それは悲しみの果てにある静まった世界です。 欲望を超克した人生の楽しみ方。 …

回答4 + お礼5 HIT数 226 あ+ あ-

誰にも言えないさん
21/12/25 09:20(更新日時)

それは悲しみの果てにある静まった世界です。
欲望を超克した人生の楽しみ方。
それは涅槃寂性にある平時とはなにであるか?と同様です。
私たちは正しい愛情表現や実現方法を知らない。
愛は自己愛と錯覚に陥る。
私たちの世界にある人生の楽しみ方は間違えている。
利他性との共存を目指す理由は、こういうところにあるはずです。
だから、私たちは悲しみを握りしめ続けるしかない。
そういう生き方を望まずに選択しているのである。
この事実を受け入れ認めるならば、私たちは悲しみを握りしめ続けるしかない。
静まった世界へ足を踏み入れることも出来ずに。
違いますか。

21/12/24 12:07 追記
【訂正】事実→現実

【追記】故に、世の人の喜びは喜ぶほど、悲しみへ帰結する。


No.3440255 21/12/24 09:58(悩み投稿日時)

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No.1 21/12/24 10:07
匿名さん1 

それすらを慈しみ尊ぶモノに私はなりたい

No.2 21/12/24 10:17
お礼

>> 1 慈しみは尊ぶモノではないと私はおもいたい

No.3 21/12/24 10:46
匿名さん3 

尊ぶって素敵な言葉ですね。

No.4 21/12/24 12:04
お礼

>> 3 そうですね。(ですが、この言葉だけでは足りてないものがほしいのです)

No.5 21/12/24 12:19
匿名さん1 

全ての物事、感情などの想いに感謝することです。
悲しみも今までが幸せだったのだ有難い、これから喜びを感じられる有難い。
ありとあらゆることに感謝できれば悲しみすら一つの喜びだと思えるでしょう。

>故に、世の人の喜びは喜ぶほど、悲しみへ帰結する。
考え方を逆にするだけで全ては喜びへ帰結します。

No.6 21/12/24 19:46
お礼

>> 5 悲しみを喜びだと思うなんて、悪魔みたいな話ではないですか?それは違う。

No.7 21/12/25 08:49
匿名さん1 

>>6
考え方次第と言ったでしょう?

悲しみを感じられる事そのものを喜びなさい
今が悲しいと思えるほど過去が幸せだった事を喜びなさい

  • << 9 その言葉は自分の歩んだ道を他の人が歩まれることを是とするものです。 言葉の意味がわかっていっているのでしたら、それは責任の取れない言葉の吐露です。 それとも、その言葉の重みや責任が取れるというのでしょうか? 是非お答えください。

No.8 21/12/25 09:03
お礼

>> 7 難しいですね。非の打ちどころない生き方ができますか?できていますか?できないと思いますよ。
7の、その言葉は、それができて完成する言葉ですから。
現状維持では、到底無理でしょう。

No.9 21/12/25 09:20
お礼

>> 7 >>6 考え方次第と言ったでしょう? 悲しみを感じられる事そのものを喜びなさい 今が悲しいと思えるほど過去が幸せだった… その言葉は自分の歩んだ道を他の人が歩まれることを是とするものです。
言葉の意味がわかっていっているのでしたら、それは責任の取れない言葉の吐露です。
それとも、その言葉の重みや責任が取れるというのでしょうか?
是非お答えください。

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