神様は人間が創り出したもので実在しません。 仮に存在したとしても、現実は悲…

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2024/10/15 15:37(更新日時)

神様は人間が創り出したもので実在しません。

仮に存在したとしても、現実は悲惨な事件や理不尽、不公平な事だらけなので、神には人間を守り助ける力はないという事です。

人間が神社に行ってお賽銭をし祈念をするのは、願いを叶えて欲しい、守って欲しい、安泰などを期待するからで、もし神様が願いを叶えてくれず、助けも守りもしないものだと断言されたら誰もお賽銭などしないし祈念になど行きません。

人間は弱く愚かなので他力本願なところがあります。この弱味に漬け込んだものがお賽銭やらお守りビジネスなわけです。お布施をすればそれが功徳となり自分に幸が回ってくるなど。
お参りしてお賽銭すれば何となくそれで守られるのではないかという安心感を買っているに過ぎません。

結婚式はキリスト教の教会で、お葬式は仏教のお寺で、初詣や七五三は神道の神社で、というように日本人の宗教観はめちゃくちゃです。全て金儲け商売屋に操られて消費者は踊らされています。

私は葬式や墓も要らないのではないかと思っている人間です。亡くなった時点ですぐに焼き場に行って燃し、散骨しておしまい。そうすれば墓も買う必要はないし、毎年毎年お盆に墓参りに行く必要も墓の後継問題もなくなります。
葬式、告別式、四十九日の法要など儀式が多すぎで家族には費用も含めて大変な負担です。参列者も面倒でしょうし、故人への供養は心の問題で、家族や生前親しかった人が心の中で供養すれば良いと思っています。

これらの儀式は全て残された人間が習慣で、あるいはエゴで勝手にやっている事で死んだ人には何の関係もありません。お墓にお骨を埋葬しないからと行って故人があの世で苦しむとか、四十九日の法要式をしなかったからといって故人が腹を立てて化けて出てくる事などありません。

少なくとも私は自分が死んだ暁にはそんな親族などをわざわざ集めて葬式だの告別式だの面倒&金のかかる事をしてもらわなくて結構です。先述したように息を引き取った後はすぐに焼き場に持って行って散骨してもらって、後は何もしてもらわなくても良いです。

残された家族やその他親族などに自分の事で手を煩わせたくないですし、そんな事をされても、もう自分は死んでいて意味が無いですから、お互いに無駄な事はやめて合理的に行きましょうという考えです。別に血も涙もない冷淡な人間とかではなく。


No.4157208 (悩み投稿日時)

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No.1

あなたはそうすればいい
他人にその価値観を押し付けなければ問題はない

No.2

それは主さんの死生観だから、主さんはそのように事が運ぶように遺書をしたためて下さい。

日本に宗教戦争が起きないのは、宗派の違いによる様々なイベントを、楽しめる感性が有るから。
結婚式を教会でしようと、葬式を仏式でしようとそれを楽しめているし、受け入れる度量の広さも有る。
葬式も、告別式、四十九日と段階を一つずつ過ごして故人とのお別れをし、残った者が事態を受け止めて行くと言う流れがある。

No.3

旦那の実家に墓終いしてもらうつもり。旦那の弟が墓がいるなら譲るつもり。その代わり、墓の守りは弟夫婦の子孫でやってもらう。

私たち夫婦は墓に入らない。
子供に負担を残したくない。
散骨は色々許可取るの面倒そうだら、樹木葬が無難かなって思ってる。

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