仕事の生き甲斐とは
小学校教員をしており8年目を迎えました。5年前、3年間、小規模の学校で一人ひとりと向き合い日々成長していく姿に感動し、早朝3時からの教材研究の後そのまま出勤し17時まで子どもと向き合い、その後21時まで雑務をし帰宅後0時に寝るという生活をしていましたが子どもの日々の成長が生き甲斐となり体力的にはきつかったですが充実感がありました。しかし昨年、大規模校に赴任となり、同じスタンスで一人一人の子どもと向き合おうとした結果、過労から鬱病をわずらい一年間の休職を余儀なくされました。今年大規模の研究校への異動になりましたが45人のこども相手てではこれまでのスタンスでは自身の身がもたないと考え、押さえていましたが、子どもに尽くしてあげればそれだけ子どもが成長出来るとわかっているだけにまた以前の生活スタイルに戻ってしまい、先日倒れて入院中です。周りからは割り切って手を抜かなければもたないぞ。やりかたを変えろ。と言われますが、伸びる可能性を持つ子どもを前にそれができません。そして、なぜ自分は命を削りながらもやっているのか、教師の意味すらわかななくなってきました。先日、管理職に依願退職を願い出ました。
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こんばんは(^^)
「自分にできることをする」って考えるとどうしても全力になっちゃいますよね。
では、「相手のためになることを全力でする。」これって「自分にできることを全力でする」とイコールでしょうか?
必ずしもそうではないと思います。
(個別の差異はあるでしょうが)某大地震の被災地で、被災者が最も頼りにした存在ってご存知ですか?それは全力のボランティアじゃなく、なぁなぁの行政でした。理由を言うと文字数が足りなくなったので、興味があれば調べてみてください。
あと、先生って今は5年に一度介護施設実習行きますよね?そこで、多忙な中での介護職員の利用者との関わり方も参考になるかもですよ(^^)
(理論じゃない部分の)カウンセリングの勉強も参考になりますよ!
福祉の基本は「自立支援」ですから、自分自身が全力で関わるとか、感謝されることが必ずしも良いとは定義してませんから。
参考程度で!
ありがとうございます。自立支援、よくわかります。私が教師にやりがいを感じたのは、自閉症のお子さんとのかかわりでした。自分の思いを言葉に出来ないので、一緒に寝転がって遊んだり、散歩の中で話かけたり、放課後に二人きりで勉強など二人三脚ではありませんが、自分の思いを言葉に出来るようになりお互いに成長しているという実感がありました。一人一人違いはありますが、何とか個々に関わってやりたかったです。
気持ちは尊くて崇高ですが、身の丈に合わない事をして途中で休職…中途半端に投げ出された児童たちはどうなるのですか❓最後までやり遂げてこその日々の努力でしょう❓あなたに必要なのは自分を知る事、世間を知る事です。理想と現実の狭間であがき、もがく姿は中学生のそれです。
shinさんは素晴らしい人だと思います。 今まで担当してもらった子供達は、とってもラッキーだったと思います。
でも、ここでやめたら、Shinさんにみてもらえるかもしれなかった何百人かの子供達は、ここでゼロになります。
逆の立場で考えてみる事はできませんか? 子供一人一人は、100% shin先生に見てもらったのでしょうか? 子供の立場から見れば、shin先生が120%やってくれたとしても、それは、1/10、1/20でしかないですよね。 だってshin先生は一人しかいないのですから。
1/45でもいいじゃないですか。 1/45の時間で、1/20の影響をどうしたら与えられるのか、shin先生自身の成長が試されているような気がします。
それに、先生をやめて他の仕事をしたとして、自分が自分でいられるのでしようか?
自分は中学時代の担任教師によって、道を踏み外しました😂
高校時代の担任の先生は、言うことを聞かない連中の話を聞いてくれて、相談に乗ってくれて、親身になってくれて、最高の先生でした。
主さんの考えは素晴らしいと思います。
が
ハッキリ言って一人一人の面倒を見るのは不可能だと思います。
主が体を壊すと生徒達にも迷惑がかかりますよ。
ある程度の努力で良いと思います。
高校時代の先生には未だに年賀状を送ってます。
体を壊さない程度に頑張ってください。
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