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自分が何に興味があるのかも考えたくありません。人と関わらなくてはならなくなるから…

回答7 + お礼9 HIT数 716 あ+ あ-

鶴美( 25 ♀ 0s3QCd )
17/12/13 14:58(更新日時)

自分が何に興味があるのかも考えたくありません。人と関わらなくてはならなくなるからです。

わたしに興味を持ってくれる人はわたしが心底貶している人ばかりです。自分が笑顔で写っている写真が大嫌いです。嫌悪感を感じます。いつも心ここに在らずというか、これは自分じゃないと言い聞かせて凌いでいますが無理があります。下心に敏感で好意があると見返りを求められているというプレッシャーから相手を罵りたくなってしまいます。男性とお付き合いどころか、人との向き合い方がわかりません。
両親との会話も語彙力がなく、気持ちの共有や意思の伝達が難しく、言葉に対する先入観が強い両親には言葉を使ったコミュニケーションが苦痛です。


No.2570911 17/12/04 08:27(悩み投稿日時)

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No.2 17/12/05 00:54
お礼

>> 1 回答いただき有難うございます。
他人を知ること、理解することは自分を知ることでもあるので自分から目をそらすために閉じこもって不快感を周囲に与えていたと思います。人の言動の1つ1つが自分に向けられたアピールというか、メッセージ性のあるものに感じて苦痛でしかありませんでした。母親が自覚のない愛着障害持ちでわたしはいつも無自覚に自分を犠牲にしていたように思います。だから、他人に対して過剰な見返りを求めたり、人の行動に対して理解に苦しんだりしたのだと思いました。わたしは「見捨てられる予感」がする人に過剰に反応、執着し、自分を大切にできませんでした。「見捨てられる」という扱いの落差から構ってもらえたことの喜びを感じるからです。わたしの苦痛=喜びを、世間は苦痛でしかない無意味なことのように捉えます。わたしは逸脱したまま生きることで家族や社会に不快感を与えるのならわたしは自分の嗜好を変える覚悟です。わたしは社会から逸脱していることに気づいたのでいっその事、社交辞令だらけになったら楽だと思いました。本音は常に言っていないといけないという事もありませんしね。ただ、本音でないことを母親は理解できません。もう、母親とは会話ができないかもしれません。母親を傷つけないように言った嘘を母親はわたしの心をズタズタにしてお返ししてくるからです。
わたしはわたしらしく、あとは知りません。

No.4 17/12/05 17:59
お礼

>> 3 男性を恋愛対象としてしか見ることができないので苦しいのだと思いました。相手の意図する目的を汲むことができず、また、好意を持たれると恥ずかしい、自分とは対等だと思われたくない相手から誘いを受けたときはどうすれば良いの でしょう?人の笑顔にわたしに拒む権利のない見返りを求められているような気がして怖くなり、拒めなくなる不安からすべての人間関係をシャットダウンしてしまい、自分が関わりたい人を自主的に選んでこられませんでした。妥協するのが屈辱的になって婚期を逃さないようにするために今、自分に何ができるのかわかりません。でも、自分の潜在的な願望が見透かされているような気がしてしまいます。自分の意思で自分と違う価値観を受け入れることは続けていきたいと思います。回答者様のように見返りを求めないアドバイスがわたしにとって最も必要です。
母親と共依存関係にあったので思考回路に偏りがありますが徐々に改善していきたいです。他者評価に振り回されることなく生きている人は強いですね、自己評価を都合よくつけず、いつも世間に晒されている緊張感を持っていきたいものですが、なかなか難しいですね。本音でないといけないことはない、社交辞令でも大丈夫だとリラックスできそうです。適度が肝心ですね。
自分を見失ったり心ここに在らずが続いて迷惑をかけないようにしたいです。ありがとうございました。

No.6 17/12/06 20:39
お礼

>> 5 基本的に対人関係が苦手で適度な信頼関係を保つのが難しいです。極端に信用したり疑ったりという感じで継続した交友関係がありません。同じ目的を持ってチームワークなどを強制的に求められることにどうしても抵抗があって孤立しがちです。場面緘黙や自閉傾向の自覚があるので伝えられない不安や自分だけ除け者にされているという被害妄想から上手く溶け込むことができない子どもでした。監視されていて1つ1つの言動を笑われるのではないかととにかく汚れたもの、汚れてないものに敏感で執着しがちです。
回答者様とまだ話してみたいです。わたしが心を許している家族から受けるアドバイスは見返りを求めたり、誘導的なものでしかありません。誘導したり指示しないと糸が切れた風船みたいにわたしが手の届かない、理解できないところへ行ってしまうのではないかと母も不安なのでしょうね。母も心を閉ざしている大人なので子どものわたしは今までは責めたりしましたが、もう許してあげることのほうがわたし自身のためでもあると思います。
理解できないものに対して嫌悪感を抱くのでしょうか?権力と一括りにいっても、そこには権力を行使せざるをえない環境があり、自分も関わっていた、当事者であったと知ることで見方が変わったのですか?
文章で分かりやすく説明されるととても安心します。理解できないものに対して過度に抵抗があります。こういうものだ、こういう理屈でやっている、こう思われるからこうしているのではない、演技ではなく、本心だとか人の行動に対する解説や説明がほしいです。気持ちと行動は必ず一致するものでないと教えてほしい、理解できないことが多すぎます。
誰にでも人懐こく距離を詰めてくる女性好きな男性によく目をつけられてどう反応していいのか、分かりません。興味本意でも持ってくれて嬉しいと思う自分が情けないです。それ以上は距離も縮まないし、理解も深まりません。早く相手が興味を失って嵐が過ぎ去ってくれるのを待ちたいです。そういう男性にわたしの本心を暴かれるのがとても怖いです。

