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なぜ自ら死んではいけないと思いますか? 残され家族や、 周りの人が苦しい思いをするから、 というのはよく分かりますが、 そのような人がいない場合

No.39 22/09/26 00:46
匿名さん34 ( ♀ )
あ+あ-

一応本題について。

自ら死んではいけない理由は、死んでもいい理由がないから、だね。逆に死んでもいい普遍的な理由って何かある?あるなら教えてほしいよね。

よく自分の命なんだから死ぬのも勝手だという理屈もあるけど、自分の命なら自分で命の働きを停めてみなさいって。自分で命の働きを停められるなら苦しまずに簡単に死ねるじゃない。でも出来ないでしょ。だからわざわざ身体を壊して死ななきゃならない訳よね。首を吊ったり飛び降りたり薬飲んだりして。それってそもそも自分の命と言えるの?と。

自分で心臓動かして血液を循環させて新陳代謝をコントロールしてる訳じゃなく、身体が勝手にやってるだけ。その後に自分という自我意識が脳の機能として発生しただけで、自分がこの命の主人じゃないのよ。だから自殺って身体の働きに対して反発する行為であり、だから死ぬのは痛くて苦しいのよ。ならばこの命を断つ権限は自分にはないというのが本当よね。少なくとも自分の命なんだから~というのは、自殺を肯定する理屈としては成り立たない。

あと、生きる事やこの世がある事の意味や理由がある訳ではないので、是が非でも生きなきゃならない理由はないよね。つまり自殺を否定する理由もない。迷惑とか遺された者が悲しむとか、それらはあくまで俗的な理由であって、本当に死ぬ事が否定されるべき行為だとする理由にはならないよね。

視点を俗的な場所から自然や宇宙にまで俯瞰させて眺めたらわかるけど、別に地球があってその上に人類がいて、その人類である私たちが是が非でも地球上で生きなきゃならない理由なんて別にないでしょうと。つまり生きる事が良い事なのか悪い事なのかは私たちにはわからない訳で、それは死ぬ事も一緒。死ぬ事を肯定したければ生きる事を否定する理由がなければ駄目で、でもそれは私たちにはわからないんだから。だから自殺は否定も肯定も出来ないものであり、ここでも自殺の賛否を問う事は無意味だという結論になるわね。

そもそも死ぬ人は自殺を肯定する理由があるから死んでる訳ではなく、そうせざるを得なくて死んでる訳でしょう。だから否定も肯定も無意味で、そんな理屈は関係なく死ぬ人は死ぬし死なない人は死なない、ただそれだけ。

だから結論としては、死んではいけないと言うより、死んでもいい理由がないから肯定は出来ない、というのが本当だと思うよ。

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