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【太平洋戦争・犠牲者の証言】
①
国分「まずは戦時中のお話を聞きたいんですが、海老名さんは当時11歳…」
海老名「そうです。小学校5年生でした」
国分「えっと…それで東京大空襲の時は海老名さんは何処に?」
海老名「沼津の叔母の所に疎開していました…私1人だけ…家族は皆東京に残っていました」
国分「えっと、ちょっと僕分からないんですが、なぜ海老名さんだけが疎開されたんですか?」
海老名「軍の強制でした…あの頃は…」
美輪「中学生以上は兵隊が足りなくなった時の為に学徒動員で使われるから疎開出来なかったのよ。小学校5年生と6年生だけが疎開命令が出されたの。それは日本を絶やしては行けないから、種を残す為に安全な場所へ非難させたのよ」
国分「あぁ!なるほど。そういう事ですか…。だから他の兄弟は東京に残って海老名さんだけが疎開したんですね」
美輪「そう…」
国分「沼津の方では空襲はあったんですか?」
海老名「えぇ、機銃操射って言いましてね、低空で爆撃機が飛んで来るんですよ。学校で帰宅命令が出まして、そうしたらサイレンが何もならないうちに飛行機がバーッと飛んで来ましてね、もう無我夢中で逃げて垣根に突っ込んで隠れました。防空頭巾を被ってたんですけど、飛行機が去って行った後、頭が凄く熱くて、触りましたら火みたいに火傷するくらい熱いの。何かと思ってほろったら鉄の破片みたいのが突き刺さってて…慌てて落としました。そしたら私の前に自転車に乗ってた人がいたんですが、その自転車がひっくり返ってタイヤがグルグル回ってるの…そしたら人が倒れてて血がバーッと流れ出てましたの」
国分「海老名さんの前で自転車に乗ってた人が飛行機から撃たれて倒れたって事ですか…」
江原「その低空飛行ってどれくらいの距離なんですか?」
美輪「操縦士の顔がハッキリ見えるくらい低空してくるわよ。それでエンジンを切って低空してくるのね、ギリギリの所でエンジンをかけて銃撃してくるの。だから無音で来るから私達は直前まで分からないのね。そして射撃ゲームをして楽しむかのように、逃げ惑う人達を見て笑いながら面白がって銃撃してくるのよ。」
国分「いやー、信じられないですね…」
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②
国分「東京大空襲ですけども…」
海老名「3月9日夜半から退避命令が出ましてね、私は疎開先で山の上に登って行ったんですけど、真夜中過ぎましたら東の空がボーッと赤くなってて、東京がやられてるぞー!という大人の声が聞こえてきましてね、とにかく正座して東京にいる家族の無事を祈って拝んでました。そしたら4日目にすぐ上の兄がボロボロの姿で現れましたの。それで、ごめんごめん皆死んじゃったんだー、香代子ごめんねごめんねって泣いて謝るんですよ。父ちゃんも母ちゃんも皆死んじゃったんだって…」
美輪「そのゴメンネって謝るのが哀れですね、まるで自分が悪いみたいに…」
海老名「そうですね…兄は自分1人だけが助かってしまって、罪悪感を抱えていました。父、母、3人の兄と弟は学校に非難しようと必死で逃げたんですが、学校の門が閉まってたんですって。開いて中へ入れたら助かってたみたいなんですけど、母が弟を胸に抱いて、その上から父が覆い被さって、兄達はそこに寄り添って、そしたら兄が、日本男児だ!潔く舌を噛んで死のうって言ったんですって…そしたら父が、三郎!あそこへ逃げろ!って兄に言って、兄は無我夢中で父の言った通りに逃げたら、自分だけが気が付いたら助かってたって…。それで自分1人だけが生き残ったのが申し訳ないようで私にごめんごめんって…。で一晩抱き合って泣き明かして、二人でお世話になるのは悪いからって兄は東京へ帰って行っちゃったんです」