同性の友人ができないのは心を閉ざした母の影響が大きいです。子どもは親を選べませんが、子どもが親を評価できて、失敗さえも許しあえることができればいいのに、わたしの母は両親を許すことを拒まれた閉ざされた限界のある人です。愛の形はそれぞれと理解し合える人と早く出会いたいです。

No.8 17/12/07 20:54
お礼

>> 7 わたしの愚問とも思える奇行に付き合わせてしまって申し訳なく思います。自分から学ぶ勇気がなく自分が乞食のように感じます。知識をつけることをとても恐れている自分がいます。知識をつけたからといって偉くなるわけではありません。社会的ステータスを身につけたからといって自分の価値が変動するわけでもありません。それは周知の事実なのに、世の中全ての人がそうできないのは頭の隅では全員が同じ知識を持っていると社会は成り立たないことを知っているからでしょうか。自分から搾取されるのは嫌だけど、搾取される人がいないと世の中は成り立たないと気付かざるを得ないのが行き着く現実です。気付いた人だけが自分の足で歩いていると思います。わたしは知識の有無に過剰に執着心がありました。その壁を超えてはならないような、知識があることを恥じなければならないような、あまり理解できないおかしな感覚です。
「本音は推し量るもの」「権力の双方向性」のどちらもいまのわたしには何故か理解が及ばないものだと感じます。厳しい言い方だとと仰いますがわたしにも理解できるように噛み砕いて下さっていませんか?本来わたしが標準に合わせなければならないのに我儘だと思いました。わたしは弱さを自覚してからというもの、本音を言うことがリスクであると感じるようになりました。そればかりではありませんが、母の知っている社会とわたしの関わる社会に溝ができることを恐れないようにしたいです。
自分より目上が目下か、その基準しか持ち合わせられないという自縛がとても自分を苦しめていることは分かります。
本当にわたしはまだまだ社会を知らず、頭でっかちで偉そうに知ったようなことばかりで恥ずかしいです。視野を広げてたくさんの人と関わり、材料を集めた上で再考してみます。

No.9 17/12/07 23:59
お礼

>> 7 私は人の言葉を額面通りには受け取りません。 人の言葉からわかるのは、話し手が聞き手にどういう印象を与えようとして いるかであって、それを… わたしは母がわたしを必要としていると思い込んで疑いませんでした。必要としていたのはわたしの方です。母には母の考えがあると個人を尊重できず、敬意が足りなかったのはわたしの方かもしれません。本人にとって漏らすことはリスクになる本音を無理に直接的な言葉によって聞こうと欲を抑えられず、社会一般的な本音を推し量ることができていなかったのはわたしです。エリートでいようと見栄を張ったため、革命行動は気付かれたくなかったのです。本音を暴かれないようにすることがわたしの最も守りたいことでした。プライドが高いからです。成長を自ら邪魔してしまいました。
拗らせた人というレッテルを貼られることのないように歯車を回し続けなければならなくなりました。アイデンティティが常に不安定なので前に進むしかありません。とにかく、簡単に自分のことを知って欲しくない、自己開示なんてしたくないというのが本音です。だから、少数派であるけれども個性として発揮できなかったわたしには、本音ってあんまり大差ないよね、という暗黙の了解が蔓延る慣習は苦手です。苦手でないものもあり、苦手な部分だけが目につくだけかもしれませんが、選択の余地がなく強制的に池に飛び込まなければならない感覚の状況が人よりも多く、耐えられないのです。
母と会話が成り立つことは社会で会話が成立しないこと、社会と会話が成り立つことは母と会話が成立しないことでした。どちらかを拾ってどちらかを捨てるという選択を余儀なく迫られていたことが常にストレスだったのかもしれません。母からはいつもわたしと社会、どちらが正しいと思うのかを言葉に出さなくても行動を監視されて求められていたような気がします。お互いが求めていました。これを束縛、共依存というのでしょうか?
わたしは言葉を額面通り受け止めること以外の使い道を知らなかったのですね。

