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宗教の勧誘は、同情と思っていたのですが、同情ではなく、人の弱みにつけ込んでくると…
宗教の勧誘は、同情と思っていたのですが、同情ではなく、人の弱みにつけ込んでくるとのことです。
私の家族は、宗教を信仰していません。
私の周りでは、宗教を信仰している人の方が、悪いことが起こっています。
宗教を信仰している人は、悪いことが起こっても、「幸せになる為に、宗教を信仰している。宗教を信仰して、何もないわけじゃない。信仰している方が、どんどん悪いことが起こっていく。それをどう乗り越えるか。」と言います。
病気や事故で死にかけても、「宗教を信仰しているから、死なずにすんだ。」とか、亡くなったとしても、「宗教を信仰していなかったら、もっと苦しんだ。」と言います。
本当にそうでしょうか?
そこで、宗教を信仰していない人に聞きたいです。
宗教の勧誘は、もし家族や自分に不幸があった時、同情ならうれしいものですか?
勧誘して入ってくれる人がいれば、自分が大きい顔ができるから、勧誘するのですか?
信じる、信じない、宗教に入る、入らないは人それぞれですが、みなさんは一体どう思いますか?
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世界的には日本のような無宗教の方が
少ないかと思います。
本来なら宗教は心の支えよりどころのはず。
日本は根付いていないから新興宗教が
はびこり営利目的に走りやすいのかも?
弱ってる人ほどなにかにすがりたい。
そんな心のすきにつけこむんでしょうね。
信じることで救われるのなら
いいと思います。
ただ神様がお金を欲しがるとも思わないし
他の宗教や神様を非難するような心が狭いとも思わない。
お金を必要以上に欲するとか
多宗教を排斥する行動をよしとする
神様は信用できないです。
日本人は普通に近所のお墓や代々続くお墓に入る事になるので一応何々派とかあるでしょうが葬儀とかない限りは特に気にする事もない。勧誘は迷惑。困っていても嬉しくもなんともないですし押し付けに過ぎない。何となく1つに固執するのではなく神社仏閣にお参りするたけでいいと私は思います。1つに固執する事により派閥や争いが起きます。くだらないなと思います。
その周囲の人達は、もともと悪いことが起きていて、すがる気持ちで宗教に入ったけれども、現実の問題は現実の対処でしか解決しないので、引き続き悪いことが起きてるのでは?
無宗教でも例えば交通事故で奇跡的に命が助かったら、日頃の行いが良いので守られたとか、ご先祖様や亡くなった家族が守ってくれたのかと思う人もいますね
その守ってくれてる対象が宗教になってるのかもです
私も勧誘受けたことありますが、基本的にこれをしたら病気が良くなる、私もこれで良くなったとか、これのおかげで良くなった
通販商品を宗教に名前変えて販売みたいな印象ですかねえ
悩み事が解決せずに藁にもすがる思いの人はとにかくなんでもやってみような精神で入るのかも
昔でしたら先祖供養をすると良くなる、先祖供養セット販売みたいな
日本人の多くは、毎年初詣に行くし、お盆にはお墓参りに行くし、何かあれば神社にお参りをする。そういう「ふんわりとした宗教観」は若い子にもあります。実際は、おそらくですが各家で先祖代々お世話になっているお寺さんがあったりして「〇〇宗〇〇派」みたいなのがあると思います。若い世代に伝わりきらないだけで。
まあそれはさておき、おそらく主さんのおっしゃる「宗教」とは、新興宗教のことを指していると感じました。悪徳の新興宗教は主さんのおっしゃる通り「人の弱みにつけ込み」1さんのおっしゃる通りお布施と称して「金銭を徴収する」ビジネスだと思っています。ねずみこうとかと一緒ですね。知人を勧誘したらきっと「いいことがある」とか「あの世に行ったら極楽浄土で上の階級について幸せになれる」とか、色々うまいこと言われてるんだと思います。「弱み」があるから、その苦しみから救われたい一心で、悪徳宗教だということに気づかず走ってしまうのだと思います。冷静に考えたら、お金の額に応じて対応を変える神様なんて…あまり信じたくないはずですけどね。
私は都合よく神仏を信じています。そのことで精神的に苦難を乗り越えたりできるからです。
宗教は本来精神的救済のために存在すると思っていますので私は否定しません。
けど、それを利用してお金儲けに走るような宗教は…信用しませんね。
組織の運営や広報にはお金がかかるから、それは信者のお布施や会費、仏像、御守りなどの購入で賄われている。勧誘は経済活動だよ。
ただ、信者は無料奉仕だから人件費はかからず、宗教法人は非課税なので儲かるよね。
需要はいくらでもあるから、信仰宗教を立ち上げてビラまきすれば、大金持って入信者が押しかけてくるらしい。数年で都心にビルが立つといわれてる。
金がなくお布施できないヤツは勧誘してこい!ってしくみじゃないかな。
>>9
宗教にどっぷり浸かって依存している人になると
現実の問題の全てが、祈ってたら良くなるみたいなマインドに行ってて、現実の対処より祈ろう献金しようみたいな人がいるんですね
例えばこの人と結婚すれば必ず幸せになれるよ、それがどれだけやばいクソのような人間でも、そうなんですねと即結婚するくらいに、現実への認識がおかしくなっていく
御利益による幸せなら御利益信仰で神様と取引、ビジネスしてるようなもので、はたして信仰と言えるかな?まるで神様と対等じゃん。それはごう慢では?自己をとことん見つめ、神様に問いかけて対話したりがないのに信仰?イワシの頭も信心から~なんて言うから信仰のとらえかたはピンキリどころか天地の差があり、御利益信仰や傍観者には信仰って理解不能かもしれません。
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