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過去のトラウマと向きあうには

No.2 14/11/08 04:49
お礼

父が死んだ我が家では兄を止められる者がいません。
私もさすがに兄の母への態度は目に余るものがあると思い止めたりしたんですが、…兄はどこか病気だったのかもしれないです。言葉の応酬ができませんでした。
働き手が母しかいない我が家。
「父親がいない今、生活ができているのは母が働いてるおかげでしょ?そんなこともわからないのか」と私が止めても「俺の気持ちも知らないクセになにもいうな」と怒鳴り散らし、私に対しても殴る蹴るをしてきました。
母への仕打ちは止まることはありませんでした。

皮肉なことに、兄がそういう風になったこと、父の死後教会は何も助けてくれなかったことそれらが重なり、母の教会への信仰はこのころには薄れていました。
そして信仰が薄れていた故に自分が兄に無理に信仰を押し付けていた罪悪感が芽生えていたみたいです。
故に、兄からDVを受けても母は罪悪感から泣きながら我慢していました。

その状態が私が高校3年生になるまでのおよそ2年間続きました。


恥ずかしい話ですが、この頃高校3年生になった私は高校へは週3日か4日ほどしか行かなくなっていて、学校の成績もガタ落ちでした。
家にいるのもいやだけど学校へ行く気力もなくて1日何も食べないで布団にこもったりインターネットをしたりしていました。現実逃避をしていました。
学校では少数ながら友人もいましたが、誰にも家族のことを相談できませんでした。

しかし高校3年のある日、母が仕事へ行く直前に最早恒例となった兄の母イビリが始まって。
学校へ行く準備をしていた私がなんとかして止めたのですが、母も母で我慢の限界が来ていたみたいで。"もう嫌だ、仕事へ行きたくない、つらい"と泣きながら私へ訴えてきたのを覚えてます。
その時は"泣きたい気持ちはわかるけど、お母さんが頑張らないとこの家は経済的に成り立たない、私も困る、どうにかがんばれ"だかなんだか言って母を励ましてどうにか仕事へ送りだしました。

私と母親の関係は口もきかなかった父が死ぬ前に比べ、兄という共通のストレス源ができたことにより多少はよくなっていました。皮肉ですね。
そして私は姑息な子供だったので、感情論は別として母に養われている自分の立場を意識できていたんでしょうね。

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