イエモン 歌詞 日本人は居ませんでした
ニュースで事故報道のとき「日本人の犠牲者(死亡者など)は居ませんでした」という表現をする時があり、一部の人がそれを 人種差別だ と非難しています。←理由は「日本人の犠牲者が居なくて良かったという風に聞こえる。外国人に対する差別だ❗」らしいです。
私は日本のニュースでは自国民(外国出身の帰化人を含む)の被害状況を報道することで、視聴者(基本的に国民)の身内や関係者の安否確認をするためのもので、人種差別の意味合いがあるとは思いません。(もし日本が島国でなかったり他民族国家なら、限定民族の人だけを報道しないと思います)
上記は前置きの話なんですが、ザ・イエローモンキーさんの昔の曲でこのフレーズを否定的(差別だと非難めいた感じ)に歌詞に組み込んでいたと記憶してるんですが、
その作詞家やイエモンさんは「人種差別だ」と思って歌詞にしてるんでしょうかね?
長年ちょっと疑問でした。皆さんはどう思われますか?
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同じ人間なのに、なぜにニュースでは「日本人の被害者は~」といち早く報道するのだろう❓
人種も何も関係ない、同じ地球に生まれた人間に何の差があるのか
…ということかなと、私は思いました
これは私の気持ちですけどね(^^;)
痛ましいニュースは国も人種も関係なく苦しい…
作詞はイエローモンキーのボーカル、吉井和哉です。
その歌詞はかなり話題になり、今でもその曲、JAMは90年代を代表する曲となっています。
歌詞の意味は、JAMを頭から聴けばなんとなくわかると思いますが、吉井さん的には多分その否定的な意味を多分に含んで書いたと思います。
本人が、JAMの歌詞を書く時に世の中の不条理をガーっと書き連ねたと言っていました。
しかし、完全に非難の意味ではなく、多分、「日本人の情報を流す必要があるから仕方ないこと、わかってはいるが、なんだかこの表現にモヤモヤする」というニュアンスに私は思います。
「あの偉い発明家も凶悪な犯罪者もみんな昔子どもだってね」
という歌詞もありますから。
他にも吉井和哉の詞にはモヤモヤとした、自分の気持ちが独特の表現で描かれています。
Four Seasonsや、ソロ曲CALL ME等が近いと思います。
たしか、その歌詞のあとは、僕は何を思えば良いんだろう、と続いていたと記憶しています。
そして、曲の題名に起因する部分の歌詞は、キラキラと輝く大地で君と抱き合いたい。この世界に真っ赤なジャムを塗って食べようとするやつらがいても。
…題名に転用する位ですから、おそらく重要な部分の一つだと思います。
うまく言えませんが「世界が滅亡したとしても、(どこでもない)綺麗な場所で恋人といたい」って、微妙に、日本が滅亡しても…日本で…とはちょっと違うと思います。
おそらく、この歌詞の主人公は、日本だけが滅亡するなんて思ってなくて、それは他の国でも一緒で、特定の国だけが不幸だったり幸せだったりするとは考えていないのだと思います。皆一緒だと思っているのだと思います。そして、それが理想なのだと思います。
でも実際はそうではなく、事故で亡くなった人間に自国の人間がいないと知ると胸を撫で下ろす自分達がいる。その、理想と現実の差にモヤモヤしているんだと思います。
少なくとも「日本が助かって良かったね! 他国の人はどうでも良いけど!」というようには、私は読み取れません。
続きます
続きです
人種問題を絡めて考えるとすれば、逆に「日本人が助かったからって安心するような外国人差別者って醜いよな」って感じに読み取れます。
でも、私はそうは思いません。
あくまで、“人類みな兄弟、運命共同体”と考える若者が、ふと国の隔たりを気にする自分の現実に気付いて、理想と現実の間で悩む、という図式にすぎないと思います。
歌詞については、2さんの意見に納得というか、きっとそうだろうなと思いました。
私は海外に親戚がいます。友人は親が仕事で海外を飛び回ってるそうです。
日本人がいなくてよかったとかではなくて、外国で事故や事件があればただ単純に自分の身内はどうかと心配になります。
一番の特徴が「日本人」ですから「日本人がいなかった」と聞けば身内はそこにはいなかったとホッとします。
それを人種差別だとか皆同じ命だとか言われたらちょっと心外かなぁ…。