国分「え、帰っちゃったんですか、お兄さん…」
美輪「東京に戻ったって身寄りもなかったでしょうに…」
海老名「はい…だけど二人で厄介になるのは叔母に迷惑がかかるからって…。私の手を持って涙をポトンポトン垂らすの…その涙が熱いんですよ…私も一緒に泣きました」
美輪「本当に憎らしいわよ…。じゅうたん爆撃って言ってね、じゅうたんを引いたみたいに全部やっちゃうの。逃げられないように、追い詰めるように、集中的に空襲をするのよ」
海老名「下町の密集地に回りからグルっと囲うように爆弾を落として包囲した状態で、焼夷弾を落としたんですよ。ガソリンの固まりみたいなものですよね。それで地上何百メートルの所で炸裂して落ちるんです。当時はコンクリートの建物なんかありませんで、みんな木造でしょ?だからあっという間に火の海になって、たった二時間で10万人の人が死んだんですよ。みんな焼けただれて悲鳴をあげながら苦しんで死にました」
③
美輪「私は原爆が落とされた時に長崎にいたんだけど、ちょうど夏休みでね、空は晴天で、何の前触れもなくいきなりピカッと光ったのね。雷が1000万個くらい同時に落ちたみたいな光で、次の瞬間、大嵐が来たように爆風が吹いて、建物は吹き飛ぶわ、一瞬で灰。それでね、私は自宅で夏休みの宿題の絵を書いてて、家の窓が全面ガラス張りになってたんだけど、そのガラスが一瞬にしてピッ!と飛ぶのね。そのガラスの破片が針山みたいに一面壁に直角に突き刺さってて、私だけは一切何にも刺さらず無傷だったの」
国分「それは本来は刺さっててもおかしくなかったって事ですか?」
美輪「いや、当然刺さってなきゃおかしいのよ。だって私の後ろの壁一面にガラスの針山が突き刺さってるんだから、物理的に刺さってなきゃおかしいのね、だから奇跡としか言いようがないのよ」
国分「へぇ…信じられない奇跡ですね…。それでその後はどうしたんですか?外はどんな状況に?」
美輪「もう地獄ですよ…馬はドタッと横になって引き付け起こしてるし、馬車引きのおじさんも狂ったように叫びながら引き付け起こして、全部顔の皮が剥けてるのよ。そして逃げてる最中に、塀の下敷きになってる人が、助けて~って足首を掴んで来るのね、だけどみんな自分の事に精一杯で他人なんか助けてられないし、みんな顔面の皮が剥けて損傷してお化けみたいになってるから、気持ち悪さに驚くのもあって、掴まれた手を振りほどくのね…そうするとその人の皮と肉がズルッと剥けて、自分の体にピタッとくっつくのよ」
国分「うわぁ…」
美輪「もうね、とにかく戦争ってのは凄いわよ、本当に…」
国分「終戦後なんですが、海老名さんはご家族を亡くされて、その後どうやって生きて行ったんですか…」
海老名「二ヶ月後…土地の処分などしなければならないという事で、後見人になる叔父さんがいたんですよね。その叔父さんが私を引き取らないと処分出来ないものがたくさん出て来て、兄が何処に行ったか行方不明だから私を引き取って、焼け野原に雨露しのぐだけのトタン屋根を囲っただけの親子3人で暮らしてる叔父さんの家に引き取られたんです」
国分「場所は何処だったんですか?」
海老名「中野だったんですが、東京へ戻って来てから私はもう生きる戦いでした。叔父さんの家もそんなに長くは居られなくて、あっちの親戚3日、こっちの親戚4日と転々として…」
国分「そんな数日で変わって行っちゃうんですか?」
海老名「そうですね…。こんにちはって行って居られそうだなと思ったら3日4日居るの…それで、あぁ、これが限界だなーって自分で分かるんですよ、そしたら、叔父さんさようなら、叔母さんありがとうって言って、また次の家を探すんです」
④
