それは悲しみの果てにある静まった世界です。 欲望を超克した人生の楽しみ方。 …
それは悲しみの果てにある静まった世界です。
欲望を超克した人生の楽しみ方。
それは涅槃寂性にある平時とはなにであるか?と同様です。
私たちは正しい愛情表現や実現方法を知らない。
愛は自己愛と錯覚に陥る。
私たちの世界にある人生の楽しみ方は間違えている。
利他性との共存を目指す理由は、こういうところにあるはずです。
だから、私たちは悲しみを握りしめ続けるしかない。
そういう生き方を望まずに選択しているのである。
この事実を受け入れ認めるならば、私たちは悲しみを握りしめ続けるしかない。
静まった世界へ足を踏み入れることも出来ずに。
違いますか。
21/12/24 12:07 追記
【訂正】事実→現実
【追記】故に、世の人の喜びは喜ぶほど、悲しみへ帰結する。
No.3440255 21/12/24 09:58(悩み投稿日時)
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全ての物事、感情などの想いに感謝することです。
悲しみも今までが幸せだったのだ有難い、これから喜びを感じられる有難い。
ありとあらゆることに感謝できれば悲しみすら一つの喜びだと思えるでしょう。
>故に、世の人の喜びは喜ぶほど、悲しみへ帰結する。
考え方を逆にするだけで全ては喜びへ帰結します。
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