身内の心配って自然にでてくるものだもの。他人のことでも「大変なことだ」とは思うけど身内の心配とはワケが違うし。
だからこそ「でもなんだかモヤモヤする」って歌詞だとすればよくわかるんですが。
歌番組を見て、💿買いました。これがきっかけではないんですが今はイエモンと吉井さんのファンです。一曲が論議を呼ぶというのはアーティストとして、しかもロックを自認する者なら本望ではないでしょうか。ニュースの日本人はいませんでしたという内容に差別意識など毛頭ないと思います、スイスの事故などは自国民としては非常に悲しい事故ですし日本人がいなかったとしたら、そこに感情の差はあっても差別意識はないです。世界の事故に日本人がいなかったかどうかは非常に気になりますし、家族はもっと気になるでしょう。
そうでしょうね。
言いたいことはわかるけど、日本に住む以上最初に日本人のことが気になるのは仕方ないことだと思いますがね。
皆が大災害に遇った時にまず自分の家族を心配しない人はいないでしょう?その延長のようなもの。
ただイエモンも自分でイエローモンキーなんて名乗ってるくらいだから、自虐や風刺を一定の方向に思い切り熱を込めてるわけではないと思います。そこがロックなのだと言えばそうかも知れないですが。
私もあのフレーズはいつもそういうニュースの度に思い出します。
だけどあの歌はすごく好きですよ。
他の方も言っていましたがその詞のあとに『僕は何を思えばいいんだう。僕は何て言えばいいんだろう。』って続きます。その手前は『ニュースキャスターは嬉しそうに』とあるので、世間では日本人が巻き込まれてなかったことだけを喜んでいるけどそれは違うんじゃないかっていう意味だと普通に考えたら、とれると思うのですが💦
世の中のいろんな矛盾への葛藤を歌っているのだと思います。
ちなみに私はとりあえず日本に住んでればまず日本人の知人の安否が一番気になるからそういう風に言うだけで、別に外国人だからよかっとかそんな意味で言ってるわけでは決してないと思いますよ。
そんな風に考えている人がいることを知り、ビックリしました💦
私はアラフォーですが、昔は「日本人はいませんでした。」と言う時、歌詞の通り本当に嬉しそうに笑顔で言っていました。それまで苦い顔をして悲惨な事故などのニュースを読んでいるのに、そのフレーズの時だけは急に笑顔を作るんです。
多分そのようにマニュアル化していたと思います。どのアナウンサーも同じでした(もしかしたらNHKだけかもしれませんが)
子供心にずっと、「人が亡くなっているのに日本人がいないとあんなに笑顔で伝えるなんてちょっと不謹慎じゃないか」と思ってきました。
だからあの歌詞はすごく自然に納得できました。
「人種差別」とはちょっとニュアンスが違うと思いますが、2さんが説明してくれた事が的をついていると思います。
今はあれほど露骨に表情を変えることをしなくなったので「日本人の安否がきになるのは当たり前じゃない。」と感じる人がいるんだと思います。
アラフォーくらいの方なら、表情が急変するニュースの読み方、覚えている人も多いのではないでしょうかね?
私が当時思ったのは、日本人は日本人の心配しかしない、メディアは日本人の情報しか流さない、こんなことは悲しいということだったと思います。
現在も何も変わってません…
脱線事故のニュースが例です。
こんな悲しくても眠りにつく、つこうという曲だった気がします。
だから、日本人はいませんでしたの後、僕は何を思えばいんだろうと投げ掛けてます。
たくさんの返答をいただけて有り難いです!
皆さん自身の言葉で説明して貰うと、少しづつ解釈の違いがあるのが分かって興味深いです。
忘れていたんですが「ニュースキャスターが嬉しそうに」って文が頭についてましたね。
そこは「キャスターやアナウンサーが嬉しそうになんかしてることあったっけ❓」と私もいぶかしく思ったんですが、アラフォーさんの話を聞くと 実際にあったことなんですね。
そういうことを知ると更に面白い曲ですね。
イエモン(作詞した吉井さん)はいろいろ深く考えて書かれてるのだと思いますが、そのニュース表現を差別だと言う人達が「イエモンだってそういう言い方は差別だって言ってる」と引用してるところもたまに見掛けますので、それほど明確な差別非難の歌詞なのかな?と思うこともありました。
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