海老名「それで、初めて実家の焼け後を見に行こうとして、橋の上から町を見た時、何もかも消え去って、灰になっていて、そこで初めて、父ちゃーん、母ちゃーんって叫んで泣きました。そして実家の焼け後に入って、何かないかと瓦礫を避けてみたら、家族が使ってた茶碗の欠片とか、皆の生きた証が出て来て号泣しましたね。もう12月に入って寒かったんだけど、実家の石段に腰かけて、もうこのままでいいやと思ってたら雪が降って来て、それでもしゃがんだまま俯いていたら、黒っぽい人が通って行ったんですよ。その時、助けて!って言おうかなと思ったんだけど言えないまま俯いてたら、その人が戻って来て、姉ちゃんしっかりしなくちゃダメだよ、こんな所にいたら凍え死んじゃうじゃないか、頑張ろうよ頑張ろうよって声を掛けてくれたの。それでも私、顔をあげる事が出来なくて俯いてたんだけど、そしたら、御上がり御上がりって言われて、何の気なしに手だけを差し出したら、パカッと半分に割ったサツマイモを乗せてくれて、もう夢中でそれを食べました。そしたら体中が暖かくなりましてね、今の人神様だったのかしらって思いましたね…」
国分「その後はどうやって…」
海老名「もう相変わらず転々としてまして、ただ父の関係で色んな方を知ってましたから、家の焼け後の所に、(長谷川しん来たる、連絡乞う)とかメッセージが書いてありましてね、その中に金馬師匠からの(金馬来たる、連絡乞う)ってのがあって訪ねて行きましたら、生きてたのかい!良かったねー!と言って下さって、その日の内に私拾われました。家の子におなりって言って下さって…」
美輪「でも当時は落語家の方も大変だったでしょうにね…」
海老名「えぇ…。家の子におなりよ、苦労しただろうにって言って下さって、その日の内に温かいお布団に寝た時は、これで助かった…!と思いました。それで兄を探してやっと見つけましたら、神田の今川橋という所で女の人の腰ひもを売ってましたの。まるで大人の口調で…。そこで再開しました」
国分「あぁ、お兄さんと再開出来たんですか…!」
海老名「はい…そしたら兄が、何で東京なんかに出て来たんだ、叔母さんの家に居れば良かったのにって兄は泣いてるんですよ」
美輪「偉いわねぇ、お兄さん…」
国分「それまで海老名さんを支えていたものって何だったんですかね…」
海老名「…とにかく無我夢中でした」
美輪「生きる本能ですよね」
⑤
江原「さきほど焼け野原でサツマイモを頂いて励ましてくれた人の話がありましたでしょ?あれ、お父さんですよ。あの声、お父さんだったって気が付きませんでした?」
海老名「えー…」
江原「それで余談なんですけど、蓄音機ってお有りでした?」
海老名「はい、ありました。子供の頃にどこの家にもなかったんですけど家だけ持ってて…。私の首元くらいの高さがある大きな蓄音機が…」
江原「蓄音機にまつわる楽しい思い出がたくさんお有りでしょ?どうやって音が出るんだとか、いい音だねとか皆ではしゃいで歌ったり踊ったり楽しかったねってお父さん仰ってます。この時の思い出、忘れてないよって…」
海老名「まぁ…。その通りです。家族皆で蓄音機の回りに集まって楽しく過ごした思い出があります」
江原「思い出だけは残りますものね…物は焼け消えても…。蓄音機の思い出をお父さんずっと語ってるんです。本当にあの頃は皆で楽しく面白く過ごしたって…」
海老名「そうですね…本当に幸せでした」
江原「ただね、やっぱりお父さんお母さん、置いて逝ってごめんねって言ってます。こうやって言うんですよ、ある意味死ねた者の方が幸せだったと思いますって」
海老名「あぁ…。あの時はそうでした…戦後すぐの時は…一緒に死んでたらなぁって思いました」
