差別する心
今まで全然気がつかなかったのですが、とあることで自分には差別する心があることを知りました。
この差別する心をなくすにはどうすれば良いですか?
そして生真面目で完璧主義な性格を治すにはどうすれば良いですか?
教えて下さると嬉しいです。
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差別…というと例えばどんなことででしょうか?
ちなみに他にも
区別
分別
など別けることばは沢山あります。誰しも持っている気持ち。
明らかな偏見を兼ねた差別ならば自分や周りを苦しめる場合もありますが、主さんの場合はどうなんでしょうか
生真面目な性格だからこそ、私は何故こうなんだ!など、思ってしまうのでしょうか。それなら私も同じです。気持ち、とてもよくわかりますよ。
>> 1
ありがとうございます。
おっしゃるとおり、偏見を兼ね備えた差別で自分を苦しめています。
周りの人に対しては優しく平等にふるまっていましたし、自分はいい人の部類だとずっと勘違いして思い込んでいましたが、最近とあることがきっかけではっきりと気がついてしまったのです。
学歴、収入、年齢、容姿などに自分はこだわっていて、自分で自分を見下したり優越感をもったり。自分に対して思っているということは他人に対しても実は思っていると。思ってはいけないと思ってたから今まで気がつかなかっただけだと。
人間の価値はそこにはないと今思いましたが、その様なことを思っていた自分にはっきり気がつき自分にショックでした。
気持ちわかって頂きありがとうございました。
思ってしまうことと、口にすることは違う…ということだと思います。
人が二人以上いれば、互いの違いを認識せずにはいられないのが人間です。
まして、人が集まれば集まるほどに、その違いはより鮮明になるものです。
結局嫌なものは嫌ですし、感じてしまうものは感じてしまう。
それならそれで仕方のないことではないでしょうか❓
それが人間の生の感情というものかなって思います。
ただ、それを口に出して第3者に伝えてしまうと、それって自然とそうなるわけではなくて故意に行うことだから、そこは慎重に判断する必要がありますよね。
でも、すべての人にいい顔なんて出来ないし、時には感情で物事を判断するのも間違いではないと思いますよ。
差別を無くしたいなら、劣等感を持たないことだよ。劣等感が無ければ差別を感じること自体無くなる訳だから。
劣っていると見下す対象が自分なだけで、それが他人か自分かの違いだけだよ。
だから劣等意識の強い人間は、立場が変われば差別する要素を持っているし、差別意識の強い人間は劣等感の塊ってことだよ。
でも差別や劣等感が無ければ、人は向上しなくなるだろうから、その完璧さは不完全なものだったりする。
とても素直な人。主さんのことをそう思いました。
学歴…それまで頑張ってきた目にみえる証
年収…例えば結婚する相手の場合、自分が生活していきやすいため
容姿…人間は美しいものを求めます
何も不自然なことではないですよ✨
私は誇れるような年収や学歴はないので人にも求めないしそういった目で人を見たことはないですが、主さんの心は汚いわけでもなんでもないです。
子供のころのように見返りを期待することなく、素直で純朴で、裏表がなく、まっ白な心を持ちつづけることはきっと不可能です。
だからそうやって自分を振り返り、行動に反省したり、自分とはどんな人間なのだ…と答えの出ないことを悩んだりして心を洗ってできるだけ白に戻そうとするのかな なんて 偉そうに思ったりなんかして…。
大丈夫、悩むのは自分と戦っている証拠。
たまにはこんな自分もいいな!なんて考えてあげるのが大切だと思います。
自分の身の丈を知るということは大切なこと。
私は周りからは強そう、頼りになる、優しい、情が深い、度胸がある…なんて言われたりします。自分でもそれが自分だと思っていました。
ごめんなさい 続きを書かせてください。
4さんの意見は、
今日の📺『オーラの泉』で三輪明宏さんがタレントの、はるな愛さんに言ってましたね。
差別する人間は実は自分が劣等感があって、自分自身を受け入れてないから、自分より下になる物を作りたがると。
やはりそれって当たってると思いますね。
ただ4さんは一つだけ少し違う事もレスしていると思いますね。
それは差別意識から向上心が結果的には生まれるみたいに書いてますが。
他人と比較差別しても自分の個性や能力がつぶれますから、
本来自分がしなければならない人生を歩むのを忘れる事になりますから、
大幅に人生の時間をムダにすると思いますね。
他人に振り回されて失った人生の時間に後悔するのは、
イジメられて差別されてる人間だけではなく、
差別している人間にも言えると言う事ですね。
何度もすみません。続きかきます。
でもある時、全てハッタリだと気付いたんです。気付いたというか、ずっと気付かないふりをしていたんです。
弱くて、優柔不断で、人の目ばかり気にして、みんなに優しいと思われたく振る舞っていた。
そんな自分と目があったとき、私は一体何者なんだ、誰なんだ、と噛み合わない私と私に嫌気がさしました。
それでも結果的にはなんとかやってます、今も上手くハッタリをかましてやっています。自分と折り合いつけて。
時には人に弱いところを見せつけたっていいかなと思うけれど…。なかなか!
主さん、たらたら私の話でごめんなさい。私がここで何を言おうと主さんの気持ちがパッと晴れないことなんてわかってますよ。
だけど聞いてほしかった。ごめんなさい、完全に身勝手なレスでした。また時間あったら気持ち聞かせてもらいたい。
明確な理由があるなら差別ではないと思います。逆に黒人だからとか、中国人だからという理由だけで偏見の目で見るのは差別だと思います。あと、生真面目で完璧主義な性格は必ずしも欠点じゃないと思います。実際に大勢の命を預かるパイロットや、人の命を助ける医者という職業は、生真面目や完璧主義な方が向いてますから。
理屈では簡単ですよ。全てに感謝の気持ちを持つだけです。差別対象はとても範囲が広く先天性(命や病気や障害、人種、環境等)から後天性(学歴や年収、立場や職種等)これらを全て感謝すれば差別はなくなると思います。ただ人間誰しもが「当たり前」と思ってしまい「当たり前じゃない」という人はおかしいと蔑み差別となってしまう。ただその主のような心掛けが必要なんでしょうね。
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