「障がいをもって生まれてきた子どもの親孝行は、親より早くに亡くなること」 …

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2026/01/19 14:40(更新日時)

「障がいをもって生まれてきた子どもの親孝行は、親より早くに亡くなること」

こちらのお悩みを拝見していて心に残った言葉です。
一見ひどいことを言っているようにも感じますが、親亡きあと、世間様にご負担をおかけしてしまうことを考えるとそう思ってしまっても仕方がないと考えさせられる言葉です。

私は、倫理的には賛同したくないが、現実に照らすと賛同せざるを得ない立場です。

皆さんはどう思いますか?

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No.4418812 (悩み投稿日時)

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No.1

親の立場からしたらあり得ない話ですね
我が子が先になんてそれ以上つらい事はないです
それが言えるのは知識もなく未婚や子供が居ない人もしくは心ない親や我が子より自分のほうがつらいと述べるような精神的に幼い子供より自分みたいな親くらいしか言えないと思います

実際は軽度から重度の症状で入れる施設もかなりあるので支援計画を立てて成年後見人を探しといていつ自分が先立っても良い手続きもしておけば良いので子を思う親なら最優先でやってることです

  • << 8 A1 親ならあり得ない、そんなこと思うのは親じゃない これは“理想的な親像”を基準にした意見です。 しかし実際には、 生涯ケアが必要な障がい 24時間介助 親の高齢化 社会資源不足 こうした現実に直面すれば、 親の愛情とは別次元の「制度の壁」に追い詰められることがある。 「そんなこと思うのは親じゃない」という断定は、 困窮して悩む親を二重に苦しめる論理です。
  • << 16 丁寧なご意見をありがとうございます。 「親として我が子に先立たれることは耐え難い」という点は、まさにその通りだと思います。私も、この言葉を肯定したいわけではありません。 今回、私が問題にしたかったのは、 “親は本来そんなこと望まない”とわかっているにもかかわらず、 現実の制度や受け皿の不足によって、親がそう考えてしまうほど追い詰められる状況が存在する という、社会の構造の方でした。 もちろん、支援計画づくりや成年後見人の準備など、親としてできる最善を尽くすことは大切です。 ただ同時に、地域の施設不足や人手不足、重度の方の受け入れ困難、成年後見人の引き受け手不足など、個々の努力だけでは埋めきれない構造的な限界も現実にあります。 私の意図は、 「親の愛情の有無」や「親としての覚悟」を問うことではなく、 “なぜそんな極端な言葉が生まれてしまうのか”という背景の仕組みをどう改善できるかを考えたい、という点でした。 言葉が足りず、気持ちをざわつかせてしまったら申し訳ありません。 ご意見のおかげで、私の主旨の説明が必要だと気づけました。ありがとうございます。

No.2

で、主さんは障がいを持った子供さんを
そだてているのですか?
その経験上で言っているのですか?

No.3

そんな事言ったら介護を必要としてる老人は早く亡くなる事が望ましいって聞こえる

責任ですよ

要するに親として出来るのは沢山のお金を残し施設で充分暮らせるお金を残し死ぬこと

結局お金あれば面倒みてくれるんですよ

他人に面倒なんてみてもらうとどうなるか分からないなんて言っていたら老人になる前に亡くなりますか主さんは

1番綺麗なんですよお金で何かをしてもらうのが

No.4

障がいをもって生まれてきた子どもの親孝行は、

障害を乗り越えて、なんらかの分野で大成功して、
親に温泉旅行でもプレゼントすることじゃないかな?

No.5

うーん
難しいテーマですね

程度にもよるけど
重度の知的障害があって
年齢が上がっても
言葉が殆ど理解出来ない等
この様な人って実際居ます

健常者から見たら
この人
なんの為に生きてるの?と
思うかもしれない…が
ですよ

なら僕が主に問いますよ
その健常者である貴方は
なんの為に生きてますか?
(生きる理由、意味の事)

これを知らない事には
他人をどーこー言えない

No.6

なに面白い事を言ってるの?
自分の子供が自分より先にいく事が親孝行とか!馬鹿なの?
親がそんなのを認めるわけないじゃん!
主さんの個人的な感情を皆に勝手に当てはめるのは駄目なんですよ
ま〜皆さんはどう思いますかだから押し付けてないけど

親より先立つ不幸者って言葉もある。

ただね親が大変なのもほんのちょっとだけ?わかるかな

No.7

寄せられた回答をすべて読んだうえで、まず率直にお伝えします。
これらの回答は、主題の複雑さに対して噛み合っていない部分が多く、また論点が“個人の資質”や“親の気持ちの強さ”にすり替わってしまっているものが多いと感じました。
わたしが投げかけた問いは
「障がいと福祉の構造的問題の中で、その言葉をどう捉えるか?」
という非常に深い社会倫理の議論なのに、
多くの回答が

「親ならそんなこと言わない」
「親の経験がないくせに」
「お金を残せばいい」
「成功して親孝行すればいい」
「あなたは何のために生きてる?」
といった、
“個人の努力”や“親の人格”の問題にしてしまっている のが特徴的です。

No.8

>> 1 親の立場からしたらあり得ない話ですね 我が子が先になんてそれ以上つらい事はないです それが言えるのは知識もなく未婚や子供が居ない人もしく… A1 親ならあり得ない、そんなこと思うのは親じゃない
これは“理想的な親像”を基準にした意見です。
しかし実際には、