江原「逆に生き残った者が幸いというより、生き残った者が悲劇…それはそれで辛いものをいっぱい見た…。だから逆にお父さんお母さんは置いて逝ってごめんなさいって仰ってるの。そしてこれは海老名さんだけじゃなくて皆に言ってるんだけど、家族を大切にして下さいって…。家族の絆を大切にして欲しいって仰ってますね」
海老名「はい…そうですね。やっぱり家族ですよね…居なくなっても自分の事を思ってくれるのは…」
国分「いやぁ…何か考えさせられましたね。僕が知ってる戦争は、1900何年に何が起こって…みたいにしか習ってないので実感がなかったんですが、今日の話を聞いてこんなに悲惨な事だったのかって初めて知ったような気がします」
美輪「分かるわ…若い人がね、戦争は悲惨だと言われても頭では理解出来るけど実体験がないから分からないって言うんだけど、じゃあこう考えたらどう?って言うのね。家へ帰った時に、もう明日からお父さんがいないのよ、ご主人がいないの、息子にも会えないのよ、兵隊に取られちゃって赤紙一枚で死ぬのよ。もう一生会えないんですよ。病気や事故で死んだ訳でもなく、理不尽に他人から逝けと命令されて死ななきゃならないのよ。それが戦争なのよって事なの」
だからなに?
有事には無血開城せよと?
支那による尖閣強奪も逆らってはならないと?
戦争は悲惨ですがねかつてドイツ軍国主義を生んだのは平和ボケした連中なんですよ。
戦後日本が60年以上平和にやってこれたのは別に9条があったからじゃなくて、アメリカの軍事的威圧が中国など侵略国家から守ってくれたんですよ。
正直、在日米軍が日本にいるのは嫌だけど支那侵食菌を蔓延らせない為に体内に取り入れたワクチンのようなモノですかね。
その番組見たかったです。詳しくありがとうございますm(_ _)m
戦争は本当に惨いですね自分がそんな状況にいたら…と考えてみましたが想像つかない状況です。
聞くのは辛いですが、今の若者達は、戦争の悲惨さをもっと知る機会があると良いなと思いました。
オーラの泉ですね✨録画して毎週見てましたよ
江原さん、もうテレビにほとんど出なくて寂しいです
大震災のことなど、聞かれても困るのかな?‥と思ってますが
海老名さんはこの放送後、太田総理にも出演され九条についてお話されていました
凄く真っ直ぐな方で、ご自身の体験から戦争の悲惨さを繰り返はないように話されていました
当時、私はヒートアップする討論番組を特に意見を持たずに見てました
誰だったか忘れちゃったんだけど
「九条があるから平和なのではない!」
と言ってる方がいて、海老名さんも
「そうだったんですか?!」
…と
私も、その時から九条の会を疑うようになりました
今はネットで調べると出るわ出るわ👿で、こんなのは早く破棄出来るよう憲法改正しなくちゃ!と思うようになりました
5月3日は憲法記念日ですね
GHQが作った憲法について少し勉強するのもいいかもしれませんよ
海老名さんもこの後、目が覚められていたらいいですね
86歳になる私の母は、東京上空で米軍の爆撃機に日本の戦闘機が体当たりする瞬間を、何度か目撃したと話してくれましたよ。
日本の戦闘機は体当たりした途端にバラバラになって落ちるけど、米軍の爆撃機は大きく旋回しながら落ちて行ったとか…それは本当に凄い光景だったそうです。
またこれは航空母艦の乗組員から聞いた話ですけど、突っ込んで来る敵機に艦船の対空砲が連続して射撃を続けると、その砲身が熱で真っ赤になるのだそうです。
そして敵機から落とされた爆弾が至近距離で爆発すると、人間の身体は瞬時にバラバラの肉片となり、その肉片が真っ赤に焼けた砲身にこびり付いて、あっという間に人肉の焼肉が出来るのだそうです。
攻撃された艦船は血と油の海でまさに地獄絵図。五体満足で死んでいる戦争映画など、ウソっぱちだと話していました。
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