何故人は平等だと教育するんですか? 格差はあると教育すべきだと思うんですけど。…
何故人は平等だと教育するんですか?
格差はあると教育すべきだと思うんですけど。バカとブスこそ東大に行けじゃないですけど、持たざる者ほど頑張らないと人生終わると幼い頃から教育すべき。小学生くらいから、お前貧乏でブスだから死ぬ気で頑張らないと人生終わるぞと言ってやるのが優しさだと思う。
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学校で教える「平等」は、「バカでもブスでも貧乏でも人生同じ♪」と教えているわけではなく、「他者を差別してはいけない」ことを教えているのです。
そして主さんのおっしゃることは、それぞれの家庭でそれぞれの親が我が子に教える事です。
そこには
「その子の幸せを願う揺るぎない愛情」が必須です。
人の能力と環境は平等ではありませんよ?
学校でそれが平等であると教わってはいないはずです。
平等であるのは命の主さと、憲法に基づく法的効力です。
何を教わったのか、正しく認識する力もまた大事ですね。
あと人生の価値は世俗的な物差しばかりでは決まりません。自分の人生を楽しめているか、それがとても大切です。
現実的なハナシだと、
年齢に平等な教育やってるのは日本だけ、
中国、欧米ほかは飛び級制、実力に平等な教育システム。だいたい実力を存分に発揮できる10代に、有能者が一般人に混じって受験勉強やらされてるとか笑止千万! これじゃ優秀な人材は海外に取られますよ。
悪いのは「真の平等の意味」をちゃんと体系的に教育しないからだね。
『平等は誰彼構わず、考えも無しに与えるものじゃない。』という基本的概念と、
頑張った者には適切な評価を、優れた者にはそれに応じた「公平な評価」を行う事が『本来の平等の意味』と教えないとならないよね。
頑張ってもいない、成果も出していない、優れてもいない者に対して、それを平等に扱う事は逆に『依怙贔屓』になる。
それを正しく教えないとダメだと思うよ。
それと容姿や性格などの人間の個性に関する部分に関しては、平等・不平等は当てはめて考えてはいけないよ。
個性は測れるものじゃないから、個性に限らず「測れないものを平等にしようとすると、必ず対象のどちらかに不満が生まれる」事になるから。
容姿など測れないもので不公平な扱い事が起こる事は、「不平等ではなくて差別」だね。
それを履き違えるとおかしい話しになる。
測れないものに対しては平等にする為の補填が出来ない。
例えば容姿の良い・悪いがあっても、それを平等にするに、容姿が悪い方を良くする事は出来ない。
あくまで測れないものに対する不公平は差別という概念で考えないと、それを話し合ったところで論点は定まらないから個人の価値観のぶつかり合いになるだけだね。
要するに、それを話しても喧嘩にしかならないって事かな?
・真の平等の意味を体系的に正しく教育する。
・不平等と差別は分けて考える。
この2点を抑えれば、明後日な方向で水掛け論になる事は少なくなるかもね。
まぁ、それでも例外的な話しはいくらでもあるから、平等・不平等を言い出したらキリがないところはあるんだけどね。
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