No.11 17/12/08 23:37
お礼

>> 10 わたしとは異なる視点から見た価値観を共有することができてとても嬉しく感じます。少子化については責任を感じていますし、誰もが当事者であることをもっと知るべきだと思います。もしかすると、わたしが少子化の問題について知らないだけかもしれませんが、わたしも社会の新陳代謝が正常に働くようにある程度身の丈にあった知識と経験を積んだら適齢期で出会って子どもを立派に育てて社会に送り出したいです。親がそうしてくれたように。そして、子どもを産めない人は自分のためだけに生きるのではなく、人のために、生きて欲しいです。
自分のことばかり考えていて、わたしにとっては拒絶対象でしかないのに許してくれ許してくれという精神的圧力を受けてしまい、自分の関わりたい人と関わることができません。自分の価値を貶めようとする人をいつも気遣う理由が自分でも良くわかりません。文句を言いながら仕事をする、そういうことを聞かなければならない環境が耐えられません。文句を言う人はどうして同調してもらおうと断れない精神的圧力を周囲に撒き散らすのですか?これこそわたしにとって精神的なハラスメントです。
わたしは男性から潜在的な欲求を見透かされているのではないかという不安感から男性と話すことができません。女性らしさを意識しないと出せないのは致命的な欠陥です。意識してでる女性らしさは作られた偽りのもので見破られます。母はわたしに嫉妬してわたしが男性から女性としてみてもらえない、寵愛されないように意図的に育てたと思います。娘を自分の引き立て役としか思わない人ですから私はやはり早く革命を起こし、異性と共に成長するべきでした。母は無知ゆえ思い込みや被害妄想があり、自己流に解釈して自分の都合のいいようにわたしを洗脳しようとしたりするので残念ながら信用されなくなっても仕方ないのです。わたしも自然体でいることが女性らしい女性です。そう育ててくれる、思わせてくれる母であってほしかったです。

No.12 17/12/08 23:56
お礼

>> 10 親や教師等の大人は子供に建前を教えます。本音は言いません。 子供は成長するに従い「どうも違うぞ」と気付きます。 友人の話や新聞雑誌、小説… わたしの精神が誰の目にも届くことのない水面下で縛られているのを助けて、助けて、と助けを求めていましたが、もう私は自分で出ていけるのでした。なんて愚かでしょう、時間も無駄です。わたしは十分魅力的であることをわたし自身が知らなかったのです。母の態度や助言、言葉や相槌はいつも私を不安にしかさせませんでした。感情がなく、オウム返しで、自己流による思い込み、わたしの社会的地位や人としての価値を貶めようと足を引っ張るところ、わたしの向上心を否定し、低俗で妥協して生きている人たちに愛想を振りまいて菌の繁殖を自ら手伝い、カビの温床を作っているようです。わたしは努力しない人は容赦なく切り捨てますなにも、自分を犠牲にする必要はないと思います。母は何故かわたしが断れないのを知っていてそういう人たちと関わることを強要しますが何か後ろめたいことでもあるのでしょうか?

No.14 17/12/11 22:10
お礼

>> 13 わたしは人にたくさん伝えたいことがあるはずなのに伝え方が上手くないのでつい、知識のある人を頼って意図を汲んでもらおうとしてしまいます。他力本願を続けても祖母のように生きていけることを知ってしまった人生の理不尽さから自分は断ち切る努力をしたいのです。
虐待という言葉がわたしにはよくわかりません。わたしは長時間正座を強いられたり、食事中ピリピリした空気に耐えることが居心地がよく、世間からは理解されませんが母の愛と感じます。母から受けた心の傷を母が傷のまま子どもに強要することは虐待かもしれませんが、母親が受けた傷をどのように解釈し、受け入れたかということが子どもにとって知りたい情報だと感じます。まさにわたしは当事者で、母親から強要されたことは母のなかでどのように解釈され、わたしに引き継がれたのか探り続けています。愛であってほしいと思いながら。母の本音を他人が代弁することはできません。母は心を開くことはないので本音は迷宮入りです。仮死状態です。
わたしは「本音は推し量る」ものと理解してから世界が違って見えます。わたしは本音を聞きたいばっかりにせっかちに迫ることがあったかもしれません。母との関係の中でそうなってしまったのは残念です。母は人の気持ちを理解しません。理解することは損でしかない環境で育ったからです。わたしに同情を求め、過剰な見返りを求められていると思います。でも、非難する気は全くないのです。ただ、共倒れすることは私たちだけの問題ではなくなってしまうのです。
母の幸せを願い、子の幸せを願い、社会全体を愛せるようになれるでしょうか?

No.15 17/12/11 22:38
お礼

>> 13 子が死ななくなり、子はかけがえのない存在になりました。 親も死ななくなり、老後を子に期待するようになりました。 親子の権力関係が逆転し、… 会社は対価としてわたしに楽しいと言ってもらおうとします。わたしは働くことに対して必要以上に楽しさを求められても困ってしまい、プライベートと仕事は分けたいと思います。とても愛想が悪く、職場の人とはぎこちない空気が漂よってしまい、逃げ出したくなりますが、人と打ち解け合うのがとても怖いです。強要の連続だからです。他人のセンスの悪い趣味を受け入れたくない、潔癖だからだと思います。わたしはご存知の通り排他的で人に対する理解が浅いです。
おじさんにたぶらかされて嬉しいならわたしは変態でしょうね。おじさんはなんとも思ってないのにわたしだけ相手にされただけで嬉しくなってバカみたい。人並みの恋愛をすればいいのに。

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