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言ってもしょうがないことだけど、 どうして出来の良い人とそうじゃない人がいるの…
言ってもしょうがないことだけど、
どうして出来の良い人とそうじゃない人がいるのかなー。生まれながらにして、差がある。
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グッドアンサーに選ばれた回答
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遺伝的な要素もありますが、勿論、後天的な要素も大きいですよね。
遺伝的な要素で差がつけられる理由は、差がない、つまり同一の遺伝子では、環境に適応できないから(環境に適応できない(能力的に劣ったとされる)遺伝子が淘汰される)だと思います。(一説)
後天的な要素は、生活習慣と環境と運(確率)ですかね。(持論、私説)
肉体的にも精神的にも、運動や食事、生活リズムといった生活習慣は切っても切り離せないです。
環境は、ここでは、技術や知識、経験に触れる機会(の多さ、質)を指します。
運は、その技術や知識、経験の習得確率です。例えば、たまたま集中力が途切れていたとか焦っているときに重要なことを聞き逃していたりとか、そうした偶然が重なって苦手意識を持って、より集中力が切れたりだとか。逆に、他の人がどうでもいいと聞き流した情報を拾って、それが大事だったとか。機会が多いほど、質が高いほど、技術等の習得確率は高くなるけれども、運が全くなければどんなことをしても習得できない。運が人並みだが、環境がとても良いため、能力が高くなることもある。
技術等の習得確率はその時点での能力にもかなり影響されるはずです。体調が良いときと悪いときは能力のブレが大きく、習得確率は上下し、どれだけ注意しても人間には体調を完全に操ることはできません。
結局のところ、能力の優劣はあるのは仕方がないんだよね。
我々が生物である以上、遺伝的な観点から個体差は非常に生まれやすい。
遺伝的な観点から能力の優劣を無くすと、それは生物ではなくなり、元も子もない。それはただの機械か完全生命体か何かですよ。(適当)
遺伝的な観点から見ても、後天的な観点から見ても、運は大きく関わりますし、環境も違うので、技術等の習得機会の有無も異なる。これでは、神も人を平等にするのはお手上げに違いない。だから、公平が生まれたと。
あくまでこれらの話しは、冗談半分なので、あまり真に受けないでください。
習得確率云々はパワプロ(育成?野球ゲーム)のイメージに近い気がします。
長文大変失礼しました。
3さんに近い考えです
生まれた国と時代
まったくの同一人物でもこれが違えば全然違うと思います
でもこれを言ったところで「言い訳」と一蹴されるだけ
真意なのにね
例えば日本では、海外なら喜ばれたり褒めてもらえるような性格の人がことごとく嫌われます
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