生涯ケアが必要な障がい
24時間介助
親の高齢化
社会資源不足
こうした現実に直面すれば、
親の愛情とは別次元の「制度の壁」に追い詰められることがある。

「そんなこと思うのは親じゃない」という断定は、
困窮して悩む親を二重に苦しめる論理です。

No.9

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No.10

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No.11

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No.12

>> 5 うーん 難しいテーマですね 程度にもよるけど 重度の知的障害があって 年齢が上がっても 言葉が殆ど理解出来ない等 この様な人… A5 生きる意味の問い返し
哲学としては面白いですが、あなたの問いの核心からずれています。
あなたの問いは
**“生の価値”**ではなく
“社会保障の不備と家族の負担構造が生む倫理的ジレンマ”
の話。
A5は「健常者も意味なんてない」という方向へズラしてしまっています。

No.13

>> 6 なに面白い事を言ってるの? 自分の子供が自分より先にいく事が親孝行とか!馬鹿なの? 親がそんなのを認めるわけないじゃん! 主さんの個人… A6 親がそんなこと思うわけがない、バカなの?
これはA1と同じく「理想の親」を基準にした感情論です。
しかし、
本当に追い詰められた親の言葉
を私は何度も聞いてきました。
「自分が死んだらこの子はどうなるのか」
「この子を置いて死ねない」
「だからこの子が先に逝ったほうが楽なんじゃないかと思う自分が嫌だ」
これは“親じゃない”から出る言葉ではありません。
むしろ
深く深く愛しているがゆえの絶望
から出る言葉です。
A6は、そうした親の現実を見ていない意見です。

No.14

親が先に亡くなる事が親孝行って話を主はしてるよね

「障がいと福祉の構造的問題の中で、その言葉をどう捉えるか?」

なのかそれは

主が1番理解出来ていないよね

じゃあ聞くけど何故障害を持つ子供は親より先に無くなれば親孝行なの?
要するにみる人がいないからでしょ?

そこを解決するにはお金があれば解決出来るよねって言ってるんですよ

意味分かりますか?

No.15

>> 14 コメントありがとうございます。
お金で解決できる部分があるという点は、私も理解していますし、実際その通りの側面もあると思います。
ただ、私が今回話題にしたかったのは、
「親の愛情」や「個人の努力」の問題ではなく、
“そうした極端な言葉が生まれてしまう社会の仕組み”についてどう考えるか?
という構造的な部分でした。
言葉が足りなかったら申し訳ありません。
具体的には、
・地域の施設不足
・重度障害者の受け入れ拒否
・職員不足によるケアの質の格差
・成年後見人の絶対的不足
・親が高齢化しても支援が足りない現状
など、お金だけでは解決できない構造的な問題が実際にあります。
私が考えていたのは、
「親より先に亡くなる=親孝行」かどうか、というより、
“なぜそんな言葉が出てくるほど追い詰められるのか”
“その背景にある社会の仕組みは改善できるのか”
という点です。
もちろん、親が子どもに先立たれるのを望むはずがないことも理解していますし、
その言葉を肯定しているわけでもありません。
ただ、
その“極端な言葉”を生み出してしまうほどの現実があること
に目を向けたかった、という意図でした。
ご意見いただき、改めて説明すべきところが分かりました。
ありがとうございます。

No.16

>> 1 親の立場からしたらあり得ない話ですね 我が子が先になんてそれ以上つらい事はないです それが言えるのは知識もなく未婚や子供が居ない人もしく… 丁寧なご意見をありがとうございます。
「親として我が子に先立たれることは耐え難い」という点は、まさにその通りだと思います。私も、この言葉を肯定したいわけではありません。
今回、私が問題にしたかったのは、
“親は本来そんなこと望まない”とわかっているにもかかわらず、
現実の制度や受け皿の不足によって、親がそう考えてしまうほど追い詰められる状況が存在する
という、社会の構造の方でした。
もちろん、支援計画づくりや成年後見人の準備など、親としてできる最善を尽くすことは大切です。
ただ同時に、地域の施設不足や人手不足、重度の方の受け入れ困難、成年後見人の引き受け手不足など、個々の努力だけでは埋めきれない構造的な限界も現実にあります。
私の意図は、
「親の愛情の有無」や「親としての覚悟」を問うことではなく、
“なぜそんな極端な言葉が生まれてしまうのか”という背景の仕組みをどう改善できるかを考えたい、という点でした。
言葉が足りず、気持ちをざわつかせてしまったら申し訳ありません。
ご意見のおかげで、私の主旨の説明が必要だと気づけました。ありがとうございます。

No.17

>> 2 で、主さんは障がいを持った子供さんを そだてているのですか? その経験上で言っているのですか? ご質問ありがとうございます。
ご指摘の通り、当事者・家族としてのご経験は非常に重要で、現実の重みを教えてくださるものだと思います。
一方で今回私が問いかけたのは、
個人の経験や親個人の資質・努力の話ではなく、
“社会の仕組みが親をそこまで追い詰めてしまう”構造そのものについてでした。
この種の倫理・制度の問題は、当事者だけでなく社会全体で議論し、改善していく必要があると考えています。
具体的には、
・地域差の大きい受け皿(施設・グループホーム等)の不足
・重度・医療的ケアが必要な方の受け入れ困難
・支援人材の慢性的な不足とケアの質のばらつき
・成年後見人の引き受け手不足や制度運用上の課題
・親の高齢化と、親亡き後の長期にわたる見通しの不透明さ
など、個々の家庭の努力だけではどうにもならない層が確かにあります。
「経験者かどうか」は大切ですが、
同時に、制度をどう良くしていくかは社会全体の責任でもあるため、
今回の問題提起はその視点から行ったものです。
ご意見を受けて、主旨の伝え方をより丁寧にすべきだと感じました。
率直なご指摘に感謝します。

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