拉致犯罪

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2012/07/07 20:45(更新日時)

ここ最近、北朝鮮拉致問題についてはかつてほどマスメディアにも話題が上らなくなりつつあるような気がしますが、改めて異常で恐ろしい犯罪だと感じています。

1970年代から80年代にかけて集中的に多発した拉致ですが、工作員の潜入場所を見ていると、北は北海道から南は九州までと、全国の日本海沿岸部でやられています。

元北朝鮮工作員の証言によると「日本に潜入するのは簡単だ、日本は海上保安庁も警察も発砲しないから生命の危険がないし、当然銃撃戦になる事は有り得ないから、武装する必要がない。万一海岸で捕まっても、遭難して流れ着いた、と言えば済む」との事。

事実、工作員を裁く根拠にできる日本の法令は、外国人登録法や出入国管理法、外為法、電波法くらいしかなく、多くの工作員は数ヶ月から一年の拘留・禁固の後、堂々と北朝鮮に帰還しており、スパイに関する特別な取締り規定を持たない日本は、工作員に取ってはスパイ天国らしいのです。

逆に、韓国への潜入は命懸けらしく、海岸の警備が厳重であるうえ、常に戦闘を想定しなければならない為、潜入に対する神経の使い方は比に値しないとの事。

陸続きで隣国との境界線を常に警備し、警戒しなければならない国と、日本のように海で囲まれた島国では、外敵侵入に対する意識そのものが根底から違うのかも知れません。

話を戻しますが、日本海沿岸部の各地でこれだけ神隠しのような行方不明事件が多発したにも関わらず、当時の警察は何か関連性があるとか、異様だとは思わなかったのですかね…

また、日本政府にしても、政府というのは国民の生命・暮らしを守るという事が目的の一つにあると思うのですが、日本全国各地で何の形跡もなく闇に消えた日本人が続出していた事を危惧しなかったのでしょうか?

拉致で行方が分からなくなった人の形跡、痕跡はありませんが、それでも各地で発生した行方不明事件には、その前兆とも言える不可解な報告が挙げられています。

続きます


No.1817463 (悩み投稿日時)

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No.1

例えば拉致被害の象徴とも言える横田めぐみさんのケースですが、事件が起こった1977年11月15日、めぐみさんの親友の母親が、昼過ぎに失踪現場付近にある施設でボランティア活動を終えた帰路、路肩に駐車していた白い車(窓ガラスには真っ黒なスモークシートが貼られ中にいる人間の顔は見えなかった)に気付き、「イヤな感じだな」と思いながら側を通り過ぎようした時、開いていた車の窓からヌッと腕が伸びてきて、「おいで、おいで」をするように上下に手を振られ、その薄気味悪さに走って逃げたと言います。

又、同日18時頃(めぐみさんが失踪する直前)同じ地域に住む女子高生が帰宅中、反対側からやってきた二人の男がこちらを見ながら近付いて来て、すれ違いざま何ともいえない異様な気配を感じながらも足早に去ろうと、ふと恐る恐る後ろを振り替えると男達がUターンして後を付けて来るのが分かり、一目散に逃げたという証言があるのです。

蓮池薫さんも、拉致される直前、何か柄の悪い男達がチラチラとこちらを見ているのは感じていたと帰国後に証言しいます。

そして、1978年8月12日に鹿児島で発生した、市川修一さんと増元るみ子さん失踪事件の三日後、同じ地域に住むある家庭に袋詰めにされた男性が助けを求めて来たという報告が上がっています。

彼は彼女と海辺にいたところをいきなり何者かに襲われ、目・口をガムテープで塞がれ、両手両足を縛られ袋詰めにされました。

そのまま松林に転がされ、男達は移動手段の協力者を待っている間、犬の吠える声が聞こえ(たまたま近所の人が犬を散歩させていた)犯行がバレる事を恐れ、その場を去った隙に、男性の方が袋詰めにされた状態のまま、うさぎ飛びで近隣の民間に助けを求めたものでした。

この男女は拉致未遂に終わり幸いにも助かりましたが、失踪事件の起こった場所ではこのような不審な情報が各地で分かっています。

こういった不可解な事件や情報が何十年にも渡って発生していた事に、国家として何か感じるものはなかったのか、あるいは見過ごしていたのか分かりませんが、これは、まさか拉致などという信じられない事をするとは誰もが考えもしなかったとして、致し方ない事だったのでしょうか?

それとも、国家組織による犯罪として北朝鮮が悪いのは大前提ですが、どこかで平和ボケし、防衛意識の低かった日本の弱点みたいなものもあったのでしょうか?


大変長くなり申し訳ありません。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。

No.2

日本の公安は、ある程度は情報を掴んでいるとも聞きますよ。
2~30年前に有名になったと記憶ありますよ。

No.3

返信ありがとうございます

その割には事件に歯止めをかける事が出来ていませんでしたね。

それに、拉致被害家族会の署名活動や嘆願書などで、やっと政府は重い腰を上げたかな…という感じでしたし…

それと拉致犯罪は40年以上前から始まっていますから、20~30年前では既に遅すぎですよね。

No.4

公安の特性上、発表するわけには行かないのですよ。
戦後間もなく(総理『佐藤』総理が居た頃)に北朝鮮の暴挙は予見出来ていましたのに、残念で仕方ないです。

No.5

返信ありがとう

発表出来る出来ないの問題ではなくて、情報をキャッチしていながら拉致被害を何ら食い止める事が出来なかった事への疑問が本件の論点です

No.6

簡単に言えば、当時は左翼政党の権力が絶大だったのです。反日の朝日新聞の力も絶大でした。
自民党の長期政権と言っても、野党対策には相当神経をすり減らしていました。
拉致犯罪が日本国民に知られるにしたがって、当時の社会党は力を失いますが、民主党という形で生き長らえ、日本の政権を騙し盗るにいたりました。
当時と決定的に違うのは、ネットがあるということでしょう。尖閣の体当たりの件も、ネットがなければあの事実は、隠蔽されていた筈です。
この件でも大マスコミは、衝突などと事故の様に偽装する悪あがきを辞めません。
結局、日本国民の敵は既存の大マスコミが、本命の様な気がします。

No.7

日本には旧社会党~現在は民主党サ派や社民党のような北朝鮮の良き理解者がいましたからね。

この人たちは金正日が認めるまで拉致事件など無いと言い張ってました。

原タダアキさんを拉致した実行犯シンガンスが韓国の刑務所に政治犯として収監されていましたが旧社会党や社民連などのいわゆるサ派議員の面々はシンガンス釈放の嘆願書を韓国政府に提出していました。

菅直人もその一人です。有名ですよね。菅は拉致犯のサポーターですよ。


北の協力者が日本の総理になっているなんて異常だよね。

No.8

返信ありがとう

>菅直人もその一人です。有名ですよね。菅は拉致犯のサポーターですよ。北の協力者が日本の総理になっているなんて異常だよね。


いかに日本国民が無知で政治意識が低いかって所だろうね。

No.9

返信ありがとう

左派の影響ですね

No.10

左翼右翼は難しいですね

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