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あの日は特別元気だったから死ぬことにした。 走馬灯が見えた。生きてる間は嫌なこ…

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匿名さん
23/08/10 16:16(最終更新日時)

あの日は特別元気だったから死ぬことにした。
走馬灯が見えた。生きてる間は嫌なことしか思い出さないくせに、死にそうな時は些細なことも思い出して何もかもが良い思い出のように再生されていった。
病院に運ばれて、先生が私に自殺の理由を聞いた。先生が先に予想にしては具体的に理由を目星つけて聞いてきたから全然違ったけど全部頷いといた。
看護師さんは今まで出会った人の誰よりも冷たかった。点滴の針を刺すのが機械的で手際が良くて私は人形になった気分だった。上手かったから痛くなかった。
診察室の声が聞こえてきた。先生がうわっと言った。アル中のお婆さんが身体にシラミをいっぱいつけてきたらしい。先生はずっと嫌そうな感じでいて治療を頑張りたいと繰り返すお婆さんに向かって大きな声でゆっくりと〇〇さんはアルコールでもう脳がブヨブヨになってるから、と繰り返し話して聞かせていた。
私は点滴が終わって診察することになったけど、先生が病棟に戻って来た時に髪をかき上げた姿と表情が作った感じで何だか嫌だったので、診察室では詳細は言わないで生理の時はいつも死にたくていつもは身動き1つ取れないんです。今日は一段と元気だったからやりました。とだけ話した。
そしたらそれで診察が終わった。
お母さんは泣き止んでいたから、今日のご飯ラーメンが食べたいと話して帰った。
何もなかったようにすぐに日常に戻っていった。
その日から毎晩、アルミシートからブチブチとたくさん薬を出して一気に飲んで身体が黄疸になってシワシワのお婆さんになって苦しんで死ねない夢を見るようになった。

数年後に精神状態が悪くなって、これ以上は死にそうだと思ったので予約して受診した。もうあの時の先生はいなかった。
診察した先生のパソコンには既往歴〇〇年〇月〇日薬物大量摂取による自殺未遂と一行だけ記録されていた。
新しい先生は、何だか雰囲気がめちゃくちゃ怖かった。穏やかで落ち着いてて、だけど言葉で人を殺せそうな雰囲気があった。人を生かす仕事でそんな事絶対しないとわかっているのに凄く怖くて、用意していた相談は全部口が勝手に嘘に変えた。
鬱の薬が出た。
薬を貰った帰り道、夕日の中の横断歩道がメロディを鳴らして、それがどこか異常な事に思えた。

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No.3851469 23/08/10 12:10(悩み投稿日時)  

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