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19才女 躁鬱なのですが、鬱期の時の寂しさがひどいです。男性依存気味です。 …
19才女
躁鬱なのですが、鬱期の時の寂しさがひどいです。男性依存気味です。
家族も友人も居るはずなのですが、常に孤独感を感じています。男性でしか寂しさを満たすことができません。ですが、性的な関係は必要としません。
承認欲求が強く、かまってもらうことばかり考えてしまうため、相手を思いやる気持ちがもはやありませんし、自分自身も疲弊してしまい、関係が長続きしません。
ネガティブな気持ちを受け止めることが相当な負担であることはわかっているので、曝け出したい人にこの寂しい気持ちを曝け出すことが出来ず、苦しみます。
また、寂しくてリアルまたはインターネットで男性を求めてしまうこともあります。結局相手は性目的しか居ないことに気づき、虚しくなってやめます。それを繰り返します。
自己中心的なことはわかっていますが、本当に寂しすぎて死にたくて仕方ないです。
どうやっても満たされない寂しさを、どうしたらいいのか、どこに吐き出せばいいのかわからず、今は死にたいと感じます。
はっきりとした原因はわかりませんが、母子家庭で育ち、祖父母は居たものの幼少期は母親が飲みなどで遅くまで帰ってこなかったりしたことも関係あるのかなと考えます(今はそのことについては和解しています 母親も相談に乗ってくれます)。
ファザーコンプレックス?なのでしょうか。
躁鬱に関しては、現在通院しているのですが、どの薬も「効いた」と思ったことがありません。
このよくわからない寂しさに5年ぐらい悩まされています。
働ける自信も、やりたいことを成し遂げる自信もありません。
助けてと言っても仕方ないのですが、助けてほしいです。
死にたい
どうしたらいいですか まとまってなくてごめんなさい
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主さんの求めているものは「承認」ですね
他人からここにいるよ、自分はこういう人間だよと認めてもらえるのが「承認」です
体は食べ物という栄養を求めているように、心は「承認」という栄養を必要とします
だから、これ自体を欲することは当たり前のことです
ただ、飢えてしまうレベルになると問題が起きてきます
飢えて食べ物が手に入らない時に、人がどうするかといえば、
盗んだり奪ったり、食べ物ではないものまで食べようとします
心の栄養である「承認」についても同じようなことが起きます
主さんに起きている問題は、これです
この問題を解決する方法は、
1.「承認」を自給自足することと、
2.自分を自分でいいのだと認める基準を下げること
この2つです
1.の自給自足をすることですが、
単純に言えば自分で自分にOKだよと心の中で語りかけることです
「承認」を他人から与えてもらえないものだと考えている限り、飢餓に陥ります
というのも、品薄になりそうなら食料を買いだめをしますよね
それと同じで、「承認」を得られるかわからないとむさぼってしまいます
むさぼってしまえば、同じように飢えている他人から足元を見られて、
彼らの飢えを満たすために利用されてしまいます
主さんがネットで出会ってしまうのは、こういう人たちです
そうすると、「承認」をもらおうとした結果、よけいに飢えてしまうのです
他人からの「承認」は主食ではなく、もらえたらラッキーと思う程度のおやつにとどめた方がいいのです
そうすると、足元を見られた時に断るということが簡単にできます
そして、2.の自分に「承認」を与える基準を下げるということについてですが、
悪いことをしてもいいというレベルまで下げてはいけません
他人に害を与えれば、他人から非難されることが増えて、「承認」を得る機会が激減してしまいます
これは、一時的に飢えを満たす代わりに、未来によけいに飢えてしまうということになります
どう下げるかというと、自分にとって良いけれども、当たり前だと思ってしまっていることを一つずつ拾って下さい
例えば、「今日も足がちゃんと動く」というところまで、承認の基準を下げていいのです
馬鹿馬鹿しいと思うかも知れませんが、足が動いて移動できるということは実はとても大切なことですよね
そういうことをまめに喜んであげて下さい
続きです
「承認」の基準を下げるというのは、
食べ物で例えれば、贅沢しないということに当たります
しかし、下げるにも限度があり、
自分や他人を害してもいいというところまで下げてはいけないというのは、
食べ物で例えれば、毒の入ったものまで食べないということに当たります
そして、一発当てて逆転して幸せになれば面倒くさくないと感じるかも知れません
少なくない人がそのように感じていて、結婚や転職を試みます
しかし、それは一ヶ所に投資してしまうのと同じで、リスクが高いのです
ポイントカードをちまちまと貯めていくように、自分に対する小さなYesを集めていくのが
幸せへの道だと思います
手間がべらぼうにかかるなと感じたでしょう
本来、生き物が健康に生きるには手間がかかるものなのです
人間が心身ともに健康に生きるのも手間がかかるものです
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