火垂るの墓見ましたか? 清太さんも、節子ちゃんもほんとに可哀想😢 あの親戚の…
火垂るの墓見ましたか?
清太さんも、節子ちゃんもほんとに可哀想😢
あの親戚のおばちゃん 意地悪だったけど。
戦時中 子供2人引き取るって大変なことだと思う。
もう少し、我慢して協力しながらどうにか生きていくことできなかったのかなぁ。
ほんとに戦争はダメですね🙅
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最初のシーンで、清太が外で柱にもたれかかっているとき、そっとおにぎりを差し出されるシーンがあります。このカットで監督は、こんな時代でも誰かしら救いの手を差し伸べる人はいる、清太がそういう救いを求めようと思えば死ぬことはなかったのだ、ということを表現しています。
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節子を火葬にしている背景で清太はイモを食べているシーンがあります。
そして蛍のいるところでドロップ缶を持っている清太のシーンは重なります。
直接的な表現はありませんが、清太がドロップ缶の節子の遺骨を食べていることを暗示しています。
ではなぜ心中か?それは清太が節子の遺骨をドロップ缶に入れて持ち歩いていたことからわかります。あれだけ慕っていた母の遺骨は持ち帰らず捨て去り節子の遺骨を持ち歩いたのか。監督が芸術肌で、死を美しいものと捉えているからです。生は醜く死は美しい。そして節子のタヒは美しいと清太が思ったからです。そう思ったのは、節子は清太の思い通りになったからです。清太は自分の生きたいように生きた。それは愛する妹を犠牲にしてでも、自分の思う通りに生きた。
「風立ちぬ」の主人公男性も同じです。愛する人を犠牲にしてでも、自分の生きたい道、飛行機設計に人生を費やした。監督はそこに美学を見出していたのです。
冒頭のシーンで節子の幽霊が倒れている清太を離れて見つめているシーンがあります。あれは、清太が約束通りタヒぬかを見ているんです。そして節子が清太の方へ歩み寄ろうとしたその時、背中から清太が現れて節子と手を繋いで左へ歩いて消えていきます。そして「火垂るの墓」のタイトルが現れますね。あれは心中を表現しているんです。
日本では昔からテンプレートがあって、心中では女性がタヒんで、タヒにきれず生き残ってしまった男性を幽霊となって●すというのが定番です。
節子が助からなかったのは、清太のせいだ、おばちゃんのせいだ、時代のせいだ、といういろいろな意見がありますが、ではなんで清太がタヒななければならなかったのか、それが一番この映画のこわいところなんです。
キリスト教カソリックには天国でも地獄でもない煉獄という世界があります。煉獄で苦しみぬき浄化されて天国に行きます。清太は、そこであの時代から現代までずっと、節子の死を繰り返し見せられ続けているのです。駅構内のシーンで灰皿が描かれていますが、あの灰皿の形は映画公開時に存在した灰皿なんですよ。
翻って、現代は飽食の時代、スマホも使って便利な時代の若者たちだけど、周囲とあまり関わらないようにしている。清太と同じ状況。監督は決して反戦とかをこの映画で主張しているわけではなく、監督が現代の若者に向けたメッセージでもあるのです。
最初のシーンで、清太が外で柱にもたれかかっているとき、そっとおにぎりを差し出されるシーンがあります。このカットで監督は、こんな時代でも誰かしら救いの手を差し伸べる人はいる、清太がそういう救いを求めようと思えば死ぬことはなかったのだ、ということを表現しています。
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