマイペースな子に苛立ってキツめな口調で言ったり、それで傷ついて「イジメられている」と捉えてしまう気の弱い子。
今となっては、どちらの気持ちも分かる。お互い相手に合わせようとする歩み寄りが大切なんだけど、人間関係って難しいなぁ。
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それは違うと思います。
はっきりと意思表示ができない子に対して、周りは茶化すのではなく、着替えを手伝ってあげるくらいの優しさを持ってほしいし、
要領のいい子はマイペースな子を手伝ってあげる優しさを持ってほしい。気が強い子は気が弱い子に苛立ってもいいわけじゃないです。
大人になったら、他人を助けるでしょう?優しさとは強さですよ。主さん、学童で働いていたなら、そういうことを子供達に教えてあげてほしかったです。
>> 2
それは違うと思います。
はっきりと意思表示ができない子に対して、周りは茶化すのではなく、着替えを手伝ってあげるくらいの優しさを持ってほしい…
貴重なご意見、ありがとうございます。
私は自分の考えが正しくて言っているのではなくて、一個人の意見としてつぶやいただけなので、不快にさせてしまい申し訳ありません。
私は、はっきりと意思表示ができなかったから、周りに手伝ってもらえるから、心の成長ができませんでした。もしあの時おもらしして、廻りが皆「なかなか言えなくて大変だったね。大丈夫だよ。着替をしよう。今度からは行きたかったら行くって言ってもいいんだよ」と言ってもらったら、またその優しさに甘えて同じ過ちを繰り返していたと思うんです。そこで「しまった。今度からは気をつけよう」じゃなくて、「おもらししても私を受け入れてくれるから私がまたおもらししても嫌われない。大丈夫だ。」と勘違いしたままだったでしょう。今では、あの時「おもらしをすることが変だ」と口撃した同級生達には、感謝しています。
容量のいい子が手伝えるようになるのも、気が強い子が優しく声掛けできるようになる優しさを持つのも、指導職員として子供達に伝えてきました。だって、強さと容量の良さと優しさを持てば、とても心強いリーダーシップがとれる最強な人材になるんですから。
でも、同時に「助けてもらったら、今度は自分が相手を助けられるように努力するように」と、気の弱い子や容量の悪い子に伝えていました。そうならないと、社会に出て、周りの空気が読めなかったり指示待ち人間になったりして、皆のお荷物になって最悪クビになるかもしれないからです。私は気が弱く容量も悪く周りに助けてもらって助け合おうとも思わず生きてきたので社会に出てとても苦労しました。
だから、強い人は弱い人を助け、弱い人は強い人の負担をなくせるように自分が強くなる努力をしていくことが、理想だなー。と思うわけです。
私の息子が私の悪いとこそっくりで困ってます。「自分の方から積極的に動けるように勇気だして頑張ろうね」「察してちゃんは皆を困らせるよ」「助けてもらったら、今度は息子君が○○君を助けてあげてね」「嫌なこと言われたら教えて。今度からどうしたらいいか一緒に考えよう」伝えたいことは沢山あります。
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