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生きる喜びを無くしてから

回答5 + お礼0 HIT数 1067 あ+ あ-

通行人( ♂ )
15/12/09 18:47(更新日時)

急な要望で申し訳ないのですが、これを読んでくださる皆様に、『これが無くなったら、自分が自分ではなくなる』とか『これが無くなったら、何も残らない』『これのおかげで人生の全てを救われてきた』と思えるものを思い浮かべて欲しいです。

僕の場合、それがとあるチームスポーツ(念のため何かとは言いません)でした。五年前に、進学校の高校で、そのスポーツの部活に入りましたが、変人と言われる自分に対するいじめと周りの部活への無気力に直面し、周りを変えようと必死に努力をして改革を試みていたのですが(中学までは素晴らしいチームに入り、努力で周囲の評価を覆し、栄光を勝ち取ってきたけども、今回はそうはいかず)。
ある日、忽然と心が折れて、全ての情熱をも喪ってしまい、そんな自分が信じられなくて、ショックで、そのスポーツを嫌いになりたくなくて(口実合わせで)とある道に逃げ込みました。多分、限界だったのだと思います。

それから、時が止まってしまったかの様に、夢が潰えてます。『こうしたい』とは思うのに『こうなる』という決意が無い。
物の考え方や精神は、この五年で、歪みと堕落・矯正と再生を繰り返し、傷つきながらも成長しています。(過去の様に燃える様な意志は持てず、弱くなりましたが、弱さへの理解は人一倍という自負があります)
『この世の誰かの抱える弱さの為に、表現し続ける』という職業的な理想も、できました。

しかし、自分を救うことすらできていない現状がある。燃え盛る様な意志力と行動力を兼ね備える周囲の同業仲間をとても尊敬しているのに、憧憬と悲しさしか感じない自分がいる。

この前、高校時代のチームメイトと会い、謝罪と後悔を打ち明けられましたが。
しかし不思議と、怒りも憎しみも、何も感じませんでした。
『本当にそのスポーツが好きなら、違う学校に死ぬ気で転校するべきだった』と、自分で思っているからでした。
俺はたまたま、そういう環境を選んでしまっただけで、運がなかったのだとも思います。
そして、幼い頃からの過保護で管理的な(少年時代は、分刻みで行動の予定を定められていて、精神の発狂を度々起こしていた)生活が、そのアイデアを奪ってしまっていたのだとも思いました。

運がなかった。仕方ない。俺のこれまでの人生はこれに尽きます。
例えるなら、『車輪の下』のハンス・ギーベンラードと驚く程に人生が酷似しています。

今は、なんとかもがいて、前を向いて生きている状態です。

ですがよく絶望的な精神の発作に襲われて、無気力に。さらに、情熱が無く、遅過ぎる程の職人的な技能の成長に、焦燥感を感じます。

全ては、未だに埋めきれない、『生きる喜びを喪った』心の穴から、気力が漏れ出しているのが原因だと感じてます。

でも、それを言い訳にするのが許せなくて。
生きる喜びが無いなら、自分で創る。そう思って、今の道に取り組み、少しずつ喜びを覚えるまでには至りましたが、つい最近も、発作的に一週間学校から離れてしまいました。

そして真面目な仲間達は、俺のその道への姿勢に憐れみと軽蔑の目を向けている気がして、やりきれない罪悪感に縛られます。
どうすればいいのやら





どこかに、絶望してから生きる喜びを見出した人がいるなら。どうか、その体験を少しでもいいので教えてくれませんか?
前に進む小さな勇気が、欲しいのです。

15/12/09 11:39 追記
ちなみに、俺は栄光や名誉は自分の理想にとって邪魔なものと考えていて。
失敗するのが当たり前だから、自分に過度に期待もしていない。
失敗には慣れていて、転んでも、『はい次。これからどうすっか』くらいの気持ちです。

心に空いた、埋められない絶望感への恐怖が、一番の問題で、核心です。

本文で、分かり辛い感じに、ゴタゴタ情報を並べてしまって、すみませんでした。m(_ _)m

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No.2282012 15/12/09 11:16(悩み投稿日時)

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No.1 15/12/09 11:23
通行人1 

七転び八起きっていうのかな・・

失敗しやすい人はまず間違いなく

これからも失敗をやらかすから、

挫折したことを特別視しない様になって欲しいです

あーやっちゃったなと思っても

いつかまた歩いていくしか

No.2 15/12/09 11:27
通行人2 

自分で自分を決めつけすぎ。
人間は何度でもやり直せる。
成功する人ほど、そのバネが強い。
起業していれば、上手くいかないときもあるけど、それをものともしない人が成功していくんですよ。
私の起業して成功している先輩は100%そういう思考の持ち主です。

No.3 15/12/09 12:22
通行人3 

別にどうとでもなると思いますよ、自分で決めつけたらそれで終わりになっちゃいます
足を失ってもスポーツを続ける人だっていますよね

No.4 15/12/09 12:44
通行人4 

自分の経験談で良いんでしょうか。
私も大きな挫折や絶望や喪失感を経験しました。その影響から心身の健康も損ないました。

能力にも実績にも自信が持てなくなったとき、自分に残っているのは『失敗経験』と『多少の学習意欲』と『僅かなお金』でした。
「他の人に私と同じ轍を踏ませたくない」という気持ちで、ある資格を取得し、非正規ながらその資格を生かして再就職しました。
適切な支援や知識があれば、少なくても私の二の舞にはならずに済むのではないか…と考えて仕事しています。再生した私の新たな『心の核』です。

意外なきっかけで、絶望の穴は塞がるし、折れた心は繋がるものです。
大切なのは、今日を直向きに生きること。

嫌な過去も未来の肥やしにすることは出来ます。主さんもきっと、大丈夫です。

No.5 15/12/09 18:47
通行人5 

心に空いた穴…というより、心の器に穴の空いたモノがずっと入ったままじゃないでしょうか。
新しいモノを心の器に注ごうとしても、穴の空いたモノと混ざって気持ち悪くなる。

穴の空いたモノを心の器から出して、完全に捨てるか金庫にでもしまって下さい。

穴を埋めようとするのではなく、
心の器を空っぽにしてから新しいモノを入れて、存分に味わいましょうよ。

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