男子高校3年生17歳。普通に生きることができない。僕は視線恐怖症です。バスや電車…
男子高校3年生17歳。普通に生きることができない。僕は視線恐怖症です。バスや電車に乗る時、人とすれ違うとき、すごく緊張してどこ見ればいいか不安になり疲れます。なぜみんなまっすぐ前を見て歩けるのか不思議です。
普通に友達を作ることができません。
仮に友達のような人ができたとしても、嫌われないようにその人を喜ばせるためのロボットになるだけです。いつも対等ではなく依存の関係になります。人と仲良くなる能力が絶望的にないのです。
普通に雑談をするということもわかりません。
お話をするときは相手を笑わせるためにしてきました。身のない話をすると楽しいと思ってくれてるのか不安になってしまいます。
自己肯定感が低いです。昔から謙虚な人間でいるよう教わってきました。その結果、謙遜しすぎて自分を否定する癖がつき、どんどんネガティブになっていきました。ショックなことがあるとその持ち前の自己肯定感の低さで1ヶ月くらいずっと落ち込みが続きます。その間、何の手にもつけられなくて頭が真っ暗な状態が続きます。すごく辛いです。
好きなことがあれば悩みも忘れられるのでしょうが、この状態になってから楽しかったことが何も楽しくなくなりました。やろうとしても疲労感でできません。
そんな自分にとって学校は地獄そのものです。
移動教室でさえ苦痛(すれ違うから)、友達も作れない、話しかけてくれたとしても話がまともにできないから仲良くなれない。家族と話すことも虚しく感じます。
相談というか同じような人がいないか知りたいです。この性格は受け入れるしかないので。
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あなたほど極端ではないけど、
ぼくも、小学校高学年から高1くらいまでは「24時間いつもニコニコしてなきゃいけない」「不機嫌さを顔に出したらいけない」「疲れた顔をしてはいけない」というナゾのミッションを自分に課して、一人で勝手に悩んでました。
それが吹っ切れたのは高2のとき。
高1のときは仲いい友達がたっくさんいてクラスの人気者だったのに、高2でクラスがえがあると、見事に気があわないやつばかりのクラスに。(ぼくはオタク陰キャ。クラスのやつらはウェーイ体育会系。)
そこでそれまで自分に課していたナゾのハードルを守って生きてきたのに、神様はその努力に報いてはくれないのだ、と感じ、以後は世捨て人みたいに、ひとりでもたくさん友達欲しいみたいな態度は捨てて、きがあうやつとだけ付き合えばええわ、とハードルをぐっとさげました。
それからはかなり生きるの楽になりましたよ
まあ、ハードル高かった頃も、2人の女の子に告られる、などの報酬はありましたけどね
キミも、イージーイージー!
あまり高いハードル課すのやめて気楽にいこうぜ。どうせ人間は百年しか生きられないのだから。
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