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死んだ母について抱えていた不安が、亡くした今も夢になって出てきます。 母は…
死んだ母について抱えていた不安が、亡くした今も夢になって出てきます。
母はまだ若いのになんだったのか、
死ぬ数年前からまるで性格が変貌し認知症か何かのように見えるようになって
何度も訴えたが母自身や母の周囲の人間に否定され、
病院に連れていけないままある日突然原因不明で死なせてしまった。
その母が夢にでてくる。
夢の中でも母はおかしな行動や言動をしていて、とてもひどい運転だったり
今日見た夢では一番ひどいありさまで、
衰弱しきって認知症が悪化したみたいになって、本当に死ぬ間際みたいだった。
母が私に対して怒ってるのか、なんだと思いますか?
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グッドアンサーに選ばれた回答
多くの人は大切な人を亡くすと、あの時もっと何かできたのではないかと後悔の気持ちが湧くようです。
でも皆さんは、その時の置かれた状況の中で、最善を尽くしていたと思います。
夢に見てしまうのはお母様を思う気持ちがあるからだと思います。
亡くなった人の状態は、神様が教えてくれています。
『生きている人は自分が死ぬことを知っている。しかし,死んだ人は何も知らない。何かを得ることもない。思い出されず,忘れ去られる。 また,彼らには愛も憎しみも嫉妬もすでになく,太陽の下で行われることに何の関わりも持たない。』(伝道の書9章より)
全てが存在しなくなっていますので、悲しんだり、苦しんだり、訴えたりもしないのです。お礼もしません。そして今、一番安全な場所、神様の記憶の中に眠っています。
ですから主さんは、安心して良いのですよ。
何も恐れなくても、ご自分を責めなくても、後悔しなくても、
ご自分の生活がある中で、精神的にご病気のお母様に寄り添って頑張って来たので十分と思います。
主さんには、前を向いて明るく楽しく生きて頂きたいです。
すべての回答
お母さんが主さんに対して怒ってたりしていないと思います。
お母さんの死に対して、主さん自身の罪悪感のようなものがあるのではないでしょうか?
スレに、死なせてしまった…とあります。
主さんは、もっとこうしてあげれば良かった、こうするべきだったのでは?とずっと自責の念があるのでしょう。
それで、今でもそんな苦しい夢を見てしまうのだと思います。
でも、主さんがしてあげたかった事は、お母さん自身や周囲も拒否していたともあります。
心の奥底では、自分のせいではないと思いたい、そう思っている気持ちもあるのではないでしょうか。
その気持ちの狭間で苦しい夢を見るのでは?
でも、そういう亡くなり方だと、それも無理はないと思います。
私も母親を中学生の時に癌で亡くしましたが、それとは全く違う事と思いますから。
こんな言い方は正しいかわかりませんが、お母さんの死は致し方がなかった事、と受け入れるしかないのではないでしょうか、
主さんがお母さんのことを
とても大事にしていた証拠だと思います。
1番大事にしてくれた人に
怒ることはないと思いますよ!
多分、今まで心配しすぎたのでは
ないでしょうか?
夢に出てくるくらいに。
多くの人は大切な人を亡くすと、あの時もっと何かできたのではないかと後悔の気持ちが湧くようです。
でも皆さんは、その時の置かれた状況の中で、最善を尽くしていたと思います。
夢に見てしまうのはお母様を思う気持ちがあるからだと思います。
亡くなった人の状態は、神様が教えてくれています。
『生きている人は自分が死ぬことを知っている。しかし,死んだ人は何も知らない。何かを得ることもない。思い出されず,忘れ去られる。 また,彼らには愛も憎しみも嫉妬もすでになく,太陽の下で行われることに何の関わりも持たない。』(伝道の書9章より)
全てが存在しなくなっていますので、悲しんだり、苦しんだり、訴えたりもしないのです。お礼もしません。そして今、一番安全な場所、神様の記憶の中に眠っています。
ですから主さんは、安心して良いのですよ。
何も恐れなくても、ご自分を責めなくても、後悔しなくても、
ご自分の生活がある中で、精神的にご病気のお母様に寄り添って頑張って来たので十分と思います。
主さんには、前を向いて明るく楽しく生きて頂きたいです。
>> 4
多くの人は大切な人を亡くすと、あの時もっと何かできたのではないかと後悔の気持ちが湧くようです。
でも皆さんは、その時の置かれた状況の中で、…
どういう亡くし方であれ、後悔される方がとても多いみたいですね。
私の場合少し目を離した矢先にの事だったのでなかなか後悔を捨てることができません。
私はあまり信仰に関心はないのですが、確かに死んだ人はすべてが存在しなくなりますね。
悲しむことも、苦しむことも、私への怒りもないということになりますね。
霊的なものは信じない質なので(質問文と矛盾していますが)納得がいきました。
それでも後悔、罪悪感はやはり捨てきれませんが、今度夢を見ても母が見せているとは思わないようにしようと思います。
ありがとうございます。
死別は、生きる人に非常に重要な教訓を残し続けています。
それはその人の気持ち次第だと言えるでしょうけど、生涯の学びと忘れ得ることなく、また、そのように過ごすべきでもないのでしょう。
経験や成長や機会などと共に供養の形がかわろうとも、死別とは生涯忘れ去ることのできない経験ということだと思います。
後悔、罪悪感を反省に変えて、生きる人の尊さを学び。
人に親切に優しく接することを学びえて、すこしでも悔いない人生を歩むための死別であると。
辛いからと言って、逃げるべきではない支えとするべきことなんだと。
そのように考えています。
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