神様仏様の存在

回答37 + お礼23 HIT数 4101 あ+ あ-


2010/11/27 00:31(更新日時)

神様の存在、仏様の実体、人の生き方
神様仏様ははたして本当に存在するのだろうか?。
もし存在するなら私達にどう関わりを持ち生かして行けばいいのだろうか?。
無神論者の私が科学を求め行き着いた所と、自己の心の深層を追求して気付いた事と、人の生き方、哲学、幸せ、人生観、とが、
いま一つに交わっている所にやっと来ました。
アインシュタインやブーマナンダの語ろうとしたであろう事を私god.buddaは代わりに語りたい。

タグ
神様の存在、仏様の実体、宇宙と真理、創造主、宗教、時空間、神の方程式、アインシュタインロマン、心の世界、
参考資料はNHKのアインシュタインロマン、相対性理論、聖書、経典、コ−ラン、その他から引用しています。

No.1470283 (悩み投稿日時)

新しい回答の受付は終了しました

投稿順
新着順
主のみ
共感順
付箋

No.51

>> 49 人間というのは知らないことを知りたい存在でしょう、ちょうど小さい子供が毎日なんでなんでと聞くように、大人も同じでしょう。時には空想と混同する… 匿名49#50さんへ。 分かりやすくまとめて頂きありがとう。 貴方の文章の全くその通りですよ。 本当に神仏はいるのか?、でもその疑問とは別に神社に参拝し絵馬を書いたり、墓参りしたり、おみくじや賛美歌や間もなく初参りと神仏に祈りお願いしています。でも神仏に曖昧でない見方があれば更に心の据えた生きざまが出来るかなぁとも思う訳です。で、自分の得意専門とする物理科学面から神を追求すると宗教やスピリチュアルなものとは違う得体の知れない人知想像を超越した力を感じます。普段、私達が特別に信心深いわけでもなく神社お寺教会でお祈りしている所も、科学的に行き着いた所も、人知を遥かに超越した力強さ、謙虚さ、癒し、恐れに包まれます。
38番さんがそんなのどうでもよいと投稿されていますが、その後のレスで無神論者の意見の一つとしてどうでもよいも有りとの追加意見があったが、論点をすり替えない様に。
無神論とは神は存在しないと言うれっきとした意見であり、無神論有神論の真ん中だと言うならばどうでもよいではなく、どちらとも言えないです。
どうでもよいと言う投稿は不要です。

No.52

>> 45 41 …こんな人格否定の暴言はいかんね。 神は『どうでもよい』っていうのも、一つの無神論の意見として成立するだろう…。 『感動を知… 51番下半を参照。どうでもよいは意見になりません。人格を疑われる投稿に対して感受性、洞察力を問うたのです。単なるお邪魔したのかなと善意に思いますが、こちらが真面目、社会の話題性、意見交換、ジョーク交えを含めて回答を求めています。
冷やかしはOK。
そんなのどうでもよいとはジョーク冷やかしにもならない、投げやりしか感じない。

No.53

>> 40 私の中では        神<髪<紙 だな。 この番号では貴方は日常神様など考えてない無神論的ないまどきの若衆のジョークかと思えたが45ではどうでもよいが…の論理には苦笑。どうでもよい、ではなくどっちでも良いの意味なのかな?。やはりどうでもよいとか、そんなの関係ネェ…的は投稿者の意見を推し図れず主張も意見もないただの落書きにしか見えません。

もう一度お聞きします。目に見えぬ、科学的にも?付、臭い、触感もない。それでも神様に祈りお願いしていますか?。
もしそうなら神様がどのように見えて、感じているのですか?。それとも一切の祈り願いはしませんか?。それとも私の様に多少の疑問有りながらも信じてますか?。

No.54

これから先の議論が難しいですね、科学者や技術者でも時には神社にも行くらしいですよ、深く考えずに風習にしたがって、ただ自分の子供には新興宗教とかにはまらないようにしているとか、

No.55

科学で神の存在を探すにはちょっと難しいと思う
科学は何らかの事象が成り立つ様を認識し分析し、初めて理解に至る
ということは神が作り出した力と同じ値に到達しない限り理解には至らない
理解出来る範囲は精々 在るがままを確認するところまでだと思う
たとえば人間が生きているとするなら、生きていると確認することまで
生きているという定義を以て生命を図ることでしかなく、なぜ生命がこの世界で成り立つのかまでは捉えられないと思う

わざと悪く表現するなら、科学とは後追いの理論なんだと思う
光りが放たれたとするなら、その光跡を確認するに留まる
決して光りが放たれる以前を確認する事は出来ないように神の業の足跡を辿る作業でしかない

つまり、もし科学でいうところの神を確認するなら神にならなければ難しい(無理)と思う

No.56

突き詰めると、精神論 精神世界
になりそう。

No.57

そう思いますね、だからいつも結論は出ないので、テレビでも普段はタブーになっている。ネットだけが本音で議論出来るのかもしれません、しかし、何か皆さんに得るものがあれば良かったじゃないですか、まさに神の領域を論ずるわけですから、

No.58

あと言えることは、人間も含めて全てエネルギーの一つの形だということ、食事をしてエネルギーを補給しなければ生きられない、神とは宇宙の全てを総称して表現した言葉であること、物理的にもし人間が宇宙の果ての外側に行けると仮定すれば、宇宙すなわち神の姿が見える、しかし人間は神の内側にいるために本当の姿は見えない、つまり全て神の一部なわけです、無理に理解しようとすればそういうことになると思います、そして人間は自律神経によってエネルギーを使って生きている。必ずしも自分の力で生きているわけではない、まさに神経だね、心で祈るということは、それら全てに願うということ、
その他人間の心の弱さとか、自然にたいする対応として、インターネットのWikipediaで神を検索すると見事に精神的な説明は載ってます。しかし現代人にとっては科学的説明も欲しいと思います。

No.59

56番さん、そうなるかもね。証明しろたって神の体内にいて、せいぜい太陽系をロケットで近接写真に収める程度だもの。全ては推測理論かも知れないが、58番さんの言う様に知る事は人間の本能かも知れない。 夢を語るのもいいではないか。そうして進化して来たんだから。
で…神様はいるよね!。全てはEとmとCに集約されるかと。未だ絶対温度まで4度分手前だそうで、となればまだCが拡大し続けるのかな。
でもこれって私達か祈り願う神様とは異なるなぁ~。

No.60

私達が祈りお願いしたりの神様に不安感からこころが救われもするが、
この物理科学的な神様にもあまりにも人知を超えた完璧さ緻密さには感動も感謝も驚きもします。
元東大教授の佐藤勝彦先生も神をも連想ほうふつされるとある著作にありました。

この二つの神様は[実は一つであり見ている方向が違ってるだけか?]と思うんだが…。
富士山頂を静岡と山梨から見ている様な。

投稿順
新着順
主のみ
共感順
付箋

新しい回答の受付は終了しました

おしゃべり掲示板の悩み一覧

悩みを投稿する

注目の話題

お悩み解決掲示板 板一覧